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Cinema Discussion3 “Only Lovers Left Alive”/「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ」から見えてくる二人のミュージシャン


「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」

新年明けましておめでとうございます。
2014年最初のアップは、12月20日に公開されたジム・ジャームッシュ監督の新作「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ」をテーマに、映画を多方面な角度から分析するシネマ・ディスカッション3です。
参加者は映画評論家川口敦子さんをナビゲーターに、川口哲生、名古屋靖、川野正雄の4名です。
今回は作品からつながってくる映像を、ジャームッシュも好きだと言い作品にも登場するYOU TUBEから幾つかご紹介する事で、皆様のイメージも膨らませて頂けるように構成しています。

川口敦子(以下A) この作品は、引用やトリビュート的に様々なアーチストの名前が出てくることが話題になっていますが、人軸から見えてくることを中心に、ジャームッシュがこの作品で狙っている背景を考えてみたいと思います。
まずは皆さんの印象や、ジャームッシュについての想いを聞かせて下さい。

川口哲生(以下T) 夜のデトロイトの、暗い中でモゾモゾやっているところが、「ダウン・バイ・ロウ」とかに通じて、ジャームッシュ的。
個人的にはティルダ・スウィントンに救われているなと感じた。デレクジャーマンとかボウイとか、「ブリングリング」で描かれているSNSで自慢をして、大量に消費していく若い子達とは対極にある、バンパイアの様に希少化しても面々と存在していく生き延び方が面白い。

川野正雄(以下M) 資料を見てみたら、「パーマネント・バケーション」以降の長編は全て劇場で見ている事に気づきました。フリークではないんだけど、気になる存在である事は間違いないです。前作「リミッツ・オブ・コントロール」は、ドロドロし過ぎている印象で失望したので、今回の作品で本来のユーモアと、リズムを取り戻してくれたように思います。
実はジャームッシュとは縁があって、何回か遭遇したことがあります。直接話したのは、昔僕がDJをしていた西麻布のクラブに来て、わざわざDJブースまで本人がリクエストをしに来た時。そのリクエストは、当時流行っていたスパイク・リーの「ドゥ・ザ・ライト・シング」の1曲目パブリック・エナミーの「FIGHT THE POWER」。残念ながらあいにく持って来ていなかったので、ジャームッシュのリクエストには応えられなかった。もっとマニアックなリクエストを想像していたので、ベタな希望が意外。

名古屋靖(以下N) ジム・ジャームッシュがクスクス笑いながら脚本書いていそう。
久しぶりにもう一回見なくては、と思わせる映画。
でも「是非見たい」というより、次回はパンフレットを手始めに、その周辺の情報も取り入れてからキチンと学習した上で見て確認してスッキリしたい系。
ジャームッシュの趣味や答えの無いナゾナゾがちりばめられてますね。

C)2013 Wrongway Inc., Recorded Picture Company Ltd., Pandora Film, Le Pacte &Faliro House Productions Ltd. All Rights Reserved. C)2013 Wrongway Inc., Recorded Picture Company Ltd., Pandora Film, Le Pacte &Faliro House Productions Ltd. All Rights Reserved.[/caption]

M タランティーノが、自分が好きだったマカロニ・ウエスタンやナチ物、ブラックムービーなどを自分流に作って、ある種のリスペクトを表現しているのと同じように、この映画からは、ジャームッシュの古典的な吸血鬼映画へのリスペクトを感じました。
新しい吸血鬼映画のように見えますが、古典的な吸血鬼周りの伝説〜夜しか行動しないとか、心臓に木の杭を打つと死ぬというようなお約束は、キッチリと守られているのが面白かった。

A 「ゴースト・ドッグ」は、メルヴィルへのオマージュが込められていると言いますし、そういう過去の映画に対するリスペクト的なテーマは、常に彼の中にはあるのではないでしょうか。
今回は吸血鬼映画がお金になるというので撮ったと、インタビューでは言っています。吸血鬼映画の歴史全体に愛情を持っているが、現代のコマーシャルなバンパイヤストーリーには関心がないようなコメントもあります。
ここでは吸血鬼を題材にする事によって、アナログ、アウトサイダー、ボヘミアンへの彼の執着を描いているように見えます。
夜のデトロイトドライブ、あの暗すぎる夜の中がジャームッシュ的だし、デトロイトのおひざ元で育ったアクロン・オハイオの子ジャームッシュのルーツにも関わってくるのかもしれません。

M タンジールの夜の街並やドライブシーンは、デトロイトと対象的に、とても美しく撮っていますね。今までのジャームッシュには見られないビューティフルショットだと思いました。モロッコを撮影場所に選んだ理由も気になりますね。

A そういうジャームッシュの世界ですが、軸をティルダ・スウィントンに移してみると、案外70年代的ジャンルを越境した表現者たちの生き延び方を考えられるかもしれません。
参考としてティルダが出ているボウイの「The Stars(are out tonight)」を見てみましょう。

M デビット・ボウイといえば、カトリーヌ・ドヌーブと共演した吸血鬼映画「ハンガー」がありますね。
デカダン的なバンパイヤラヴストーリーというエッセンスは、共通のものが観じられます。

A エイリアン的な存在を描いたボウイ作品としては、ニコラス・ローグの「地球に落ちて来た男」もありますが、その影も観じられますね。

A もう一人この作品の重要な存在が、ディレッタント的プロデューサー ジェレミー・トーマスです。
彼は「戦場のメリークリスマス」を作っていて、ここでもボウイがキーパーソンになってきます。

A ジェレミー・トーマスは、デビット・クローネンバーグが、ウイリアム・バロウズの原作を映画化した「裸のランチ」にも関わっています。この辺がモロッコのヒントになるのかもしれません。

N タンジール編に出てくるカフェ「千一夜」のオーナーがガイシンで、彼はバロウズにカットアップを伝授している。

A 影武者的存在への共感も観じられます。 シェークスピア/マーロウの関係もそうだし、バロウズ/ガイシンにもある――映画そのものよりそこから派生した興味で見る映画とも言える要素がありますが、その辺がジャームッシュが若い観客にもうひとつ受けない理由にもなるのでしょうか。

N まるで「時代劇」を見ているかのようなのでは…遠い距離感(自分とは遠いので感情移入が難しい)があるのかもしれません。
「そこから派生した興味で見る映画」は今の若者には面倒臭い映画なのかもしれませんね。もちろん、好きな子もいますが。ただマジョリティではないですよね。

A キャラクターたちの造形にも、その辺は顕著ですね。 英国的なスーパースノビズムvsゾンビ・センターLAのような関係性が存在しています。

T ブリングリングのブランドでのname drop(ひけらかす)とは違う、いろいろなちりばめられた記号を(音楽やアート、底流を流れる文化的リスペクト)おもしろがれるか?全くわからず引っかからない層、そしてわかって鼻に付く層、そしてつぼにはまる層と分かれそう。自分たちが好きなアーティストの影響を受けたり、カバーした曲を掘っていく感覚を持った層が、どれだけ存在するのか。

N 「俺のインテリジェンスとオシャレなユーモアについてこい!」的なところが若い人がついてこない理由かも。若い子は掘り起こすの好きじゃない子が多いらしいし。昔ならそんなジャームッシュの映画に惚れたら、その周辺の音楽から文学、それこそファッションまで掘ったもの。いまそれはかっこよくない行為かもしれない。今は一生懸命が暑苦しい時代になってきているのかもしれません。

A ポストモダンとレーベルつけるといやがるだろうが、その中で愛されるセンスと、そこから出ようとしないことの功罪があるのでしょうか。

M 主人公トム・ヒドルストンの生き方が、ジャームッシュの生き方に被ってきますね。

N トム・ヒドルストンも歴代の成功したミュージシャンと逢っていますよね。彼は曲を提供するだけで、代わりに作品を広めるのはゾンビ(人間)。純粋に芸術家としての行為。たぶん血を飲むのと同じいくらいに重要で必要な作業。ただし名声は一切求めていない。永遠に生きるための退屈しのぎでしょうか?
壁に飾ってあったジョー・ストラマーの写真も気になります。

M 会話に出てくるエディ・コクランや、ジョー・ストラマーは、いかにもジャームッシュ的ですね。この世にいないミュージシャンへのレクイエム的なエッセンスも込められているように思います。
これは、ジャームッシュが撮ったジョー・ストラマーの追悼フィルムです。曲はボブ・マーリィのカバー。
4分という短い尺の中に、ジャームッシュらしい夜の闇と昼のコントラストが描かれています。
クラッシュNY公演に、アンディ・ウォホールと共に楽屋を訪れていたスティーブ・ブシェミも登場しています。

M もう一つ気になったのは、オープニングで7インチがかかるワンダ・ジャクソン。ジャームッシュは、「ストレンジャー・ザン・パラダイス」では、スクリーミン・J・ホーキンスの「I PUT A SPELL ON YOU」をうまく使うなど、R&RやBLUESには造詣が深いけど、なんでワンダ・ジャクソンなのか、最初はよくわからなかった。チェット・アトキンスやエディ・コクランと同じR&R的な流れと言えなくもないんだけど。
これは彼女の最大のヒット曲「フジヤマ・ママ」。この「フジヤマ・ママ」つながりで考えていくと、アイデアの原泉も見えてきます。

M こちらはクラッシュ日本公演の映像。当時のポール・シムノンのガールフレンド、パール・ハーバーが、「フジヤマ・ママ」を歌っています。この映画ではギターロック的な曲に重きを置き、パンク的な曲はあえて使っていないように観じましたが、やはりジャームッシュのルーツミュージック的には避けては通れない部分ではないかな。

A 好きなものへの投影は、常にテーマとして内在していますね。

M デビット・ボウイと、ジョー・ストラマーという作品自体には直接関係のないアーチストの影が見えてきました。

N 映画を見た後に調べると、場面場面でのシャレやギャグの意味が色々分かって来る。事後復習する事で見る前より興味がどんどん湧いて来る。また見たくなる、確認したくなる。何度も楽しめる映画。
ティルダはクールでかっこよかったのですが、ラストシーンの表情はお笑い。あそこで、ああ、これはお笑い映画なんだと気がついた(血のアイスバーとか)。

M 液体(血液)は、飛行機機内に持ち込めないとか、血液型によって、飲み物としての血のグレードが変わったりとか、今回はとてもひねったユーモアが生かされている。

A エンディングは、サバイバルの本能を描いたように観じました。
全体としては、ジャームッシュとジェレミー・トーマスが意気投合して、自分達の好きな物を集積させて(見えなくても)、作った作品なのではないでしょうか。
二度見る事によって、新たな発見が幾つも見つかるような映画ですね。

T 昔ジャームッシュが好きで、ここのところ離れていたジャームッシュファンにはぜひみてほしいと思います。

『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』は12月20日よりTOHOシネマズ シャンテ、ヒューマントラスト シネマ渋谷、新宿武蔵野館他全国公開中です。
作品公式HP。

Cinema Discussion-2 / 「The Bling Ring/ブリングリング」ー”狂ってるけどピュアなアメリカの今”

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えるセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション第2弾は、12月14日に公開するソフィア・コッポラ監督の「ブリングリング」です。
今回の参加者は、前回と同様に映画評論家川口敦子さんをナビゲーターに、川口哲生、名古屋靖、川野正雄の4名です。

川口敦子(以下A)この映画を観て感じたのは、SNSも加わって進むリアリティのなさのリアリティ、過剰化する自己顕示欲が、セレブリティファッションという一つの象徴で描かれているので、今日はその辺をテーマに語り合ってみたいと思います。

川口哲生(以下T)アンディー・ウォーホルの「誰でも十五分間有名になれる」といった世界観がSNSと相まって現実化し、過剰な自己顕示欲のはけ口をもとめているといった感じがします。

A ウォーホルのコメントについては、コッポラもNYタイムズでのインタビューでもふれていて、今、彼がいたらどう言うかというコメントがあって面白かった。本当にウォーホルが何ていうか聞いてみたい。

名古屋靖(以下Y) 逮捕後に犯人達がセレブ気取りで雑誌やテレビに登場しますね。ソフィアコッポラが朝日新聞のインタビューで、「かつては偉業を成し遂げた人が有名になった。今は誰もが有名になれる。気が付けばフェイスブックに何千人という読者が付いている。そうなると、誰もが自分も有名になるべきだと思ってしまう。それは非常に怖いことだと思います。」と語っていました。今のSNS文化(や情報過多)の危険性を訴えるのが、一つのテーマなのかな。実はみんなVIP好きだし選ばれた人になりたい。セレブリティのように、キラキラした生活、パーティ、ファッションなど、表部分の見える所だけ憧れるセレブリティをなぞる行為がリアルに描かれている。

A 彼女のこれまでの作品に共通するのは、セレブリティがテーマとして常にある点と、地に足つかない感触のリアリティがある点。
ただこれまでの映画では、パークハイアットに取り残されたスター、宮殿のマリー・アントワネット、シャトー・マーモントで娘と親しむスター――と、地上から少し浮遊した所にある現実、そこに生きる感覚をある種、自伝的に内側から、やわらかく描いていた。それに対して同じセレブリティを扱っていても、今回の作品で描かれてるセレブ文化に対しては距離感がある。客観視しつつ、決して意地悪に描いているわけではないのが、いいと思いました。

(C)2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
(C)2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved

川野正雄(以下M)僕は同じタイミングで見たので、「ウォールフラワー」との対比がとても面白かった。エマ・ワトソンという主演女優も一緒だし、内気な男の子のハイスクール初登校の不安な気持ちがオープニングというも、友人たちに巻き込まれて、その男の子もブレイクスルーしていくという流れも同じでした。
ただ80年代が舞台の「ウォールフラワー」とは、見た後の感触が全く違う。「ウォールフラワー」の方が、誰もが暗く鬱屈しているけど生身の人間ぽく、「ブリングリング」は、フェイクっぽい。使っている音楽も時代性の象徴もあると思うけど、スミスやデビット・ボウイに対して、今時のヒップホップが満載。

A ティーンエージャーのギャングものやハリウッドの内幕ものは定番として昔から沢山あるけど、映画と現実の境界の喪失といえばのハリウッドで、富や名声を得るための裏切りとか犯罪を描いたバックステージものとは別の次元の、現実感の消失がここで描かれた女の子たちの今と彼女たちの日常生活の場としてのハリウッドにはありますね。

M そこにファッションやセレブという要素が加わって、すごく新しく見えるのだと思う。

(C)2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
(C)2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved

A セレブリティ、ファッション・アイコンの描かれ方。いわゆる日本の女性誌がなびくようなファッションと、それに対するほんとに素敵なファッションのこともちょっと考えてみましょうか。

M 彼女たちはルブタンの靴が好きなのか、パリス・ヒルトンなどのセレブが履いているから好きなのか?

Y セレブが使っているから価値が上がるという方が正解だと思います。きっかけはセレブリティでしょう。部数が伸びるから女性誌も取り上げる。現在の多くの女性が興味ある対象で、嫌いでも気になる。バカにしてるけど、ファッションは好きだし真似したい。チャンスがあれば手が届きそうな近い距離感の錯覚が、さらにセレブリティを手軽なお手本として取り上げる理由のような気がします。

この映画の主人公達はクラスの中心やメインではない、ファッション好きのギークたちで体育会系でもないクラスのヒエラルキー上位ではない子。オタクの一種。追っかけの新種かも。そんなちょっと冴えない彼らにとって、この事件は自分がスターになれるチャンスだったんだと思う。子供同士が、好きな芸能人の話やその人が着ている服、今年の流行について話して盛り上がるのは日本でも普通の事。日本でもちょっと前、キムタクがドラマで着ていた服がバカ売れするとか同じ次元でしょう。ネットで調べれば自宅住所も簡単に分るし、たまたま近所にセレブリティがいっぱい住んでいたので、そこから一歩踏み出してみただけ。

M それは昔のハリウッドスターと、今のスターとの違いであるかも。昔だったら、スターは手の届かない存在で、スティーブ・マックイーンの家に盗みに入るなんて、考えられない。軽い気持ちで侵入し、拝借できちゃうのが、今のハリウッドセレブなのかも。

T テレビの芸能人の着ているもののブランドや金額をおおっぴらに競うような価値観の当たり前化も後押ししてる様に思うな。セレブリティ側からブランドをname dropして流行を生んでいるんだみたいな。煽っているて言う感じ。英国的な真新しいものやこれこれ見よがし的なものを嫌悪する「はにかみの美学」の対極かな。僕らはもっとファッションアイコンでもわかりにくさをおもしろがって来たし、着こなし方とかわかりにくいところを解きほぐしていくことが自分にとっってのスターとの距離感を縮めることだったけれど。

A 本物の素敵とは違いますよね。ファッションでも昔の日本の女性誌は、センスが価値観の基準だったのが、今は幾らとか、誰が着ているブランドだとか、そういう価値観が基準になっているようにみえる。ソフィア・コッポラは、もちろんその辺の違いはわかっているし、本来の彼女のセンスも違う場所にある。

(C)2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
(C)2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved

M 日本でもスターが遠い存在だった時代から、AKB48のように身近にスター(アイドル)と、話したり握手したり、接触出来る時代になっている。誰もが有名人になれるチャンスがあったり、うまくいけばスターと友人になれるかもしれない。

Y アイドル=セレブリティ。セレブが彼らのお手本。好きなセレブリティには前科があるけど気にしないし逆にちょっとCool。だから私は捕まっても気にしない、リンジーと同じだから。だから、みんな謝らない。本当は悪いと思っていない。そんな自己中心的な彼らも、不思議と腹黒さを感じないピュア(純粋)な印象があります。反省や懺悔すればその後はあと引かないで前を向いて行こう。そんなアメリカっぽい理屈です。

T ピュアなのは、感じます。

A この狂っているけど悪気のないピュアさというのが、コッポラが描きたかった現代のアメリカなのではないでしょうか。それを肯定はしないけれど、斜めからシニカルに描くのでもない位置の取り方が興味深い。

Y 受け手側も、ふつうに考えたら、おかしい事も何となく言いくるめられている不条理。いろんなタイプとレベルの人がいるからそれぞれ色々とだまされている事も少なくないと思う。個人的にはそんな不思議なアメリカが面白くて好き。

(C)2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
(C)2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved

M 話は変わりますが、最近120分以上の映画が多い中、これは90分で簡潔ですね。この作品は90分位で一気に見せたいと考えたのかな。

Y 原作読んだのですが、こちらは彼女たちの各家庭の格差などバックストーリーも描かれていて、もっとボリュームがあり複雑な内容でした。敢えて触れていないであろうエピソードもありましたし。

A 脚本も本人だから、かなり削いだのでしょうね。

T でもその辺の潔さが、いいですね。

M ソフィア・コッポラは、こういうキャッチーな題材を、敢えて深堀りせずに、コンパクトにサラッと見せるセンスがある。

A サラッとの趣味のよさが彼女の映画をアメリカの同世代の中でも特別のものにしていると思う。ウェス・アンダーソンや元夫スパイク・ジョーンズ、マイク・ミルズ、ノア・バームバックとかヨーロッパを向きつつ核はアメリカな彼女と同系の男子監督たちのエレガンスがおたくな味をやっぱり芯にしてしまうのに対して彼女の場合はもうひとつシックの筋が通ってるような。
そんな監督の名前で見るわけではないかもしれない日本の若い子達が「ブリングリング」の登場人物をどう受けとめるのか、聞いてみたいですね。

『ブリングリング』
12月14日(土)、渋谷シネクイント他にて全国順次ロードショー

立川シネマシティでは、ソフィア・コッポラ特集上映を開催中です。
尚シネマ・ディスカッションの第3弾は、ジム・ジャームッシュ監督の新作「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ」を予定していますので、こちらも是非ご期待下さい。