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Cinema Discussion−10(part2 )/ Make it Funky~蘇ったジェームス・ブラウンのソウル(魂)

(C)Universal Pictures(C)D Stevens
(C)Universal Pictures(C)D Stevens

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッションも10回目になりました。
今回は、私たちが紹介していきたいと考えている世界=MUSIC×CINEMA×FASHIONを象徴的に描いた作品が2本相次いで公開されますので、前後半に分けて、2作品を比較しながら、紹介する事にしました。
その2作品は、共に偉大な黒人ミュージシャンを描いたアンソロジードラマ『JIMI:栄光への軌跡』と、『ジェームス・ブラウン 最高の魂(ソウル)を持つ男』です。
『JIMI:栄光への軌跡』では、ジミヘンことジミ・ヘンドリックスがスターダムに上っていく1966~67年の姿が描かれ、『ジェームス・ブラウン 最高の魂(ソウル)を持つ男』では、JBことジェームス・ブラウンの波瀾万丈な一生が描かれています。
先月part1として『JIMI:栄光への軌跡』をアップしましたが、part2の今回は、Godfather of Soulの、『ジェームス・ブラウン 最高の魂(ソウル)を持つ男』を紹介させて頂きます。
ディスカッションメンバーはいつものように、映画評論家川口敦子をナビゲーターに、名古屋靖、川口哲生、川野正雄の4名です。
今回は、part1のジミ・ヘンドリックスと基本的に同じ質問で、前半は進んでいきます。

川口敦子(以下A):まず見る前に予想した映画の描き方と違っていましたか?
違っていたらどのあたりが違っていましたか? それは肯定できるものでしたか?
伝記的な事実とフィクションの部分に関しては? 周囲の人間の配し方もそれぞれ興味深いですが現実の関係に忠実とはいえない部分もあるようですが?

川口哲生(以下T):いきなりショットガンをぶっ放し、カメラ目線で話すトラブルメーカー時代からの導入で予想外でした。(笑)でもそのすぐ後のベトナムに向かう一曲目のJBの実演がいい音でかかると体が思わず揺れました。子供時代と大人になってからの時代が交差する様が、時に妙に説明臭い所も感じましたが、ボビー・バードとの関係での「トップを張る人間として払う代償は払って生きてきた」みたいな所は興味深かったです。

名古屋靖(以下N):さすがにJBと同じ顔はちょっと怖かったのでしょう、JBの主役はほどよくグッドルッキングな容姿になり、語り口も本物より若干ソフトな印象で、内容も含めより一般の観衆に向けて事実と比べるとちょっと美化したエピソードも多めかなあと。。

川野正雄(以下M):ボビー・バードとの友情物語になっているとは思いませんでした。個人的にボビー・バードとビッキー・アンダーソンのファンでもあり、彼らの来日ライブも見ていますので、その辺の今までよくわからなかったJBファミリーのエピソードの部分に、すごく魅かれました。
JBと、ボビー・バードの関係が、これ程濃いとは知りませんでした。
映画全体としては、イメージ通りですが、ライブシーンが多く、それを演じるのも大変だったと思います。ライブ盤が有名なアポロ劇場での公演のエピソードなどは良かったですね。
ダンス含めて、自分は生では見れていない全盛期のJBのステージの熱さ(象徴としての額の汗含め)を、すごく体感できて、そこは映画として見事だなと思いました。
マントショーのMCをボビー・バードがやっていましたが、そこは違ったんじゃないかなと思いました。

A:『JIMI:栄光への軌跡』と同じく、アーティストの伝記映画の定型をはみ出す語り方、展開の映画だと思います。JBは時のシャッフル、ノンリニアな構成、JBがカメラに向かって直接、自らの物語を語る――といったスタンスがあります。

N:JBは彼の生い立ちから後期までの人生を追いかける映画だったので、ある程度シンプルに初心者でも観やすくするために、事実を加工しているところは多々ありますね。実際はもっと複雑で刑務所にも何度も出たり入ったりで、ボビー・バードとの出会いも音楽ではなく刑務所外で野球がきっかけだったと聞いています。完全なドキュメンタリーではなくエンターテイメント作品なので、多少長い上映時間も気にならないテンポの良さや度々織り込まれる笑いなどを優先した結果としてそれらの違いも肯定できます。

T:JBでは、あくまでアメリカの南部、アメリカ社会の黒人と白人という観点がストーリーの根底を貫くテーマとなっており、貧しさや母との再会、あるいは「白い悪魔(白人世界でのビジネス的搾取)」との戦いの中でのJBのセルフプローディース力、政治のパワーゲームの中での微妙なバランスといった形で映画の中で描かれているのを強く感じました。それらが時のシャッフルで描かれて、先にも言ったけれど「こんな生い立ちや環境がJBという奇跡を生んだ」みたいな一直線の結びつけを感じたのも否めないかな。
音楽的なJBの意味は、アメリカの白人をも含む市場での成功、そこからさらにブラックネスを極めるFUNKへの回帰、そしてその後のHIPHOP後の白人音楽をも含むブラックミュージック化の中での再評価等々、アメリカのなかで黒人がどう生きぬくかみたいなことを時代時代において象徴しているように思います。映画の中でJBがカメラに向かって語るところは、なにかJBが自分を鼓舞するように語り続けているようで、妙に納得感がありました。

M:JBは時空の飛び方が大胆で面白かった。
決して人格者で描くのではなく、ケチで口うるさいルールを作る奴という彼の悪い方のエピソードもしっかりと描かれたのは、良かった。
冒頭がかなり誇張はあると思いますが、日本にいると真相不明だった発砲事件で、一気に入り込めました。

A:JBの時の構成は、母に去られ、さらに自分で自分の面倒をみろと、父に置き去りにされた子供のままの孤独の心をうまくあぶり出すように編まれていて戯曲を書いてきたというジェズと、シドニー・ポラック、リドリー・スコット、アンソニー・ミンゲラってストーリーテリングにもこだわりのある監督たちの下で脚本を学んだというジョン=ヘンリーという英国出身のバターワース兄弟の脚本の力も大きい。この人たちの脚本に魅了されたミック・ジャガーが元々はドキュメンタリーとして考えていたJB映画の企画を劇映画でいこうと思い直したとメイキングで語っています。JBがキャメラに目配せするような部分というのは、昨年の快作『ジャージー・ボーイズ』でクリント・イーストウッドがキャラクターたちにキャメラを向いた独白をさせて話を運んでいったのを思い出させもしますね。

(C)Universal Pictures(C)D Stevens
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A:60年代、公民権運動、ブラックパワー、スィンギング・ロンドン等々、時代、対抗文化はたまたファッションといった背景への目もアーティストを描くのと同等のポイントになっているように思いますが,時代の描き方はどうでしょう? この時代の面白さに関してはどう見ていますか?

T:JBは公民権運動・ブラックパワー・ベトナム・さらにはHIPHOP以降という長いうねりを内包していますね。最後のバードの家のプール掃除に白人が来たのを「えらくなったもんだな」というJBに掃除人が「Mr.Brown」と声をかけて車を動かすシーンは長い道のりのが象徴的でした。スキーパーティーでの白人向けのJBから、キング牧師の暗殺の翌日のコンサートシーンや、『I’m black and proud』の収録シーンへの変遷が時代感を感じさせました。
JBの髪型の変化もそれに非常に呼応していますね。(笑)

A:JBの監督テイト・テイラーは、米南部、中でもとりわけ旧弊な差別の巣窟として知られたミシシッピー州都ジャクソン出身で、公民権法制定(1964年)直前の時代と世界を背景にした前作『ヘルプ』でも土地っ子ならではの裡からの目にものをいわせていましたね。
“ヘルプ”と呼ばれた黒人メイドの真実の声に耳を傾ける白人側からの距離の描き方とか。一見、あたりさわりない”いい映画”という感触なのに、ハリウッドの”政治的公正さ”への過剰なこだわりによる自己規制に陥ることなく、黒人も白人もそれぞれに人種だけでない差別をうけているような現実をしぶとく描いていた。
例えば社交界のボス的奥様から不当に解雇されたメイドと同じ奥様の元恋人と結婚して恨みを買ったホワイトとラッシュの金髪グラマー。ふたりが同じテーブルで分かち合うフライドチキンの一場は、それぞれに耐えて生きている人と人が分かち合う心を照らし出して、声高な主張の代わりに当り前に土地の現実を生きてきた作り手の目が感じられ、味わい深い物語の奥行きを生んでいた。といった奥行が今回の映画にもさまざまにあったと思います。ダン・エイクロイド演じるエージェントのユダヤ人という出自をさりげなく示すとかもありましたね。がむしゃらな問題提起や告発よりは楽しませつつ確かに現実に切り込む話術があるように思います。

M:JBは、描かれている期間も長いですが、見覚えのある衣装が多く登場してきて、うれしくなりました。
特に67~8年は、音楽もファッションも過渡期というか、変化になる年代で、時代がどんどん変わっていく空気を感じることはできました。音楽で言えば、SOUL,R&Bから、FUNKY SOULが生まれた時代で、その最先端がJBですね。ロックも、ジミヘンのようにサイケデリックが出てくる時代。この時代は、JBのヒストリー上も非常に重要だと思います。
JBは、自分が黒人である事を強く意識していた…
ジミヘンは白人の為のロックを、黒人であるジミヘンが演奏する事に意義がありましたが、JBは、黒人が黒人の為の音楽をやっている。
この映画を見ながら、JBのブラックミュージックであることのプライドを、強く感じとりました。
キング牧師のエピソードが挿入されていますが、同時にアメリカに於ける黒人の立ち位置というものが、大きく揺れ動き、変わっていった時代でもあるのではないでしょうか。

FUNKY SOULが生み出され、FUNK MUSICの原型が出来あがっていくエネルギー。
それが正に火を噴くようにうごめいていたこの時期、JBの作品は契約のトラブルがあり、KING,SMASHという二つのレーベルからリリースされていましたが、それぞれが良かったです。
1968年の貴重なパリのLIVE映像があります。この時期はJAZZ的なフレイバーも入っており、SMASHからリリースされた作品のテイストが感じられます。

N:良い意味で60〜80年代らしいライティングと演出が、ザ・アメリカン・ストーリーを見ている感覚で面白かったです。JIMIがさりげなくしかし深く差別問題などを提示するのにたいして、JBの方では、それすら分かりやすく加工して白黒だけでなくユダヤ系まで巻き込んで紙芝居のように見せてくれています。 片手を縛りあって、目隠しして白人の前で黒人少年同士が殴りあうエピソードも、映画では典型的な差別シーンとして描かれていますが、自伝によれば、喧嘩が強かったJBにとっては割りの良いお金の儲け口なので望んで毎回志願してたそうです。

A:この作品にはミック・ジャガーが製作で参加していますが、彼の参画を特に感じる様な描き方や、JB像、音楽、コンサートシーンなど、気づいたことはありますか?

N:さすがに本物のJBはすごいと思ったのは、映画の中のPARIS公演のシーンでした。実際のこの日の映像を見たことがあります。ステージ上のメンバー配列や衣装など、ほぼ完璧に再現されていますし、このツアーに急遽参加したベースのブーチィ・コリンズの弾く姿まで完璧です。音楽も実際の音を採用しているので臨場感も申し分ありません。ただし、主人公JBの動きがちょっと違うのです。同じアクションなのですが違って見えるのです。映画『JB』が悪いのでなく、本物のJBのキレが凄すぎるのです。その動きは人間の能力を超えた別の動物に見えるほどの激しいダンスでした。

M:JBのダンスレッスン映像がありますね。キレがすごいです。

T:ミック・ジャガーがJBのステージの袖で見ているシーンは、JBサイドから描かれているけれど、ミックにとってもアメリカという大きな衝撃だったのだろうなと思えるシーンだった。
後は、エピソードに挟まれるステージがほぼ全曲再現みたいで、やはりこの辺はミュージシャンとしてのミックのこだわりなのかなとも思いました。あとステージ側からの目線もステージにいる側のミックのものなのかも。

M:序盤でテレビの音楽番組のジミとストーンズのトリ争いの逸話があり、JBがストーンズの存在を確認する場面は、微笑ましかった。
彼らのルーツが黒人音楽=ブルースにあるという部分と、JBの伝記には何らかの意識の中での接点があったのではないかと思う。
ミックの次の企画は、プレスリーのようですね。

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(C)Universal Pictures(C)D Stevens

A:主演のチャドウイック・ボーズマンに関していかがですか? 自分だったらこの人をキャストに選んだといった案がありますか?

N:良かったと思います。作風とフィットしていました。

T:本人の口元の感じに特徴があるので、その感じとの微妙な違和感はあったように思います。でもボーズマンのJを流す「エームス・ブラウン」みたいな自らへのしゃべりかけはJBぽかったかな(笑)。結局この手のbiopicは有名で個性が強いがゆえに似ている、似ていないが気になることは否めないと思います

M:JBは、声と話し方がそっくりですね。ダンスも見事でした。歌は結局オリジナル曲を使い、新たにレコーディングした曲は使われなかったようです。
歌の訛りが違っていたそうですが、その分生身のJBとして見てしまいました。

A:やはりある程度まで”そっくり演技”を求められるなかで、衣裳や髪型の力もあって違和感は感じさせない。それよりしかし身体性というのでしょうか、生き方のリズムのようなものを纏ってみせている気がしました。

(C)Universal Pictures(C)D Stevens
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A:ミュージシャンを題材にしたこれまでの映画でお気に入りはありますか? 逆にその手の映画に対する不満は?

M:アントン・コービン『コントロール』、『ゲンズブールと女たち』『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男』。
『コントロール』は、詳しく知らなかったジョイ・ディビジョン=イアン・カーティスの素顔がよくわかり、すごく衝撃的でした。
映像も音楽も良かったし。
どの作品という事はないのですが、 ミュージシャンが生存していて、気を使いすぎる作品はどうかと思うときがありますね。

N:最近だと『きっと ここが帰る場所』は好きでした。ショーン・ペンはうまい。 あとは、『ブルース・ブラザース』『ハーダーゼイカム』『ラスト・ワルツ』とか?

T:デイヴィッド・バーンはいいですね。

M: 『きっと ここが帰る場所』は、キュアのロバート・スミスになりたい男の子が主人公でしたね。

A:ガス・ヴァン・サント『ラストデイズ』、トッド・ヘインズ『アイム・ノット・ゼア』『ベルベット・ゴールドマイン』。クリント・イーストウッド『ジャージー・ボーイズ』はフォー・シーズンズ題材のミュージカルの映画化でしたね。イーストウッドでは『バード』もあるし、やや強引にいえば『センチメンタル・アドベンチャー』も。
ジェームズ・マンゴールド『ウォーク・ザ・ライン』はジョニー・キャッシュとジューン・カーター、彼らの音楽そのものにものすごく興味があるわけではないけれど映画はとてもよかった。

M:『アイム・ノット・ゼア』は、色んなディランが出てきて、面白かったです。
グラムロック題材の『ベルベット・ゴールドマイン』とか、トッド・ヘインズは、音楽を本質的に知っている監督だと思います。

A:ずばり見所はどのあたりに?

N:ボビー・バードとの友情物語。

M:パリのライブシーン。オリジナル曲を使う事で、ライブシーンの存在感は圧倒的になっている。
もうひとつはJBファミリーのドラマ。
ボビー・バードと、ビッキー・アンダーソンは、レアグルーヴブームの先駆けとして、1988年に、JAZZY Bら、ロンドンのDJ達と一緒に来日し、芝浦のインクスティックで行ったLIVEを見ました。LIVEと言っても、バックはDJで、カラオケのようなものでした。
その時感じた若干の寂しさは、ラストの夫婦の生活シーンと、何となくつながってきます。
今改めてボビー・バードに、この映画がフォーカスしたことは、素晴らしいと思います。

A:有名なエピソードが幾つも描かれていますが、知っていたエピソードはありますか?
JBの描かれている人物像は、イメージしていた人物像と比べて、違いはありますか?人格、身なり、しゃべり方、色んな角度からお願いします。

N:10年位前に、文庫本で自伝を読んでいたので、けっこう知ってました。 自伝本よりこの映画の方が面白いです。
似ている似ていないの観点ではなく、今回の映画の主役として素晴らしいと思います。 実際はもっとクレイジーだったと思います。

T:JBはメンバーが失敗すると罰金をとるとか「Mr。James Brown」と呼ばなければならないといった絶対性に関することでしょうか。

M:真相は知らなかった乱射事件。
グループ内の細かい規律と、メイシオの脱退。
甲高い声と、すごく数字に細かい点。来日して「ベストヒットUSA」に出た時、公演回数など、すごく細かい数字を言っていた事をよく覚えています。

A:JBの最初に描かれる発砲と逃走劇のニュースを聞いたときは、驚きつつくなんだか、らしすぎて笑ってしまったように記憶しています。思い出したので入れておきますが『ゲロッパ!』って井筒監督の映画もありましたね。

M:サリー(岸部一徳)が、踊りますね(笑)。

A:劇中で使われている楽曲、JBは新たにレコーディングしたものが、訛りが違うなどの理由で没になり、JBのオリジナル曲が使われています。
劇中曲についての、印象をお知らせ下さい。

M:ライブシーンも多く、過去に映像を見たことのあるシーンもあった。オリジナルを使うことで、その再現性は高くなった。
マントショー、ホーンセクション、ダンスなど、重要なJBのアイコンが見事に再現され、観客のテンションもあがる。

T:限られた成功の前の何年間を描いたJIMIとは異なり、波瀾万丈な(笑)JBの人生を追う長尺ものは、やっぱりJBのオリジナルがあって持っているように思う。ちょっと話は変わるけれど、私はJIMIでも触れたけれど、イギリスの音楽センスや、深堀の仕方は面白いと思います。この辺は川野くんの領域でしょうが、後のレア・グルーヴのときも70年のセックスマシーンのあとのボビー・バード名義の『I know you got soul』とかPeopleレーベルとか掘っていましたよね。そういう玄人好みの感じがイギリスの音楽シーンにはありますよね。
ついでに言えばアシッド・ジャズのころ好きだったヤング・ディサイプルズのカーリーン・アンダーソンってバードとヴィッキー・アンダーソンの娘でしょ。

M:ヤング・ディサイプルズは、ジャイルス・ピーターソンが、JBの曲をレーベル名にしたTALKIN’ LOUDレーベルの最初のアーチストだから、象徴的ですよね。
カーリー・アンダーソンは格好良かったです。歌もうまいし。血統を感じます。

N:結果、実際の演奏をオリジナル曲にすることで、リアリティが増したと思います。
JBがきちんと評価されたのって、やはりHIP HOPや、レアグルーヴ以降ですよね。それまでは黒人が中心に聞く音楽だったように思います。
世界的に一番ヒットしたのは、1986年のロッキーの『LIVING IN AMERICA』ですから、かなり後期になりますよね。

T:後アフリカ・バンバータが、一緒にやってたね。

M:『UNITY』は、1984年。JBは70年代後半から、やや失速していたのが、この辺から再評価で、再浮上してきますね。

M:レアグルーヴブームの最大の貢献は、ボビー・バードのソロなど、眠っていた名曲にスポットライトを、世界的に当てたことだと思います。
JBの再評価という意味では、URBANレーベルがリミックスしたアルバム『In the Jungle Groove』が圧巻でした。

A:最後の質問です。
JBは、どのようなものを音楽シーンに刻んだと思いますか?

M:ファンキーソウルのファンデーション。
大所帯のファミリーで作り上げるグルーヴ。
極論すると、グルーヴそのものを、JBが作ったと思います。

N:JBは黒人である事を意識し続けて生きていたと思います。彼は黒人である事に誇りを持ち、尊敬される人間になることを目標に頑張っていたんでしょう。 音楽的にもジャンルをまたぐのとは逆のベクトルで、ブラック・ダンス・ミュージックを徹底追求することで進歩成長させ、ファンクという新たなグルーヴを確立した重要人物です。

T:音楽シーンに残したものはJBはやはりFUNKでしょうね。映画の中でメシオにお前の楽器は何かと聴くシーン、答えはホーンもギターもヴォーカルさえもバンド全体をドラムセットとする音楽。やはりこれはJBだし、唯一無二、そしてその後のブラックミュージックに面々と引き継がれる系譜となっている点でしょうか。

「ジェームス・ブラウン〜最高の魂(ソウル)を持つ男〜」
2015年5月30日シネクイントほか全国公開
配給:シンカ/パルコ

CINEMA DISCUSSION -11/ゼロの未来The ZERO THEOREM ~Terry G’s Brave New/Old World

© 2013 ASIA & EUROPE PRODUCTIONS S.A. ALL RIGHTS RESERVED.
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新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション、11回目となる今回は、屈折した英国的な笑いで知られるコメディ・グループ モンティ・パイソン唯一のアメリカ人メンバーであり、アニメーターとしても活躍、映画監督としても『未来世紀ブラジル』『フィッシャー・キング』『12モンキーズ』と独自のヴィジュアル世界を差し出し、また時には(しばしば?)ハリウッドと真正面からぶつかってケンカも辞さないお騒がせな存在として知られてきたテリー・ギリアムの最新作『ゼロの未来』を取り上げました。

コンピュータに支配された近未来で「ゼロ」の数式解明の任務に忙殺されながら、「人生の意味」を告げる電話を待ち続けるひきこもりの主人公。実存的命題をにらみつつ、何でもありな今日的”神”/巨大コンピュータ企業の下、虚しく闘う彼の周りで相変わらずミッシュマッシュなギリアム的意匠がはじけます。

ディスカッションメンバーはいつものように川野正雄、名古屋靖、川口哲生、ナヴィゲーター役の映画評論家川口敦子の4名。今回は話すうちにそれぞれの好みの微妙な違いが浮かび上がってきました。それも個性派ギリアムの映画にはふさわしいのかもしれません

© 2013 ASIA & EUROPE PRODUCTIONS S.A. ALL RIGHTS RESERVED.
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川口敦子(以下A):『ゼロの未来』に関してはセルクルのメンバーの中でもちょっと賛否両論があるようですが(笑) 私は楽しめた派、ダメでした派、どちらでしょう。まずはそれぞれの立場と理由を教えてください。 

川野正雄(以下M):楽しめなかった訳ではないのですが、かなり期待していたので、肩すかしを喰ったような印象で、個人的には残念な作品になりました。
映画の一番根底に流れるテーマやコンセプト的な部分に共感が出来なかったというのが、理由です。
演出の細部の凝り方、映像は素晴らしいと思います。ただもう少しストーリーがあった方がいい。枝ばっかりで幹がない感じで、ディテールは凝ってるんですけど。
共感出来ないなと感じ始めたところで、実は自分は『未来世紀ブラジル』も、割と苦手だったことを思い出しました。
基本的に(そんなに沢山見ている訳ではありませんが)、ギリアムの世界観というものが、あまり好みではないのだと思います。

名古屋靖(以下N):僕は「楽しめた派」です。でも期待度が高すぎたせいかもしれませんが、残念に思ったところもあるので「楽しめたけどちょっと残念でした派」と言った感じです。
『未来世紀ブラジル』『12モンキーズ』という2大テリー・ギリアム近未来モノが好きだったので、このお話を聞いた時から早く観たいと思っていました。そのせいか期待に胸膨らませすぎ、思い切りハードルを上げて観てしまいました。
テリー・ギリアム作品の魅力の一つに、『フィッシャー・キング』はセントラル・ステーションでの社交ダンスのように、ストーリーとは関係ない場面でも最高に凝ったシーンや演出を放り込んで来るがところがあります。これを撮りたくてこの映画、撮ったんでしょうというような。予算の何割そこにかけてるのっていうような、そういう見る側にインパクトがすごく残るものを出してくる。映画監督というよりは映像作家なんでしょうね。
ファンゆえのエゴだとは思いますが「今回はどんなシーンに拘って撮っているんだろう?」という穿った見方をし、それそれ探しに一生懸命だったのは反省します。

N:2つ目の魅力として、不揃いだったパズルのピースが後半バチバチっと嵌っていくのが体感的に気持ちのいい映画も多かったのですが、今回はそうじゃないパターンでした。
前半で「We」「人生の意味」「ゼロの解読」などいかにも深そうな謎をかけられてその答えを心待ちにしていたのですが。。。

川口哲生(以下T):私は実は『未来世紀ブラジル』はオールタイムファイヴァリットの一本にしているし、このヴィジュアルの作りこみとノスタルジックな未来感は『ブラジル』以来でワクワクしました。それとそうしたヴィジュアル上のはっきりした要素だけでなく、テーマとしての「人生の意味を求めそれが告げられるのを待ちながら、一日一日を本当に生きることを忘れて無為に生きる」みたいなところに、やはり現代の社会のヴァーチャル感と重ね合わせてのメッセージがあり、共感するところがありました。好きな食べ物も忘れ、楽しむことも拒否して人生の意味を求めても、そこから抜け出す力は、人との関わりの中での、ヴァーチャルでない求める気持ちみたいなこと。ギリアム自身がいっている「人は自らの手ですべてを複雑にしている」「あらがうことをやめ、自分をゆだねる」といったことに何か救いを感じました。「ゼロの定理」とか「一人称でない自分(漠然とした自己)」は確かにわかりにくい感は否めませんでした。

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A:私は映画の出来としてというよりはギリアムの世界として「楽しめた」派といったらいいでしょうか。もしギリアムのこれまでを知らずに、あるいはギリアムの映画だとも知らずにこの映画だけを見て評価するとしたら、横溢する視覚情報、その濃密さには少し、ついていけないものがあったかもしれない。でもテリー・ギリアムの世界としてはしようがないなあ、とちょっと譲歩してしまう。見続けてきたよしみ、なんていったら変なのですが、無条件で擁護しついていこうというまで積極的でないとしても、否定はできないと思わせるものがある。

あれもこれも取り込んで混沌とした意匠、アニメーションやグラフィック・デザインの基本的センス、アーサー王伝説といった中世騎士物語への傾き――とよくよくみていくと心から自分が好きといえるものとの趣味の違いは明らかなのですが、それをおいた主題の面で共感してしまう部分もある。
結局、夢見ることに逃げている『未来世紀ブラジル』の主人公、そして今回の天命を自分で知ろうとするより告げられることを待ち続け、とじこもり、人と分かち合うことを恐怖する存在。否定的な面だけでなく今、SNSが蔓延る社会で誰もが安易にコネクトしていると、そんな錯覚を疑わずそのコミュニティにいることをしている中で、むしろひとりとしていることにギリアムは価値を見ているでしょ。そのあたりが好きなのだとも思う。
60年代人種的対抗文化的な基本姿勢(本作を締めくくる“無”への跳躍とかも含めて)のしぶとい保ち方、でもヴァーチャル・デートの相手ベインズリーに一緒に行こうといわれた時、飛び出せない、変われない、どこかでそれを肯定もしている――ギリアムの作家としての自伝性が案外そういう所にもあったりするかもしれず、そこが面白いとも思いますね。

A:ギリアムらしいディストピアに立ち戻っての一作としてどうしても『未来世紀ブラジル』と比較したくなりますが、あそこから変わった? 変われない? そこが映画監督、あるいはアーティスト(ヴィジュアリスト)ギリアムの面白さなのか、限界か? この点に関してはどうですか?

T:『未来世紀ブラジル』と比べれば変われてはいないと思います。そうしたギリアムの世界観が好きかどうかで単なる二番煎じと取るか、ギリアムらしさの復活と見るかが変わってくると思います。ギリアムのディストピアの特徴はコマーシャル(集団の幻想的欲望を喚起させるもの)の扱い方と、音楽も含めたノスタルジックさかなと、私は感じます。『ブラジル』のタイプライター音でのサントラのスタートとかセントラルサービスのコマーシャルとか昔のラジオのコマーシャル的ですよね。今回ではパラダイスへの旅行だったり、金儲けへの誘惑だったり、ピザ屋だったりヴァーチャルなセーフセックスだったり(笑)欲望さえもコントロールされている世界ですね。

K:先に言いましたが、『未来世紀ブラジル』と同じ印象です。ただ『ブラジル』の方が、作品のスケール感や意外性は高かったと思いますが、見たのが相当昔で、詳細は覚えていないので、細かく比較することは出来ません。結局彼のその世界観やセンスに共感出来るかどうかですよね(他の監督も同様ですが)。
共感出来る人には、見所満載で、楽しめる作品だと思いますよ。

N:「統制(マネージメント)された世界からの解放」という意味では、もしかするとテリー・ギリアムの描きたいテーマは「変わらない」のかもしれません。巨大な権力からいかに自由になるかっていうのはずっとありますよね。訴えたい事は変わらないような気がします。小道具や美術など、ちょっと曲がった解釈のレトロフューチャーな近未来像はまさにテリー・ギリアムでとても素晴らしいです。ただし、今回は『未来世紀ブラジル』(1985年)の時点では想像もできなかったであろう、リアルとヴァーチャルの設定や描き方については、『攻殻機動隊』のような日本のアニメ作品の方が1日の長があると思いました。電脳的な世界をテリー・ギリアム流レトロ・フューチャーで表現すると「なるほどそうなるか。。」とも思いましたが、残念ながら自分にはフィットしませんでした。

A:結局、変わらないでいることが作家の面白さなのかなあと思います。どんどん豹変していく類の作り手にも惹かれる場合もありますが、結局、戻っていくのは変われない人の世界のように思う。

K:今回のあれは住みにくい世界なんですかね。

N:みんなはハッピーなんですよ。自分だけ「電話」を待ってるから不幸なんで、「We」っていって、いっしょなんだって、ひとりじゃないんだっていってるんだけど彼だけが不幸だって話。現代の人たちのつながりたい症候群みたいなものを描きたかったのかなあという部分はある。

T:少年との関係とか上司との関係がだんだん変わっていくじゃない。結局、関わりの中にしか変わっていくものはないんだってことかなあ、と。

A:ディストピアと質問したし、この作品を『未来世紀ブラジル』『12モンキーズ』と共にディストピア3部作とする紹介も目につく、私も見終わった時はそう感じたんですが、いくつかのインタビューを読むとギリアム自身はそのつもりはないと、むしろここにあるのはユートピア的でみんながハッピーな世界で、衣裳もそれに合わせてカラフルにと指示したみたいにいってます。不幸なのは主人公のQ=コーエンだけで、彼の灰色の世界は彼を取り巻くユートピアの影の中にいるよう――と。
もちろん、これは鵜呑みにしてもいけない発言なんですよね、きっと。その企業仕掛けのコマーシャルな“ユートピア” をギリアムとしては肯定していない、それこそがディストピア、頽廃した悪夢的世界なんでしょう。
『未来世紀ブラジル』の時以上に現在を描いている、現実への批判をのみこんだ一作だとは感じます。、大企業(MAN COM)の仕掛ける定理の中で幸せに動いている人とコマーシャリズムから身を引き離して、そこで与えられたアルゴリズム解読作業に邁進しつつも、“教会”の中にこもる=大きなマスの幸福の幻想から孤立する存在、孤独ではあっても、人といっしょでなくてもいいのだと。そこまで自分で強く自分を肯定できない存在ではあっても、そうしようとしているひとりがいることの大事さみたいなものを描く所、そんなギリアムの変われなさを面白いと私は思うんですね。

© 2013 ASIA & EUROPE PRODUCTIONS S.A. ALL RIGHTS RESERVED.
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A:英国的なもの、たとえば笑い(はにかみと裏返しの過剰さみたいなセンスとか)、管理社会を見る眼と未来社会への悲観的視点、映画に限らず「1984年」「すばらしき世界」といった文学や音楽、PVも含めてありますが、そのあたりはどう見ますか?

N:勝手な思い込みですが、さっき言ったようにテリー・ギリアムが魅力的に感じる題材のひとつに「統制されすぎた世界からの解放」というものがあるように思われます。彼が英国やモンティパイソンに惹かれる理由も、権力や階級、王室までも笑い飛ばすパロディ精神がシニカルそうな彼自身の心の解放につながるのかもしれません。

K:ジョージ・オーウェルの「1984年」との関連性みたいな部分は、すごく感じました。BIG BROTHER=マネージメントという構図は、容易に想像つきますよね。
英国的な笑いっていうと、ギリアムが携わっていた『モンティパイソン』も、割と苦手なんですよ。スノッブでしょ。あれを面白がれないのは、自分がダメなのかなとも思うのですが、自信を持って面白いとは言えない自分がいます。

K:ビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』も、本質的な部分では、今ひとつ楽しめませんでした。

でもこの『ゼロの未来』は、すごく英国的な笑いというわけでもないような気がしました。
むしろタランティーノや、一世風靡したミラマックスで撮ってるアメリカンインディーズの監督に近い笑いのツボを感じました。

T:デイヴィッド・ボウイではないけれど、1984的な‘big brother is watching you’といった監視され、コントロールされ、知らず知らず自分がツールになっている世界観は未来社会を思い描くとき、常にありますよね。冷戦時代にはイデオロギーの対立がその底流だったろうけれど、現在はヴァーチャルなSNSのあり方への危惧があるように思います。
川野君がいっているマジカルミステリーツアーからジョージともつながりの深いモンティパイソンといったはにかみと裏腹の過剰さといった感覚は英国には確かにありますね。マジカルミステリーの中でビートルズが白い燕尾服着て慇懃な会釈を繰り返している感じを思い浮かべます。シニカルであり、恥じらいもあり、それを大げさに演じる感じですか。私は嫌いではありません。

A:米国人ギリアムが英国にひかれ、でも距離を持ち、今またこういうもの撮っている点も私は面白いと思うんですね。アメリカ人としてアメリカの夢に絶望したこと、自分はアメリカのまっすぐな道より英国的ワインディングロードが性に合っていると昔、『未来世紀ブラジル』での来日時に取材した時、語っていて印象的だった。今回の映画はそんな彼の根底にある感性を感じさせる。イギリスに来てパイソンの中にいても、英国人になれたのではなく、むしろ異国の米国人としてここでもまた違和感を感じざるを得ないという、まあアウトサイダーとしての生き方が映画を支えているのだと、いまさらながらに思います。
反骨の人なのだが、脳天気なくらいに自分への確信をもっているようで実は、米国時代にはコマーシャル・アートに身をおいて、譲歩を知らないわけではきっとない、そういう背景ゆえに、バトル・オブ・ブラジルの折の爆発みたいに管理統制されることへの反発もあるのかしらと、質問とはちょっとずれますが興味深いところです。

© 2013 ASIA & EUROPE PRODUCTIONS S.A. ALL RIGHTS RESERVED.
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A:建築や家具、街の整備の仕方等々も含め“レトロ・フューチャー”とか一時、はやりましたがリドリー・スコット『ブレードランナー』との差異は何でしょう?

N:『ブレードランナー』の美術監督は製作途中からインダストリアル・デザイナーの巨匠シド・ミードなので、リドリー・スコットというよりは、シド・ミードのカラーが色濃く出ていると思います。特にマシーンや小道具などシド・ミードは超リアリズム主義なので、テリー・ギリアムの遊び心あふれるレトロフューチャーなデザインとは対極かもしれません。そんなシド・ミードの世界観に、雨や夜の設定とネオン管やスモークなどを駆使したリドリー・スコットの幻想的な演出が交わって『ブレードランナー』では見事な化学反応を起こしています。今回の『ゼロの未来』での街のPOPで猥雑なシーンは、色味は違いますが『ブレードランナー』の街と通ずるところはありました。個人的にはこのPOPな街のシーンが一番ワクワクしました。

K:世間的に評価が高いのに、個人的に苦手な作品の代表が、『未来世紀ブラジル』と『ブレードランナー』です。
SF好きじゃないという本質もあります。大概のSFには、何故かハマれないって感じなんですよね。

T:『ブレードランナー』は私にとってはやはり統合前の香港みたいなアジア的猥雑さを感じたけれど、ギリアムは秋葉原を今回のゼロではインスピレーションにしているといっていますね。ディストピアの持つ文明の果ての感じや強さなくして生き抜けない感じは、西洋の文明とは違うアジア的な混沌みたいな要素としてレトロフューチャーの中にみいだせますね。『ブレードランナー』の世界観の方がよりハードボイルドだしクールな感じが私はします。ギリアムの方がpopだろうがアメリカ的なpopとは一線を画しているのがギリアムの立ち位置と重なる気がします。キッチュぽさを感じます。
今回のゼロの主人公が自分の城(西洋文明的な古い教会)から、たくさんの鍵を開け、外界に踏み出す時の一大事感は、安全地帯のホテルからアジアの街(ギリアムにとっては秋葉原)に踏み出す時の感じを思い起こさせますね(笑)

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A:メイキングによると今回、ルーマニアのブカレストでロケし、また50年代から残る撮影スタジオに教会(東方教会のイコンや十字架と英国国教会の祭壇とを合わせたデザインにした)のセットを建てて撮影した、また旧東独出身の現代画家ネオ・ラウチを参照したということで、旧共産圏のリアリズムや威圧的な大きさ(『グランド・ブダペスト・ホテル』にもちょっとありましたが)とミッドセンチュリー的モダンの崩しのようなものとを合わせた懐かしさの処理の仕方に面白さがありますね。

Neo Rauch, Über den Dächern, 2014, oil on canvas, 98 1/2 x 118 1/8 inches (courtesy Galerie EIGEN + ART Leipzig/Berlin and David Zwirner, New York/London)
Neo Rauch, Über den Dächern, 2014, oil on canvas, 98 1/2 x 118 1/8 inches (courtesy Galerie EIGEN + ART Leipzig/Berlin and David Zwirner, New York/London)

あと衣裳では予算節約の意味もありシャワーカーテンや中国市場にあった生地を利用して”未来”のチープな意匠を工夫したという。

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T:マット・デイモン演じるマネージャーのソファにとけこんだスーツとかすごかった。
次に出てくる所ではカーテンと一緒で背景と融け込んでいてね。

N:なんだ、着替えてるじゃないって。

A:ともかく様々な要素のまぜあわせが、ギリアムの基本だと思うのですが、スコットの場合は、名古屋さんも仰るように『ブレードランナー』のハードボイルド探偵世界(これは『12モンキーズ』も書いた脚本のデヴィッド・ピープルズの世界でもあると思うけれど)への嗜好がまずあって、シド・ミードのデザインがあり、それらを実現する上での完璧さの追求が画面を支配する。これに対してギリアムは完璧さを出さない、むしろ粗雑さを芯とするようなヴィジュアル世界をもつ、イラストレーター時代の作品にもある感覚、そこの違いが映画にも出ていて面白いと思います。彼のイラストやアニメーションの独特のテイストは必ずしも好きの範疇ではないのですが。

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A:縞模様の灰色のパジャマがナチ収容所の制服に通じると、意図したわけではないが結果的にそうなったとプレスブックでギリアムは発言していますが、意図してないのかなあ、というのもコーエンという名前のユダヤ性を強調するように名前の言い直しが繰り返され、ビーチのボールをふわふわと突く、それが最後は太陽になるけれど、やはりチャップリン『独裁者』のヒットラーの地球もてあそびが思い出される、暴力的管理社会の寓話的モチーフのひとつとして興味深かった。もちろん、キリストを思わせるボブとマネージャーの父子関係もいっぽうにはあり、カオスにすいこまれる部分なんてふと丹波哲郎みているのだろうかと思わなくもないなんて、そこはいいすぎでしょうか宗教的言及も意外とまじめにやっている。というかひとつのテーマとして無と神といったものもあるのでしょうね。そのあたりがリドリー・スコットのきんとした美学に対して、やはりミネソタ出身の(コーエン兄弟もミネソタですが)洗練され過ぎないものを残している感覚、まじめさ、捨てきれないアメリカ中西部性として見逃せない気もします。

A:ギリアムのものに限らず未来社会を描いた映画で好きなもの、記憶に刻まれているものは?日本、フランスとSFのお国柄に関してはどうでしょう。自分はここに近いというのがありますか?

T:『2001年宇宙の旅』はベタですけれど好きです。

K:先に言ったように、SF自体があまり好きではないんですが、しいて上げるならばという作品になります。
『アルファビル』『華氏451』といった60年代の近未来SFは、面白かったです。モノクロで無機質な『アルファビル』の高速道路は、よく覚えています。

アメリカ映画ですと、やはり初期の『猿の惑星』は衝撃的でしたね。

英国的だと、これもメジャーですが、ニコラス・ローグの『地球に落ちて来た男』ですね。この映画も、実はストーリー自体は大した事ないのですが。テーマははっきりしていますし、ボウイの魅力と合わせてですが、心に刻まれるものは、強いと思います。
最近の作品だと、絶賛は出来ませんが、『クラウドアトラス』で描かれる世界には、時空を超えていると概念も含めて、面白さを感じました。
日本映画だとなかなかしっかりと近未来を描く作品というのには、出会えないですね。すぐに思い当たる作品はありません。日本の場合には、予算の都合もあり、なかなかSFは難しいです
特にアメリカ映画の物量作戦のようなSF映画を見てしまうと、見た目は何も変わっていないゴダールのような近未来SFの方が、面白くて、見応えがあると思います。

A:『地球に落ちて来た男』はボウイの美しいエイリアンぶりにも増して時と記憶、その流れと澱みに翻弄される人という存在の寂しさをめぐるニコラス・ローグの眼差しが好きでした。すっかり忘れていたんですが見直してみるとボウイが隔離される部屋の、森の壁紙に埋もれた扉を開いて――という件りがあって、ひょっとしたらこれはレオス・カラックス自身が登場する『ホーリー・モーターズ』のすべり出しの一景と繋がっていたりもするのではと空想したくなった。そういえば『汚れた血』もハレー彗星の接近で気温が上昇するパリ、愛のないセックスで蔓延する病、その特効薬盗難事件とノワール仕立てにSF風味が染みている。

N:僕は圧倒的に『ブレードランナー』なんです。VIDEOやDVDを含めると50回以上は見ています。様々なシーンが記憶に刻まれています。個人的には『ブレードランナー』はSFというより、ハード・ボイルドのジャンルに入るのですが。。
テリー・ギリアム作品以外で好きな未来社会モノは『時計仕掛けのオレンジ』『THX1138』。

日本で未来社会を描いた映画なら、実写でなく先ほども言ったように『攻殻機動隊』や『AKIRA』などのアニメーション作品を見るべきです。


日本の実写SFがいまいちなのは予算や人材の問題も大きいと思います。『エヴァンゲリヲン新劇場版:Q』で同時上映された『巨神兵東京に現る』は、庵野秀明・鈴木敏夫制作、樋口真嗣監督の約10分の短編ですが、実写特撮SF映画としてはアイデアもあって迫力満点でした。
フランスも映画より、漫画の『MOEBIUS』が好みです。あの静寂でいて浮遊感あるイラストは大友克洋にも影響を与えました。そんな点でも漫画やアニメの世界では日本とフランスは共鳴しあっているんでしょう。昔初めてMOEBIUSの画集を見たときは本当にショックでした。
でも、『2001年宇宙の旅』のスタンリー・キューブリックを始めリドリー・スコットもいますし、幼少の頃に影響受けた『サンダーバード』や『謎の円盤UFO』などを作ったジェリー・アンダーソン、SFの父H.G.ウェルズ、やはりSFといえばイギリスの印象が強いです。

K:『ブレードランナー』は『地球に落ちて来た男』と二本立てで見たな、そしたら『地球に落ちて来た男』の方がかっこよくて。。。

N:そうかなあ あれ、ニコラス・ローグの中では一番ダメなんですよ(笑)
『ブレードランナー』はランナーつながりで名画座で『炎のランナー』といっしょにやってて、『炎のランナー』が終わると客が全員いなくなっちゃうの。ターゲットじゃないよって感じで。

T:確かにリドリー・スコットはギリアムとはちょっと違うと思った。ギリアムはストーリー的には自分の話だよね。『ブレードランナー』はやっぱりハードボイルドなんじゃないの? 設定、ストーリーとしてはね。

K:ハリソン・フォードでしょ、あの頃のハリソン・フォードってスティーブ・マックィーンをへたくそにしたみたいでね、超ワンパターン。

N:その棒読みのナレーションとかがブレードランナーは効いてるんですよ。
あれを演技っぽくやっちゃうとすごくクサくてだめな映画になっちゃうんですよ。

A:昔のフィルムノワールもけっこう棒読みっぽい。

N:そうそう。それが雰囲気ばっちりだった。あと音楽バンゲリスだったし(『炎のランナー』との二本立てはバンゲリスつながりだったわけか。。。)。嫌いじゃない要素がいっぱい。

T:川野くんはSF嫌いなの?

K:『2001年宇宙の旅』もだめなんだよ。眠くなっちゃって。キューブリックはあれ、『現金に体を脹れ』は好き、あと最後の『アイズ ワイド シャット』。

N:川野さんはスタイリッシュなところが画面にないとだめなんですよ..
ストーリーや画面にちょっとファッショナブルな所が必要ですね.

T:スタイリッシュにくせがあるから

A:でも『ブレードランナー』も一応スタイリッシュな映画ってなってますよね。

N:でもちょっと違うんですねえ。

K:SFじゃないけどリドリー・スコットでは『悪の法則は面白かった、珍しくね。

T:川野くんがだめってところをもう少し掘り下げてみたいですね(笑)

K:SFの描き方って、フランス映画のように、個々の考える未来を、象徴的に、なおかつ内省的に表現する手法もあれば、ハリウッド的なティピカルな未来イメージで、より多くの方に訴える目的の映画もありますよね。
後者も作品によるんですが、僕はやはり前者の方が好きです。
今回の作品でも、テリー・ギリアムは、アイデアも演出力も素晴らしいと思います。彼の世界観は確立されています。後はそこにジョイン出来るのか出来ないかのかだと思います。
ギリアムは、すごくひねり過ぎちゃっているというか、変化球過ぎてしまい、映画の本質的な部分の強さが、ボケて見えてしまう危惧を、今回は感じました。
逆にそのひねりが面白い方には、とことんハマれる映画なのかもしれません。

『ゼロの未来』配給ショウゲート5月16日よりYEBISU GARDEN CINEMA、新宿武蔵野館他にてロードショー
原題:The Zero Theorem 公式サイト:www.zeronomirai.com