Atsuko KAWAGUCHI のすべての投稿

Atsuko KAWAGUCHI 1955年生まれ。映画評論家。著作に「映画の森―その魅惑の鬱蒼に分け入って」、訳書には「ロバート・アルトマン わが映画、わが人生」などがある――といういつものプロフィールからはみ出してきたものもこのページでは書けたらいいなと思っています。

CINEMA DISCUSSION -11/ゼロの未来The ZERO THEOREM ~Terry G’s Brave New/Old World

© 2013 ASIA & EUROPE PRODUCTIONS S.A. ALL RIGHTS RESERVED.
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新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション、11回目となる今回は、屈折した英国的な笑いで知られるコメディ・グループ モンティ・パイソン唯一のアメリカ人メンバーであり、アニメーターとしても活躍、映画監督としても『未来世紀ブラジル』『フィッシャー・キング』『12モンキーズ』と独自のヴィジュアル世界を差し出し、また時には(しばしば?)ハリウッドと真正面からぶつかってケンカも辞さないお騒がせな存在として知られてきたテリー・ギリアムの最新作『ゼロの未来』を取り上げました。

コンピュータに支配された近未来で「ゼロ」の数式解明の任務に忙殺されながら、「人生の意味」を告げる電話を待ち続けるひきこもりの主人公。実存的命題をにらみつつ、何でもありな今日的”神”/巨大コンピュータ企業の下、虚しく闘う彼の周りで相変わらずミッシュマッシュなギリアム的意匠がはじけます。

ディスカッションメンバーはいつものように川野正雄、名古屋靖、川口哲生、ナヴィゲーター役の映画評論家川口敦子の4名。今回は話すうちにそれぞれの好みの微妙な違いが浮かび上がってきました。それも個性派ギリアムの映画にはふさわしいのかもしれません

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川口敦子(以下A):『ゼロの未来』に関してはセルクルのメンバーの中でもちょっと賛否両論があるようですが(笑) 私は楽しめた派、ダメでした派、どちらでしょう。まずはそれぞれの立場と理由を教えてください。 

川野正雄(以下M):楽しめなかった訳ではないのですが、かなり期待していたので、肩すかしを喰ったような印象で、個人的には残念な作品になりました。
映画の一番根底に流れるテーマやコンセプト的な部分に共感が出来なかったというのが、理由です。
演出の細部の凝り方、映像は素晴らしいと思います。ただもう少しストーリーがあった方がいい。枝ばっかりで幹がない感じで、ディテールは凝ってるんですけど。
共感出来ないなと感じ始めたところで、実は自分は『未来世紀ブラジル』も、割と苦手だったことを思い出しました。
基本的に(そんなに沢山見ている訳ではありませんが)、ギリアムの世界観というものが、あまり好みではないのだと思います。

名古屋靖(以下N):僕は「楽しめた派」です。でも期待度が高すぎたせいかもしれませんが、残念に思ったところもあるので「楽しめたけどちょっと残念でした派」と言った感じです。
『未来世紀ブラジル』『12モンキーズ』という2大テリー・ギリアム近未来モノが好きだったので、このお話を聞いた時から早く観たいと思っていました。そのせいか期待に胸膨らませすぎ、思い切りハードルを上げて観てしまいました。
テリー・ギリアム作品の魅力の一つに、『フィッシャー・キング』はセントラル・ステーションでの社交ダンスのように、ストーリーとは関係ない場面でも最高に凝ったシーンや演出を放り込んで来るがところがあります。これを撮りたくてこの映画、撮ったんでしょうというような。予算の何割そこにかけてるのっていうような、そういう見る側にインパクトがすごく残るものを出してくる。映画監督というよりは映像作家なんでしょうね。
ファンゆえのエゴだとは思いますが「今回はどんなシーンに拘って撮っているんだろう?」という穿った見方をし、それそれ探しに一生懸命だったのは反省します。

http://https://www.youtube.com/watch?v=h-D9dh6S5Sg

N:2つ目の魅力として、不揃いだったパズルのピースが後半バチバチっと嵌っていくのが体感的に気持ちのいい映画も多かったのですが、今回はそうじゃないパターンでした。
前半で「We」「人生の意味」「ゼロの解読」などいかにも深そうな謎をかけられてその答えを心待ちにしていたのですが。。。

川口哲生(以下T):私は実は『未来世紀ブラジル』はオールタイムファイヴァリットの一本にしているし、このヴィジュアルの作りこみとノスタルジックな未来感は『ブラジル』以来でワクワクしました。それとそうしたヴィジュアル上のはっきりした要素だけでなく、テーマとしての「人生の意味を求めそれが告げられるのを待ちながら、一日一日を本当に生きることを忘れて無為に生きる」みたいなところに、やはり現代の社会のヴァーチャル感と重ね合わせてのメッセージがあり、共感するところがありました。好きな食べ物も忘れ、楽しむことも拒否して人生の意味を求めても、そこから抜け出す力は、人との関わりの中での、ヴァーチャルでない求める気持ちみたいなこと。ギリアム自身がいっている「人は自らの手ですべてを複雑にしている」「あらがうことをやめ、自分をゆだねる」といったことに何か救いを感じました。「ゼロの定理」とか「一人称でない自分(漠然とした自己)」は確かにわかりにくい感は否めませんでした。

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A:私は映画の出来としてというよりはギリアムの世界として「楽しめた」派といったらいいでしょうか。もしギリアムのこれまでを知らずに、あるいはギリアムの映画だとも知らずにこの映画だけを見て評価するとしたら、横溢する視覚情報、その濃密さには少し、ついていけないものがあったかもしれない。でもテリー・ギリアムの世界としてはしようがないなあ、とちょっと譲歩してしまう。見続けてきたよしみ、なんていったら変なのですが、無条件で擁護しついていこうというまで積極的でないとしても、否定はできないと思わせるものがある。

http://https://www.youtube.com/watch?v=qXW9b9O9S6A

あれもこれも取り込んで混沌とした意匠、アニメーションやグラフィック・デザインの基本的センス、アーサー王伝説といった中世騎士物語への傾き――とよくよくみていくと心から自分が好きといえるものとの趣味の違いは明らかなのですが、それをおいた主題の面で共感してしまう部分もある。
結局、夢見ることに逃げている『未来世紀ブラジル』の主人公、そして今回の天命を自分で知ろうとするより告げられることを待ち続け、とじこもり、人と分かち合うことを恐怖する存在。否定的な面だけでなく今、SNSが蔓延る社会で誰もが安易にコネクトしていると、そんな錯覚を疑わずそのコミュニティにいることをしている中で、むしろひとりとしていることにギリアムは価値を見ているでしょ。そのあたりが好きなのだとも思う。
60年代人種的対抗文化的な基本姿勢(本作を締めくくる“無”への跳躍とかも含めて)のしぶとい保ち方、でもヴァーチャル・デートの相手ベインズリーに一緒に行こうといわれた時、飛び出せない、変われない、どこかでそれを肯定もしている――ギリアムの作家としての自伝性が案外そういう所にもあったりするかもしれず、そこが面白いとも思いますね。

http://https://www.youtube.com/watch?v=EvBF3Lxla98

A:ギリアムらしいディストピアに立ち戻っての一作としてどうしても『未来世紀ブラジル』と比較したくなりますが、あそこから変わった? 変われない? そこが映画監督、あるいはアーティスト(ヴィジュアリスト)ギリアムの面白さなのか、限界か? この点に関してはどうですか?

T:『未来世紀ブラジル』と比べれば変われてはいないと思います。そうしたギリアムの世界観が好きかどうかで単なる二番煎じと取るか、ギリアムらしさの復活と見るかが変わってくると思います。ギリアムのディストピアの特徴はコマーシャル(集団の幻想的欲望を喚起させるもの)の扱い方と、音楽も含めたノスタルジックさかなと、私は感じます。『ブラジル』のタイプライター音でのサントラのスタートとかセントラルサービスのコマーシャルとか昔のラジオのコマーシャル的ですよね。今回ではパラダイスへの旅行だったり、金儲けへの誘惑だったり、ピザ屋だったりヴァーチャルなセーフセックスだったり(笑)欲望さえもコントロールされている世界ですね。

K:先に言いましたが、『未来世紀ブラジル』と同じ印象です。ただ『ブラジル』の方が、作品のスケール感や意外性は高かったと思いますが、見たのが相当昔で、詳細は覚えていないので、細かく比較することは出来ません。結局彼のその世界観やセンスに共感出来るかどうかですよね(他の監督も同様ですが)。
共感出来る人には、見所満載で、楽しめる作品だと思いますよ。

N:「統制(マネージメント)された世界からの解放」という意味では、もしかするとテリー・ギリアムの描きたいテーマは「変わらない」のかもしれません。巨大な権力からいかに自由になるかっていうのはずっとありますよね。訴えたい事は変わらないような気がします。小道具や美術など、ちょっと曲がった解釈のレトロフューチャーな近未来像はまさにテリー・ギリアムでとても素晴らしいです。ただし、今回は『未来世紀ブラジル』(1985年)の時点では想像もできなかったであろう、リアルとヴァーチャルの設定や描き方については、『攻殻機動隊』のような日本のアニメ作品の方が1日の長があると思いました。電脳的な世界をテリー・ギリアム流レトロ・フューチャーで表現すると「なるほどそうなるか。。」とも思いましたが、残念ながら自分にはフィットしませんでした。

A:結局、変わらないでいることが作家の面白さなのかなあと思います。どんどん豹変していく類の作り手にも惹かれる場合もありますが、結局、戻っていくのは変われない人の世界のように思う。

K:今回のあれは住みにくい世界なんですかね。

N:みんなはハッピーなんですよ。自分だけ「電話」を待ってるから不幸なんで、「We」っていって、いっしょなんだって、ひとりじゃないんだっていってるんだけど彼だけが不幸だって話。現代の人たちのつながりたい症候群みたいなものを描きたかったのかなあという部分はある。

T:少年との関係とか上司との関係がだんだん変わっていくじゃない。結局、関わりの中にしか変わっていくものはないんだってことかなあ、と。

A:ディストピアと質問したし、この作品を『未来世紀ブラジル』『12モンキーズ』と共にディストピア3部作とする紹介も目につく、私も見終わった時はそう感じたんですが、いくつかのインタビューを読むとギリアム自身はそのつもりはないと、むしろここにあるのはユートピア的でみんながハッピーな世界で、衣裳もそれに合わせてカラフルにと指示したみたいにいってます。不幸なのは主人公のQ=コーエンだけで、彼の灰色の世界は彼を取り巻くユートピアの影の中にいるよう――と。
もちろん、これは鵜呑みにしてもいけない発言なんですよね、きっと。その企業仕掛けのコマーシャルな“ユートピア” をギリアムとしては肯定していない、それこそがディストピア、頽廃した悪夢的世界なんでしょう。
『未来世紀ブラジル』の時以上に現在を描いている、現実への批判をのみこんだ一作だとは感じます。、大企業(MAN COM)の仕掛ける定理の中で幸せに動いている人とコマーシャリズムから身を引き離して、そこで与えられたアルゴリズム解読作業に邁進しつつも、“教会”の中にこもる=大きなマスの幸福の幻想から孤立する存在、孤独ではあっても、人といっしょでなくてもいいのだと。そこまで自分で強く自分を肯定できない存在ではあっても、そうしようとしているひとりがいることの大事さみたいなものを描く所、そんなギリアムの変われなさを面白いと私は思うんですね。

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A:英国的なもの、たとえば笑い(はにかみと裏返しの過剰さみたいなセンスとか)、管理社会を見る眼と未来社会への悲観的視点、映画に限らず「1984年」「すばらしき世界」といった文学や音楽、PVも含めてありますが、そのあたりはどう見ますか?

N:勝手な思い込みですが、さっき言ったようにテリー・ギリアムが魅力的に感じる題材のひとつに「統制されすぎた世界からの解放」というものがあるように思われます。彼が英国やモンティパイソンに惹かれる理由も、権力や階級、王室までも笑い飛ばすパロディ精神がシニカルそうな彼自身の心の解放につながるのかもしれません。

http://https://www.youtube.com/watch?v=BjDg3lQGmRs

K:ジョージ・オーウェルの「1984年」との関連性みたいな部分は、すごく感じました。BIG BROTHER=マネージメントという構図は、容易に想像つきますよね。
英国的な笑いっていうと、ギリアムが携わっていた『モンティパイソン』も、割と苦手なんですよ。スノッブでしょ。あれを面白がれないのは、自分がダメなのかなとも思うのですが、自信を持って面白いとは言えない自分がいます。

http://https://www.youtube.com/watch?v=hcpqq2MRbTM

K:ビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』も、本質的な部分では、今ひとつ楽しめませんでした。

http://https://www.youtube.com/watch?v=K2xpbKBuTEw&spfreload=10

でもこの『ゼロの未来』は、すごく英国的な笑いというわけでもないような気がしました。
むしろタランティーノや、一世風靡したミラマックスで撮ってるアメリカンインディーズの監督に近い笑いのツボを感じました。

T:デイヴィッド・ボウイではないけれど、1984的な‘big brother is watching you’といった監視され、コントロールされ、知らず知らず自分がツールになっている世界観は未来社会を思い描くとき、常にありますよね。冷戦時代にはイデオロギーの対立がその底流だったろうけれど、現在はヴァーチャルなSNSのあり方への危惧があるように思います。
川野君がいっているマジカルミステリーツアーからジョージともつながりの深いモンティパイソンといったはにかみと裏腹の過剰さといった感覚は英国には確かにありますね。マジカルミステリーの中でビートルズが白い燕尾服着て慇懃な会釈を繰り返している感じを思い浮かべます。シニカルであり、恥じらいもあり、それを大げさに演じる感じですか。私は嫌いではありません。

http://https://www.youtube.com/watch?v=555jxltr9Zo

A:米国人ギリアムが英国にひかれ、でも距離を持ち、今またこういうもの撮っている点も私は面白いと思うんですね。アメリカ人としてアメリカの夢に絶望したこと、自分はアメリカのまっすぐな道より英国的ワインディングロードが性に合っていると昔、『未来世紀ブラジル』での来日時に取材した時、語っていて印象的だった。今回の映画はそんな彼の根底にある感性を感じさせる。イギリスに来てパイソンの中にいても、英国人になれたのではなく、むしろ異国の米国人としてここでもまた違和感を感じざるを得ないという、まあアウトサイダーとしての生き方が映画を支えているのだと、いまさらながらに思います。
反骨の人なのだが、脳天気なくらいに自分への確信をもっているようで実は、米国時代にはコマーシャル・アートに身をおいて、譲歩を知らないわけではきっとない、そういう背景ゆえに、バトル・オブ・ブラジルの折の爆発みたいに管理統制されることへの反発もあるのかしらと、質問とはちょっとずれますが興味深いところです。

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A:建築や家具、街の整備の仕方等々も含め“レトロ・フューチャー”とか一時、はやりましたがリドリー・スコット『ブレードランナー』との差異は何でしょう?

N:『ブレードランナー』の美術監督は製作途中からインダストリアル・デザイナーの巨匠シド・ミードなので、リドリー・スコットというよりは、シド・ミードのカラーが色濃く出ていると思います。特にマシーンや小道具などシド・ミードは超リアリズム主義なので、テリー・ギリアムの遊び心あふれるレトロフューチャーなデザインとは対極かもしれません。そんなシド・ミードの世界観に、雨や夜の設定とネオン管やスモークなどを駆使したリドリー・スコットの幻想的な演出が交わって『ブレードランナー』では見事な化学反応を起こしています。今回の『ゼロの未来』での街のPOPで猥雑なシーンは、色味は違いますが『ブレードランナー』の街と通ずるところはありました。個人的にはこのPOPな街のシーンが一番ワクワクしました。

http://https://www.youtube.com/watch?v=iYhJ7Mf2Oxs

K:世間的に評価が高いのに、個人的に苦手な作品の代表が、『未来世紀ブラジル』と『ブレードランナー』です。
SF好きじゃないという本質もあります。大概のSFには、何故かハマれないって感じなんですよね。

T:『ブレードランナー』は私にとってはやはり統合前の香港みたいなアジア的猥雑さを感じたけれど、ギリアムは秋葉原を今回のゼロではインスピレーションにしているといっていますね。ディストピアの持つ文明の果ての感じや強さなくして生き抜けない感じは、西洋の文明とは違うアジア的な混沌みたいな要素としてレトロフューチャーの中にみいだせますね。『ブレードランナー』の世界観の方がよりハードボイルドだしクールな感じが私はします。ギリアムの方がpopだろうがアメリカ的なpopとは一線を画しているのがギリアムの立ち位置と重なる気がします。キッチュぽさを感じます。
今回のゼロの主人公が自分の城(西洋文明的な古い教会)から、たくさんの鍵を開け、外界に踏み出す時の一大事感は、安全地帯のホテルからアジアの街(ギリアムにとっては秋葉原)に踏み出す時の感じを思い起こさせますね(笑)

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A:メイキングによると今回、ルーマニアのブカレストでロケし、また50年代から残る撮影スタジオに教会(東方教会のイコンや十字架と英国国教会の祭壇とを合わせたデザインにした)のセットを建てて撮影した、また旧東独出身の現代画家ネオ・ラウチを参照したということで、旧共産圏のリアリズムや威圧的な大きさ(『グランド・ブダペスト・ホテル』にもちょっとありましたが)とミッドセンチュリー的モダンの崩しのようなものとを合わせた懐かしさの処理の仕方に面白さがありますね。

Neo Rauch, Über den Dächern, 2014, oil on canvas, 98 1/2 x 118 1/8 inches (courtesy Galerie EIGEN + ART Leipzig/Berlin and David Zwirner, New York/London)
Neo Rauch, Über den Dächern, 2014, oil on canvas, 98 1/2 x 118 1/8 inches (courtesy Galerie EIGEN + ART Leipzig/Berlin and David Zwirner, New York/London)

あと衣裳では予算節約の意味もありシャワーカーテンや中国市場にあった生地を利用して”未来”のチープな意匠を工夫したという。

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T:マット・デイモン演じるマネージャーのソファにとけこんだスーツとかすごかった。
次に出てくる所ではカーテンと一緒で背景と融け込んでいてね。

N:なんだ、着替えてるじゃないって。

A:ともかく様々な要素のまぜあわせが、ギリアムの基本だと思うのですが、スコットの場合は、名古屋さんも仰るように『ブレードランナー』のハードボイルド探偵世界(これは『12モンキーズ』も書いた脚本のデヴィッド・ピープルズの世界でもあると思うけれど)への嗜好がまずあって、シド・ミードのデザインがあり、それらを実現する上での完璧さの追求が画面を支配する。これに対してギリアムは完璧さを出さない、むしろ粗雑さを芯とするようなヴィジュアル世界をもつ、イラストレーター時代の作品にもある感覚、そこの違いが映画にも出ていて面白いと思います。彼のイラストやアニメーションの独特のテイストは必ずしも好きの範疇ではないのですが。

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A:縞模様の灰色のパジャマがナチ収容所の制服に通じると、意図したわけではないが結果的にそうなったとプレスブックでギリアムは発言していますが、意図してないのかなあ、というのもコーエンという名前のユダヤ性を強調するように名前の言い直しが繰り返され、ビーチのボールをふわふわと突く、それが最後は太陽になるけれど、やはりチャップリン『独裁者』のヒットラーの地球もてあそびが思い出される、暴力的管理社会の寓話的モチーフのひとつとして興味深かった。もちろん、キリストを思わせるボブとマネージャーの父子関係もいっぽうにはあり、カオスにすいこまれる部分なんてふと丹波哲郎みているのだろうかと思わなくもないなんて、そこはいいすぎでしょうか宗教的言及も意外とまじめにやっている。というかひとつのテーマとして無と神といったものもあるのでしょうね。そのあたりがリドリー・スコットのきんとした美学に対して、やはりミネソタ出身の(コーエン兄弟もミネソタですが)洗練され過ぎないものを残している感覚、まじめさ、捨てきれないアメリカ中西部性として見逃せない気もします。

http://https://www.youtube.com/watch?v=IJOuoyoMhj8

A:ギリアムのものに限らず未来社会を描いた映画で好きなもの、記憶に刻まれているものは?日本、フランスとSFのお国柄に関してはどうでしょう。自分はここに近いというのがありますか?

T:『2001年宇宙の旅』はベタですけれど好きです。

http://https://www.youtube.com/watch?v=Kf_rVyHYV6U

K:先に言ったように、SF自体があまり好きではないんですが、しいて上げるならばという作品になります。
『アルファビル』『華氏451』といった60年代の近未来SFは、面白かったです。モノクロで無機質な『アルファビル』の高速道路は、よく覚えています。

http://https://www.youtube.com/watch?v=I0Mu_Ck6ypY

アメリカ映画ですと、やはり初期の『猿の惑星』は衝撃的でしたね。

http://https://www.youtube.com/watch?v=y1BTo6_Dkjc

英国的だと、これもメジャーですが、ニコラス・ローグの『地球に落ちて来た男』ですね。この映画も、実はストーリー自体は大した事ないのですが。テーマははっきりしていますし、ボウイの魅力と合わせてですが、心に刻まれるものは、強いと思います。
最近の作品だと、絶賛は出来ませんが、『クラウドアトラス』で描かれる世界には、時空を超えていると概念も含めて、面白さを感じました。
日本映画だとなかなかしっかりと近未来を描く作品というのには、出会えないですね。すぐに思い当たる作品はありません。日本の場合には、予算の都合もあり、なかなかSFは難しいです
特にアメリカ映画の物量作戦のようなSF映画を見てしまうと、見た目は何も変わっていないゴダールのような近未来SFの方が、面白くて、見応えがあると思います。

A:『地球に落ちて来た男』はボウイの美しいエイリアンぶりにも増して時と記憶、その流れと澱みに翻弄される人という存在の寂しさをめぐるニコラス・ローグの眼差しが好きでした。すっかり忘れていたんですが見直してみるとボウイが隔離される部屋の、森の壁紙に埋もれた扉を開いて――という件りがあって、ひょっとしたらこれはレオス・カラックス自身が登場する『ホーリー・モーターズ』のすべり出しの一景と繋がっていたりもするのではと空想したくなった。そういえば『汚れた血』もハレー彗星の接近で気温が上昇するパリ、愛のないセックスで蔓延する病、その特効薬盗難事件とノワール仕立てにSF風味が染みている。

http://https://www.youtube.com/watch?v=4Tt9dEDUnGA

N:僕は圧倒的に『ブレードランナー』なんです。VIDEOやDVDを含めると50回以上は見ています。様々なシーンが記憶に刻まれています。個人的には『ブレードランナー』はSFというより、ハード・ボイルドのジャンルに入るのですが。。
テリー・ギリアム作品以外で好きな未来社会モノは『時計仕掛けのオレンジ』『THX1138』。

http://https://www.youtube.com/watch?v=G7fO3bzPeBQ

http://https://www.youtube.com/watch?v=4hLXOVCZr-8

日本で未来社会を描いた映画なら、実写でなく先ほども言ったように『攻殻機動隊』や『AKIRA』などのアニメーション作品を見るべきです。

http://https://www.youtube.com/watch?v=zIgFpdix8PI
日本の実写SFがいまいちなのは予算や人材の問題も大きいと思います。『エヴァンゲリヲン新劇場版:Q』で同時上映された『巨神兵東京に現る』は、庵野秀明・鈴木敏夫制作、樋口真嗣監督の約10分の短編ですが、実写特撮SF映画としてはアイデアもあって迫力満点でした。
フランスも映画より、漫画の『MOEBIUS』が好みです。あの静寂でいて浮遊感あるイラストは大友克洋にも影響を与えました。そんな点でも漫画やアニメの世界では日本とフランスは共鳴しあっているんでしょう。昔初めてMOEBIUSの画集を見たときは本当にショックでした。
でも、『2001年宇宙の旅』のスタンリー・キューブリックを始めリドリー・スコットもいますし、幼少の頃に影響受けた『サンダーバード』や『謎の円盤UFO』などを作ったジェリー・アンダーソン、SFの父H.G.ウェルズ、やはりSFといえばイギリスの印象が強いです。

http://https://www.youtube.com/watch?v=LLlN-4BCXWY

K:『ブレードランナー』は『地球に落ちて来た男』と二本立てで見たな、そしたら『地球に落ちて来た男』の方がかっこよくて。。。

N:そうかなあ あれ、ニコラス・ローグの中では一番ダメなんですよ(笑)
『ブレードランナー』はランナーつながりで名画座で『炎のランナー』といっしょにやってて、『炎のランナー』が終わると客が全員いなくなっちゃうの。ターゲットじゃないよって感じで。

T:確かにリドリー・スコットはギリアムとはちょっと違うと思った。ギリアムはストーリー的には自分の話だよね。『ブレードランナー』はやっぱりハードボイルドなんじゃないの? 設定、ストーリーとしてはね。

K:ハリソン・フォードでしょ、あの頃のハリソン・フォードってスティーブ・マックィーンをへたくそにしたみたいでね、超ワンパターン。

N:その棒読みのナレーションとかがブレードランナーは効いてるんですよ。
あれを演技っぽくやっちゃうとすごくクサくてだめな映画になっちゃうんですよ。

A:昔のフィルムノワールもけっこう棒読みっぽい。

N:そうそう。それが雰囲気ばっちりだった。あと音楽バンゲリスだったし(『炎のランナー』との二本立てはバンゲリスつながりだったわけか。。。)。嫌いじゃない要素がいっぱい。

T:川野くんはSF嫌いなの?

K:『2001年宇宙の旅』もだめなんだよ。眠くなっちゃって。キューブリックはあれ、『現金に体を脹れ』は好き、あと最後の『アイズ ワイド シャット』。

N:川野さんはスタイリッシュなところが画面にないとだめなんですよ..
ストーリーや画面にちょっとファッショナブルな所が必要ですね.

T:スタイリッシュにくせがあるから

A:でも『ブレードランナー』も一応スタイリッシュな映画ってなってますよね。

N:でもちょっと違うんですねえ。

K:SFじゃないけどリドリー・スコットでは『悪の法則は面白かった、珍しくね。

T:川野くんがだめってところをもう少し掘り下げてみたいですね(笑)

K:SFの描き方って、フランス映画のように、個々の考える未来を、象徴的に、なおかつ内省的に表現する手法もあれば、ハリウッド的なティピカルな未来イメージで、より多くの方に訴える目的の映画もありますよね。
後者も作品によるんですが、僕はやはり前者の方が好きです。
今回の作品でも、テリー・ギリアムは、アイデアも演出力も素晴らしいと思います。彼の世界観は確立されています。後はそこにジョイン出来るのか出来ないかのかだと思います。
ギリアムは、すごくひねり過ぎちゃっているというか、変化球過ぎてしまい、映画の本質的な部分の強さが、ボケて見えてしまう危惧を、今回は感じました。
逆にそのひねりが面白い方には、とことんハマれる映画なのかもしれません。

http://https://www.youtube.com/watch?v=6-pO-ACAtRc&feature=player_embedded

『ゼロの未来』配給ショウゲート5月16日よりYEBISU GARDEN CINEMA、新宿武蔵野館他にてロードショー
原題:The Zero Theorem 公式サイト:www.zeronomirai.com

Mes séances de lutte /ラブバトル

『ラブバトル』 メイン
ジャック・ドワイヨンの新作が19年ぶりに日本で公開される。それだけで快哉を叫びたくなる。
アートシネマの現状は相変わらず厳しい冬を抜け出せずにいるけれど、そんな中でも我関せずとあくまで小さな話、小さな映画で勝負し続けるドワイヨン。その強固な意思を確認させる『ラブバトル』、同様に男と女の普遍の闘いをみつめ、自らの世界を頑として貫く荒井晴彦脚本の『海を感じる時』と2本立てで見てみたくなる快作だ。あるいはシンプルさの極みがどれほど豊かな奥行を抱え込むかという点では奇しくも同じ日に公開されるブレッソンのデジタルマスター版『やさしい女』とはしごでの鑑賞をぜひお薦めしてみたい。
 作曲家ドビュッシーが愛娘クロード=エマのために書いたというピアノ組曲「子供の領分」の最終曲「ゴリウォークのケーキウォーク」に伴われ映画はさらりと幕をあげる。ほんのりと哀調を帯びながらおどけた気分がやけのやんぱちで弾けているかにも響く奇妙に懐かしい楽曲に先導されてみごとにさりげなく立ち現れる名無しのヒロイン。ミニスカートの白い脚が幼女のいたいけなさこそを縁取っているブロンドの娘は、周りの世界のことなどお構いなしといった風情(ドワイヨン的一目散!)でやってくる。かたや丘の上の屋敷で彼女の到来を半ば予期していたかのように迎えうつロダンの彫刻然とした逞しい男(彼もまた名無しのままに描かれる)。ふたりの間に“未然形の過去”があるらしいことを無駄口叩かず明示するドワイヨンの映画は、“彼女”と“彼”の飽くなきバトルをしぶとく見すえていく。

ラブバトル
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「伝統的なウエスタンのように撮った」とそんな新作を監督は述懐してくれたのだけれど、実際、映画は男と女の“決闘”を、ふたりの勝敗をめぐるサスペンスではなく、むしろ闘うこと自体が目的と化し儀式となっているような関係として差し出す。そこに対決よりは共闘の意志をスリリングに浮上させていく。心身ともにぶつかり合い理屈や言葉を脱ぎ捨てていくふたりの愛の軌跡は知恵の木の実を口にする前のアダムとイヴ、その始源の歓びの世界へと逆行していくかにもみえる。セザンヌのタブローに触発されて生まれた映画は原題にある”闘いのセッション”の記録として立ち上がり、爽快な疲れの感覚に観客をも巻き込んでいく。父の亡霊を乗り超えようともがく女は父の代理役を請け負う男(そこには身分差や性差も端から平等な関係を阻んで見え隠れしている)に飽くことなく挑みかかる。その姿は母の死を受け容れるまで『ポネット』の幼女が示した爽やかなまでに頑なな闘志を迷いなく継承するかにも見える。アブデラティフ・ケシシュ(『アデル、ブルーは熱い色』)の『身をかわして』でも即興と見まがう自然な身体性を獲得しつつどこまでも脚本に忠実な演技をものした女優サラ・フォレスティエとチャップリンの孫ジェームズ・ティエレ。ほぼ全編をふたりの場面、ワンシーンワンカットの長回し、手持ちでありながら厳格に“振り付け”を体現して演者のバトルに加わるキャメラの動きで構成したこの新作は、即興と見えて実はどこまでも演出された映画と新鋭時代のドワイヨンを絶賛したトリュフォーの眼の確かさを40年を経た今も証し続けている。

ラブバトル
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配給:アールツーエンターテインメント

2015年4月4日、ユーロスペースほか全国順次ロードショー