「FEATURED」タグアーカイブ

Ready Steady Go!(レディ・ステディ・ゴー) / Tokyo London Fashionのエヴァンゲリスト。

DUFFER OF ST GEORGEの創設メンバー。手前がバリー・K・シャープ。
DUFFER OF ST GEORGEの創設メンバー。手前がバリー・K・シャープ。

渋谷の並木橋に30年近くロンドンファッションを売り続けている店がある。今や日本のモッズファッションの代名詞にもなっているREADY STEADY GO(レディ・ステディ・ゴー)だ。この店がオープンしたのは、1985年。以降最新のロンドンスタイルを東京に紹介し続けてきたエヴァンゲリストREADY STEADY GOを、今回はSTYLEコーナーで紹介させて頂きます。

今では最新のロンドンストリートスタイルが満載のREADY STEDY GO!だが、開店当時は古着や、デッドストックを扱う店だった。古着と言っても、ツイードのジャケットや、英国のスクールジャケット、バーバリーのデッドストックなど、英国メンズウェアの伝統的なアイテムを、独特の視点でセレクト。
僕も当時紺の4つボタン2つがけのジャケットを買い、仕事で永らく愛用をしていた。

時を同じくして、1985年ロンドンのポートベローに、デッドストックを中心に扱うブランド DUFFER OF ST GEORGEの初のショップが誕生していた。

最初のDUFFERのショップ。ポートベローで、デッドストックやヴィンテージ中心に扱っていた。
最初のDUFFERのショップ。ポートベローで、デッドストックやヴィンテージ中心に扱っていた。

バリー・K・シャープ、マルコ・ケアンズ、エディ・プレンダーガスト、クリフ・ボーエンの4人でスタートしたDUFFERは、クラシックなデザインを生かしたオリジナルを作り始め、これがレアグルーヴやアシッドジャズの流行との相乗効果で大きくブレイク。1987年にはオリジナル商品のショップをロンドンのSOHOにオープンし、いち早くREADY STEADY GOでも輸入されるようになった。

DUFFERの中心メンバーのショット。気崩したテーラードに、ビットモカシンが効いている。
DUFFERの中心メンバーのショット。崩したテーラードに、ビットモカシンが効いている。
ヴィンテージのデザインを再生したニットジャケット。DUFFERの人気アイテムだった。当時はmade in Italy. ヴィンテージのデザインを再生したニットジャケット。DUFFERの人気アイテムだった。当時はmade in Italy.
DUFFERは、クラシックなモチーフのレザーアイテムにも定評があった。このジャケットは凝ったデティールが特徴的だが、今着るには着丈がやや短め。 DUFFERは、クラシックなモチーフのレザーアイテムにも定評があった。このジャケットは凝ったデティールが特徴的だが、今着るには着丈がやや短め。

DUFFER以外にも、レアな音楽寄りのアイテムをREADY STEADY GOでは、どこよりも早く輸入していた。HIP HOPブームを巻き起こしたRUN DMCや、クラッシュを脱退したミック・ジョーンズのニューグループBIG AUDIO DYNAMITEのアイテムからは、生のロンドンが観じられ、大いに刺激を受けた時代である。

ROCKとHIPHOPをミックスしていたBIG AUDIO DYNAMITEのキャップ。3色持っていた。他にはパーカーもある。
ROCKとHIPHOPをミックスしていたBIG AUDIO DYNAMITEのキャップ。3色持っていた。他にはパーカーもある。

90年代になると、DUFFERの主要メンバーが分裂。ミュージシャンもしていたバリー・K・シャープは、自分のブランドSHARPE EYEを作り、READY STEADY GOでも販売していた。
そしてケネス・マッケンジーは6876を創立。ロンドンパンク(1976)の精神で、パリ革命(1968)のスタイルをコンセプトにした6876は、1995~2002年まで、READY STEADY GOの主力ブランドとなった。
やや混沌としてきたDUFFERを離れた6876のデザインは、テーラードとカジュアルの程よい中間に位置し、PRADAと同レベルの素材と、凝ったデティールで価格以上のクオリティを常に維持しているブランドだった。

6876のケネス・マッケンジー
6876のケネス・マッケンジー
6876のヘリンボーンジャケット。カジュアルなエッセンスを盛り込んだ良質なテーラード。写真ではわからないが、ボタンなし本切羽の袖に、サイドポケットはインナーでダブルになっている凝った縫製。 6876のヘリンボーンジャケット。カジュアルなエッセンスを盛り込んだ良質なテーラード。写真ではわからないが、ボタンなし本切羽の袖に、サイドポケットはインナーでダブルになっている凝った縫製。

洋服以外では、ヴィンテージレザーを使ったインド人デザイナーのバッグJas MBを、世界中でブレイクする前に、ピックアップ。シューズではLOAK Bros、パトリック・コックス、トリッカーズ、ジョニー・モーク、ジョージ・コックスなどのUK人気ブランドをいち早く輸入。
HUDSONのポール・ウェラーがディレクションしたCHROMEというブランドも日本で唯一販売していた。
ポール・ウェラーディレクションのクロームのシューズ販売時にポール・ウェラーからプレゼントされたサイン入り写真。 ポール・ウェラーディレクションのクロームのシューズ販売時にポール・ウェラーからプレゼントされたサイン入り写真。


ポール・ウェラーモデル。メッシュが格好いいが、作りが繊細過ぎるシューズ。
ポール・ウェラーモデル。メッシュが格好いいが、作りが繊細過ぎるシューズ。

モッズ系定番アイテムとしては、誰もが一度は見かけた事のあるであろうロゴを使ったパーカーやスウェットがある。

モッズアイテムの必須品。オリジナルパーカー。
モッズアイテムの必須品。オリジナルパーカー。

最近では、OUR LEGACY、YMC、ADAM、Mercなどの従来の路線のブランドに加えて、よりクリエイティブなロンドンファッションや、フランスや南米など英国もの以外の旬なトレンドもピックアップして輸入しており、ファッション好きには目の離せない存在で居続けている。

パリのコレットで大人気のINSIDEOUT
パリのコレットで大人気のINSIDEOUT

ヴィンテージジュエリーにヒントを得たロンドンの女性デザイナーKAT MACONIEのシューズ
ヴィンテージジュエリーにヒントを得たロンドンの女性デザイナーKAT MACONIEのシューズ

LEATHER SATCHELは、英国のランドセルが原型。カラフルなカラーリングが特徴。
LEATHER SATCHELは、英国のランドセルが原型。カラフルなカラーリングが特徴。

RSGを創った後藤田和仁さん。
RSGを創った後藤田和仁さん。

このTOKYO LONDON FASHIONのエヴァンゲリストである後藤田和仁さん=READY STEADY GOと、セルクル・ルージュがコラボレーションしたプロジェクトが年明け早々スタートするので、詳細は近々アップさせて頂きます。

Message from Hiroyuki Nakano (中野裕之監督”Flying Bodies”)

中野裕之監督と、青森山田高校男子新体操部荒川栄監督
中野裕之監督と、青森山田高校男子新体操部荒川栄監督

中野裕之監督のノンフィクションフィルム「Flying Bodies」は、お陰さまで大変好評で、テアトル新宿での上映は、本日より2週間の上映延長となりました。
立川シネマシティ2で12月12日(木)19時半より開催しますスペシャルイベント・スクリーニングも、出演者が決定し、チケットも残り少なくなってきております。
尚12日当日は、中野監督がある大物ミュージシャンとのコラボレーションで、モンゴルで撮影した新作ショートフィルムが、本邦初公開として同時上映される事になりました。

代々木国立競技場での本番撮影時のオープニングは、涙が溢れてしまい、カメラをうまく動かせなかったという中野監督のこの作品にかける熱い想いを、メッセージとして頂きました。
作品を既にご覧になった方、これからご覧になる方、そして今はご覧になる予定のない方も、是非このメッセージを読んで頂ければと思います。
中野監督は、青森大学新体操部の部員達と正面から向き合い、狙って撮るドキュメンタリー作品ではなく、純粋な記録映像として、商業ベースでは考えれない程の時間をこの作品に注ぎ込み、素晴らしいノンフィクションフィルムを作り上げました。

以下中野裕之監督からのメッセージです。

僕は音楽が好きでミュージシャンになろうと
思って青春時代を過ごしました。
そして、自分の才能のなさは自分が一番良く知っている
ということで、映像の世界に方向を変えました。
そこで、僕の生き方を導いてくれた上司に出会いました。
残業はするな、仕事は早く終わらせて、面白いことに時間を
かけろ。おかげで、早く仕事を終わらせて遊びまくったおかげで
いろんな世界の人とも知り合ったり、出会ったりして
今の自分ができたと思っています。

今回、青森に行って、僕がギターに没頭していた青春時代の代わりに
体育館の中で青春を過ごす男子新体操部の学生さんたちに
出会いました。
純粋で、指導の先生や監督の言うことを素直に聞く統制のとれた
体育会系の若者。
そこに、外人ですよ。しかもスパイダーマンを合成じゃなくて
劇場でビュンビュン空中を飛ばす舞台の演出をやったような
外人がきて、無茶なことを言うんです。
それをやったらぶつかるでしょ、ああ、ほらぶつかった。
そして、いつのまにか、それが形になっていくんです。
3ヶ月くらい観察していて、
気づいたことは、ただ、ひたすら、集中してそのことだけを
やることが許される時には、それをまっしぐらに追求して
いくと、大変だし、つらいけど、やっぱり、なにか精神を
成長させるような山を超えることができるということです。

これは、ものを作ったり、なにかの仕事をやれば
体験できることでもありますけど。
青森大学男子新体操部はとにかく特別なんです。

選ばれた能力をさらに磨いてのみ到達することができると
言う意味では、歌を歌える人やギターがうまい人は1億人くらいいた
としても、必ず、人を感動させることができる人は少ないという
事実や、1000人デビューしてCDを出しても
10年後には2人くらいしか残っていないということで、
夢があっても挫折があるという意味では、芸能の世界もスポーツも
はかなくてきびしい世界なんですが、
映画、「ラストサムライ」で、最後にいい台詞があって、
「どうやって死んだじゃなくて、どう生きたか教えてくれ」
ってあって、
まさしく、生きているその瞬間が輝く時のために
苦労があって、怪我して挫折したとしても、
一度でもそのすばらしい輝きに到達した瞬間を体内に
覚えさせたとしたら、その人はその後に運動できなくても
違う人生を歩む時に、乗り越えていく力を持っているし
その子孫にDNAに記録されて伝わっていくんだと思います。

そんな輝く瞬間を撮れたことに感謝しています。

中野裕之 Hiroyuki Nakano