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Cinema Discussion-5 『インサイド・ルーウィン・デービス』コーエン兄弟の見たBeatな時代

Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC
Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC

セルクルルージュの定番プログラムになってきましたシネマディスカッション第5弾は、コーエン兄弟待望の新作『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』です。今回も参加者は、前回と同様に映画評論家川口敦子さんをナビゲーターに、川口哲生、名古屋靖、川野正雄の4名です。
今回の作品は1960年代初期のNYを舞台にしていますが、コーエン兄弟の作品としては珍しく、実在のモデルとしてデイブ・ヴァン・ロンクというフォークシンガーがいます。
話しはその辺の切り口からスタートしました。

名古屋靖(以下N):
自宅でデイヴ・ヴァン・ロンク1963年の「FOLKSINGER」というアルバムを見つけました。
ジャケットはニューヨークはグリニッジビレッジの街角でロンクが吠えているモノクロ写真ですが、PrestageレーベルらしいBlueNoteにも通ずるシャープで秀逸なデザイン。レコードを聴きつつジャケットを眺めて気がついたのは、この写真の撮影場所が『Inside Llewn Davis』のポスター等のメインカットと同じStreetだという事。当時のフォークシーンとグリニッジビレッジが一心同体だったのが伝わって来るし、この映画の舞台はここ以外では考えられなかったのが分ります。

PRESTIGEから出たFOLKSINGER。
“PRESTIGEから出たFOLKSINGER。

川野正雄(以下M):プレステージ(JAZZの専門レーベル)から出ているんですか!それは珍しいですね。内容はフォークなんでしょ?

N: そうです。クラプトンがやっている「MOTHERLESS CHILDREN」や「サムソンとデリラ」といったカバーをやっていますが、純粋なフォーク。映画で使われる「ハング・ミー、オー・ハング・ミー」も入っています。何故プレステージから出たのかは、わかりませんね。(A:後から映画のヒントとなったロンクの回想録”The Mayor of MacDougal Street”を読んだので補足しますね。62年にプレステージ・レコードとアルバム2枚の契約が成立した。ジャズの趣味がいい製作者ボブ・ウェインストックがいたが、フォークの波に乗ってここでもフォークのレコードを出すようになった。それ以前に契約していたFolkwaysからステップアップしたと内心喜んでいたら友人に次はもっとメジャーなレーベルをといわれてへこんだ――とロンクは記してます)

JAZZの名門PRESTIGEから出たFOLK SINGER。DJの間では、PRESTIGEは、JAZZFUNKの宝庫レーベルで有名。
JAZZの名門PRESTIGEから出たFOLK SINGER。DJの間では、PRESTIGEは、JAZZFUNKの宝庫レーベルで有名。

N:このジャケットと映画のスチールの撮影場所を比較したサイトがあるんですよね。
このマクドゥーガル・ストリートというのが、当時フォークやビートニクスのメッカだったみたいです。
前回のビートニク映画祭で紹介したジャック・ケルアックの写真も、この場所で撮影されたそうです。

ロンクのジャケットと、現在のストリート。
ロンクのジャケットと、現在のストリート。

海外版ポスター。GASLIGHT POETRY CAFE のフラッグが見える。
海外版ポスター。GASLIGHT POETRY CAFE のフラッグが見える。

川口敦子(以下A): これはPOP SPOTSというアメリカのサイトでした。アルバムジャケットから、ロケーション場所などを探して、作品のルーツを辿って行く、とても面白いHPです。サイトを作っているボブ・イーガンさんは、とてもマニアックでユニークな方で、快く今回の使用を許諾してくれました。現在59歳で本業は不動産エージェントだそうですが、70年代初めの音楽を聴いて育ち、グリニッチ・ヴィレッジに長年住んできた、で、近所の中古レコード店で当然、答えてくれるだろうとディランの「ブロンド・オン・ブロンド」の煉瓦塀がみえるジャケ写を撮ったのはどこと聞いたら誰も答えられなかった。それがきっかけになって自分で”ポップ・カルチャー探偵”業を始めたのだそうです。最初に調査したのがニール・ヤング「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」のカバーで、これはフェンスと煉瓦からニューヨーク大法学部を背景にしたというのはすぐ判った、でもまさにここで、というスポットを探り当てるのに校舎の周りをぐるぐる3周は回り続けた――って、なんかコーエン兄弟のヘンさと通じるものがあっていい感じですね(笑) ちなみにサイトで発表したらグラハム・ナッシュから正解って連絡があったそうです。許諾をくださったメイルの最後には『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』を楽しんで見た、60年代のヴィレッジの雰囲気をとてもよく掴まえていた、映画はディランやロンクが生き、アーティストとして活動したのとまさに同じストリートで撮っている、ただ一点、最初と最後に登場してくるガスライト・カフェの裏通りは実際には存在してないもので、これはどこか別の所で撮ったんだろうね、でもガスライト・カフェがあったマクドゥーガル・ストリートではああいう喧嘩は当時、大いにあり得た筈なんで、その感じは出てるから大した問題じゃないね――とありました。地元民も認める兄弟の映画の時代と場所の描き方ってわけです。

当時のガスライトカフェの入り口。ロンクのポスターが貼ってある。
当時のガスライトカフェの入り口。ロンクのポスターが貼ってある。

M:スコセッシの『ノー・ディレクション・ホーム』に出てくるロンクのインタビューを見ると、ビートニクスのカフェで、詩の朗読の合間に、客を帰す為に演奏するのが、自分とディランの仕事だったと語っています。このガスライトカフェが、そのビートニクスカフェだったようです。その隣のケトルというバーの前で、ジャック・ケルアックは撮影をしたそうです。

左側地下が当時のガスライト。左側のKETTLE OF FISH というバーで、ケルアックは撮影した。
左側地下が当時のガスライト。右側のKETTLE OF FISH というバーで、ケルアックは撮影した。

ジャック・ケルアック/キング・オブ・ザ・ビート』 ©John Antonelli
ジャック・ケルアック/キング・オブ・ザ・ビート』
©John Antonelli

ケルアックの撮影場所。
ケルアックの撮影場所。
現在の同じ場所
現在の同じ場所

N:劇中に登場する主人公の売れないアルバムは、ロンク1964年発売の別アルバム「Inside Dave Van Ronk」のジャケ写と同じポーズ、シチュエーション。映画タイトルもそこから取ったのはさすが凝り性のコーエン兄弟ですね。調べてみるとロンクの他のアルバムジャケ写のほとんどもグリニッジビレッジを舞台に撮影されています。そんなロンクの自伝を元に作られたこの映画は1961年当時の活気あるニューヨークを本当に美しく、オシャレに見せてくれながら、50年代から60年代に移行する最中、古いものと新しいものが混在しながらも次の時代の到来を予感させるちょっとワクワクした雰囲気を感じる事が出来ますね。

M:ボブさんは、このロケ場所もしっかり抑えていました。ボブさんの合成ジャケットには、プレステージレーベルのマークがついています。

ディブ・ヴァン・ロンクの劇中と同じデザインのアルバム。猫に注目
ディブ・ヴァン・ロンクの劇中と同じデザインのアルバム。猫に注目

INSIDEの撮影場所との合体。
INSIDEの撮影場所との合体。

ルーウィン・デイビスの劇中アルバム
ルーウィン・デイビスの劇中アルバム

川口哲生(以下T):この辺の拘りの徹底した感じが、コーエン兄弟らしいね。
N:猫が話題ですが、猫のアイデアは前述のロンクのアルバム「Inside Dave Van Ronk」のジャケットから発想されたのは間違いないと思われます。あのジャケットから猫のエピソードを書き上げる彼らの才能に脱帽。猫も素晴らしい演技だけど、一見重要に思わせる猫のオチを適当に処理しちゃうところも逆にコーエン兄弟っぽくていいです。

A:一見、つながらないものを繋げちゃうというのも兄弟のお得意技ですね。『ビッグ・リボウスキ』の頭の西部劇でおなじみの転がる枯草が、たらたらなLAの湾岸戦争時代にもまだヒッピーなリボウスキの場所と結ばれて、なんだか表現主義映画みたいなボウリングアレイの転がるボールにハジけていくとか、ジャンルのミックスも自由自在にしてしまう。いい加減を作りこむというのでしょうか。

M:前作『トゥルー・グリッド』からかなり時間がかかっているから、プリプロなど準備に時間をかけたのではないでしょうか。

A:詳細なリサーチに基づく兄弟ならではの面白さともいえるのですが、事実とフィクションを彼等らしく巧妙にミックスしていると思います。
『ファーゴ』の時のインタビューでも、これは実話に基づいていると言うので真に受けたら、『ビッグ・リボウスキ』の海外インタビューで実はこっちこそが実在の友人をモデルにしてる、『ファーゴ』はまったくの創作と発言していて、のけぞりました。煙にまかれるような感じが、この作品にもあります。
明確な事実は抑えているけど、キャラクターなどは、実際のロンクと、このデイビスは全然違うのではないでしょうか。

N:オーディションの話しとかそういうポイントは抑えていますね。

M:『ノー・ディレクション・ホーム』のロンクを見てみると、映画とは違いワイルドでタフな田舎のおっさん。映画のルーウィン・デイビスの繊細さは感じられない。若い時の写真もそんな感じ。
でも要領のいいのがディラン。ロンクは持ち歌「朝日のあたる家」を、同じコード進行でディランにレコーディングされ、歌えなくなってしまった。
ディランは、後からオリジナルをレコーディングすれば良かったとか、勝手なことを言ってる。
そういうエピソードが、映画の中のルーウィンのうまくいかなさ加減に生かされているのではないかな。

A:しかもちょっとひねっているところが、いかにもコーエン兄弟ですね。
同じミネソタ出身のユダヤ系として意識する部分も多そうな、ディランへのストレートな 共感の物語りを差し出すよりひとひねりする所に兄弟らしさがみえるようにも思います。イーサンの短編小説集のタイトルは、ディランの曲にもある「エデンの門」だったりして、なんか意識してるのではと思わせる。ま、真に受けるとまた騙されそうですが。でもディラン初期作品の歌詞を読んでると今回の脚本の下敷きにしたか的にもみえるのに・・・。

M:ディランを意識しながら、描くのはロンクというのも、コーエン兄弟らしいですね。間接話法みたいな感じで。

A:前回のビートニクとも繋がりますが61年という時空。50年代的なものから60年代的なものへと変わる節目として、様々な面に新旧世界の混淆がみられること、その面白さも、すごく感じられます。
映画の中でもそこはきちんとはぐらかさずに押さえて象徴的に描かれていますね。
フォーク ミュージックで言えば、 デイヴ・ヴァン・ロンクからディランへ。
それは“名もなき男の歌”から時代を変える音楽(スター性、マーケットの規模としても)への移行の節目だと。 
ヴィレッジのカフェ文化は、アメリカの中の異空間として描かれていますが、対象的な存在として、シカゴへの旅のロードサイドのアメリカがあり、それがまたビートニクスとも重なっていく。
ファッションも音楽と連動してクリーンカットなもの対ビート、ヒッピー以降という入れ替えが起きてきます。

M:音楽的には1961年は、全てにおいて前夜ですね。プレスリーはいるけど、ロックはまだ生まれていない。ビーチボーイズやフィル・スペクターがようやく出てきて、モータウンも間もなく。ビートルズもストーンズも間もなく。映画では『ウエストサイド物語』。

Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC 
Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC 

T:ボヘミアンなヴィレッジの黎明期なのでしょうね。『グリニッジ・ヴィレッジの青春』っていうのもありました。
シカゴへのロードムービー部分は、まさに前回のビート的世界でした。

N:シカゴへの旅路はビートとフォークの関係性を分りやすく説明してくれるし、前述の古いものと新しいものの入れ替えを一方的ではあるけど象徴的に描いています。ビートはその後も影響を与え続けるので、新しい古いと言うより、「旬」かどうか?そんな感じかもしれません。それは主人公とボブ・ディランの関係にも似ていて、時代は少しずつでも確実に動いている。個人的にはジョン・グッドマンにもっとキレキレの演技や台詞を期待していたけれど、早めにダウンしちゃてちょっと残念でした。そのかわりに運転手ジョニーファイヴ(カッチョいい名前だことw)役のギャレット・ヘドランドはクールぶって背伸びした感じが昔のブラピみたいでよかった。

M:『テルマ&ルイーズ』のブラピね。
ジョニー・ファイヴは、ブルース・ウェーバーのモデルみたいですね。

A:ヘドランドはウォルター・サレス監督の『オン・ザ・ロード』ではD・モリアーティ/N・キャサディを演じてるんですね。

N:世代や時代の移行を象徴するシーンでは、養護施設で痴呆の父親の前で父親が好きだった曲を歌い聴かせる父と子のシーンは個人的に印象に残りました。
自分の父親も死ぬ前の約1年間施設のお世話になり、脳溢血で上手く言葉がしゃべれなくなった父親と苦労しながらも今までに無いほどたくさんの話をしました。それは2人にとってかけがえのない時間だったと思います。あのシーンをその時の自分達と重ね合わせて見てしまいました。しかしそこはコーエン兄弟、歌を聴き終えた父親が静かに涙を流すのかと思いきや、、、慌てるオスカーが何とも滑稽で微笑ましい。

T:登場人物は、「よくもまあこんなに一筋縄でいかないひとばかりだなあ」という感じです。信条や宗教や人種の多様性、表の顔ともうひとつの裏の顔、そういったアメリカ(この映画では彼をサポートする大学関係者のパーティ、カフェのオーナー、ロードを共にする怪人『ブルーベルベット』にも通じるアメリカの田舎の狂気の体現者)やジョニー・ファイブに象徴されています。
過去の作品でも、『オー!ブラザー』での浸礼(アル・グリーンの”Take me to the river”,”Drop me in the water”,”Dip me in the river”,”Wash me down”を思い出す)からKKK,まったく表と裏のありまくる自分の信条に狂信的な候補者とか、『ビッグ・リボウスキ』のベトナム帰りのすぐ切れるユダヤ教徒やクラフトワークやクラロス・ノミのパロディー等々、アメリカの持つ無気味さや異様さを、コーエン兄弟はあぶり出すのがうまいですね。

Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC 
Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC 

N:今回の劇中演奏シーンの録音を全てLiveで敢行したのは大成功ですね。主人公役オスカー・アイザックのギターと歌はスクリーンを通しても心に響く素晴らしい演奏。Liveシーン以外も、近くにいたら厄介だけど憎めない愛すべき主人公を好演しています。
正直『ドライバー』のムショ帰りのダメ夫役が、見ているこっちが苛つくほど嫌な演技だったので、見る前は感情移入出来るかどうか少し不安だったのですが、オープニングのLiveシーンであっという間に彼の虜になってしまいました。吠えるようにラフに歌うロンクよりも、丁寧に繊細に歌うアイザックの歌声は、映画全体をより優しくオシャレな雰囲気にしてくれています。

M:音楽面は、やはりT・ボーン・バーネットの貢献が大きいです。
カントリー〜フォーク調は、彼の独壇場ですね。
30年位前に、みんなで見に行ったエルビス・コステロとのジョイントライブを思い出しました。
因にその時は、コステロと二人でCOWARD BROTHERSというカントリーデュオを組んでいましたが、この作品に通じる部分があったと思います。

N:ちなみに彼が孕ませる友人の彼女役のキャリー・マリガンも『ドライバー』で夫婦役で出演しているけど、可愛さで言ったら『ドライバー』の勝ち。演技自体は今回の方が数段良くなっているのは監督の演技指導のおかげか?本人のやる気の問題でしょうか??

M:キャリー・マリガンは、すごく良かったです。雰囲気としても、当時のマリア・マルダーやジョーン・バエズみたいなストレートロングヘアにタートルネックという感じが、実に自然にうまく出ていたし。可愛い顔して、言葉が汚いのは、いかにもコーエン兄弟らいしギャップでした。

恋人役のキャリー・マリガン。 Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC 
恋人役のキャリー・マリガン。
Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC 

A:コーエン兄弟の作品として、最後に少し考えてみましょうか。
繰り返すとコーエン兄弟的マニアックな細部の詳細さが、ここでも映画の面白さを支えている。
例えば 音楽界のモデルについて、CGなしのロケ撮影での再現性など。
リアルさとシュールレアルの交錯(ex アパートの廊下)や、映画を玩具として育った兄弟ならではの映画の遊び(猫、円環構造・・・)なんかは、彼らの鉄板ですね。
でも“泣ける”コーエン兄弟映画としての、意外性の部分の新味もあります。
これまでの映画の中では音楽(フォークの前としてのブルーグラス)や、ユリシーズ/旅の映画との関わりで『オー! ブラザー』、時代的には『シリアスマン』の(ミネソタのユダヤ系の)60年代、60年代的なものへの目がおかしい『ビッグ・リボウスキ』ともつながりますね。

N:『ビッグ・リボウスキ』は、今やカルト的な人気がありますね。僕も大好きな作品ですが、共通する要素はありますね。
地味でマイナー、誰も注目していなかった題材を極めてシンプルに映画化して、でも見た者の心にしっかりと浸透させ、愛おしい気持ちを抱かせる、コーエン兄弟の繊細な脚本と演出。彼らの大好物の、ダメ人間、未成功者、笑える間抜けな人々満載で、サクセス・ストーリーなどでない一見無駄な日々を描きながら、移り行く時代やその雰囲気を伝えつつ、明日への希望を抱かせる。
世話になっている友人アパートの廊下や楽屋裏口でのシーンなど円環構造は現実と夢を行き来するような彼らお得意の演出方法。それらを確認できたときに「ああっコーエン兄弟の映画だぁ」と実感できて嬉しかったです。

T:『赤ちゃん泥棒』のころは何かレポマンみたいなへんてこなシュールさ(ヘルライダー)が、面白かった。                           
『ビッグ・リボウスキ』ではケン・ラッセルのボーイ・フレンドみたいなやりたい放題。 このシュールな逸脱とリアルさの交錯が、魅力かな。

M:コーエン兄弟の作品には、正直当たり外れがあると思っています。やはり頼まれ仕事みたいな作品と、自分達の企画で練り込んだ作品では、当然結果も違ってくるし。
そういう意味で、今回の作品は、すごく狙い通りに作れているというか、成功していると思います。
リアルさとフェイクの表裏一体、ブラックな笑い、サラッと重要なシーンを見せてしまうテクニック、期待を軽く裏切ってくれる意外性、そういうコーエンならではのエッセンスに加えて、1961年NYという時代性や、フォーク前夜というべき音楽の息吹のスタイル感がミックスされたユニークな映画だなと感じました。

N:彼らのバカすぎる登場人物とストーリー、クールな引きつり笑いのセンスが大好きだったのですが、今回の作品は素直でシンプルな内容で、堂々とした王道映画の雰囲気を感じさせます。
彼らも年を取ります。しかしその年の取り方は、よくいる大人になってつまらなくなった大物監督と違って、さらにマニアックでDEEPな感覚が研ぎすまされ、長年のキャリアによってヘタな飛び道具を使用しなくても充分に私たちを感動させてくれる大物監督に成長しているように思います。

A:ジム・ジャームッシュの『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』から、このCINEMA DISCUSSIONも、ボヘミアンやビートなどのキーワードで、作品がつながってきていますが、次回はウエス・アンダーソン監督の『グランド・ブタペストホテル』をお届けする予定です。多分話しはつながってくると思いますので、ご期待下さい。

Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC 
Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC 

インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌
公開:5月30日(金)、TOHOシネマズ シャンテ他全国公開
配給:ロングライド
監督・脚本:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン 
音楽:T・ボーン・バーネット
出演:オスカー・アイザック、キャリー・ マリガン、ジョン・グッドマン、ギャレット・ヘドランド、ジャスティン・ティンバーレイク

Cinema Discussion-4 ビートニク映画祭/ The Beat Goes On

ジャック・ケルアック/キング・オブ・ザ・ビート』 ©John Antonelli
ジャック・ケルアック/キング・オブ・ザ・ビート』
©John Antonelli

映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えるセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション第4弾は、3月22日よりスタートするビートニク映画祭から3本の作品『ジャック・ケルアック/キング・オブ・ザ・ビート』『キャンディ・マウンテン』『スウィンギング・ロンドン1&2』をピックアップして、ご紹介致します。
今回も参加者は、前回と同様に映画評論家川口敦子さんをナビゲーターに、川口哲生、名古屋靖、川野正雄の4名です。

川口敦子(以下A):まず皆さんのビートニクに対する思いみたいなものを聞いてみたいのですが。川野さんは、バロウズに会った事があるんですよね。

川野正雄(以下M):1990年に、当時バロウズが住んでいたカンザスシティローレンスという小さな街で会いました。
一度夕食を共にして、翌日は森の中に行って、バロウズ主催のショットガンパーティに参加しました。当時バロウズは、板をショットガンで撃ち抜き、その弾痕にペイントするショットガンペインティングという作品を制作していたのですが、その現場を体験させてもらいました。銃をみんなで撃って、その後山小屋に移動し、ささやかだけど、強烈なパーティを催すという流れでしたね。
パーティの内容は詳しく書けないのですが、バロウズが隣に座ってくれたので、色々と話しをして頂きました。
その頃バロウズは、ビートニクというよりサイバーパンクという存在でしたが、ちょうどガス・ヴァン・サントの『ドラッグストアカウボーイ』に出た後で、ガス・ヴァン・サントのことを誉めていましたね。

A :私がガス・ヴァン・サントにインタビューした時、彼はバロウズのグルーピーだと言ってはにかんだみたいに笑ってました。その一言でいっきに親近感が増しましたね。彼の場合はほんとは深くビートを掘り下げ生き方の面でも自分の作る映画でもその精神を受け継いでると思いますが、グルーピー感覚も残しているところが素敵というのかな。彼自身、ケルアックがニール・キャサディを「路上」で外側から見て描いたように、バロウズのような実践者ではなく、どちらかというと、見ている側の人間だと考えているようでした。そう聞いてみると『ドラッグストア・カウボーイ』の主人公も『マイ・プライベート・アイダホ』のキアヌが演じる市長の息子も、結局、踵を返す、旅にとどまれないケルアック的存在で、観客もそこについ自分を重ねたくなったりするのではないでしょうか。

名古屋靖(以下Y):僕の「On The Road」とジャック・ケルアックの漠然としたイメージは、「On The Road」の主人公のモデルとなったニール・キャサディだったんだと思います。サイケデリックなバスで全米を旅しながら、各地でアシッドテストと言う名のPartyを開催しつつLSDをばらまいたケン・キージー率いる「メアリー・プランクスターズ」の主要メンバーで、そのバスの運転手がニール・キャサディ。そんなニール・キャサディ自身のハチャメチャぶりがまさに「On The Road」であり、彼とケルアックが巡り会わなければ、ケルアックは「King of the Beats」にはなれなかったと思われます。
映画を観るとケルアックは実にまともです。彼を良く知る方はなるほど納得の内容でしょう。しかし、ビートニクの派手な側面にばかり目を向けていた自分には、申し訳ないけれども彼のリアルな人生には少なからず失望させれらました。ケルアックはビートニクというよりビートニクの観測者であり理解者だったんだと思います。アルコール依存などはミイラ取りがミイラになっただけで、彼自身はニール・キャサディやバロウズのような筋金入りのビートニクではなかったんでしょうね。

©WALTER LEHMAN
©WALTER LEHMAN

M: 最初にバロウズに会った時は、ホテルのレストランでした。しばらくバロウズを待っていると、レストランの窓に帽子を被り、猫背で歩くバロウズそのもののシルエットが写し出され、その影だけでものすごいオーラを感じました。
食事の時のバロウズは、穏やかで、ゆっくり喋っていたので、かなり老いた印象でした。その土地はなまずが名物だと言って、なまず料理を食べていましたが、食事をすごくこぼしていた事をよく覚えています。彼の秘書のジェームス・グラワーホルツが、こぼした食事をきれいに片付けている姿が、世話女房のように献身的で、すごく印象に残っています。後から聞いた話しですが、ジェームス・グラワーホルツは、アレン・ギンズバーグから譲り受けた秘書だそうです。
ところが、翌日の森でのショットガンを撃つ時や、アフターパーティのバロウズは、まだかなりの現役感がありましたね。
映画のプレミアか何かで、ロンドンから帰ってきたばかりだと言ってましたから。

日本版「ブレードランナー」にサインを頂きました。
日本版「ブレードランナー」にサインを頂きました。

バロウズのサイン
バロウズのサイン

川口哲生(以下T): 私の中ではbeatは同時代感は全くないです。いろいろなものの中の影響を後追いで体験して来たように思います。それ故にbeatを正面から語るのはちょっと重さがあるかな。だからわざと横道から入りますが、1988年ぐらい毎金曜日の深夜、青山のサルパラダイスからクラブジャマイカへのクラブ・クロールを繰り返していた時期があります。当時サル・パラダイスはオン・ザ・ロードのサル・パラダイスかぐらいにしか意識していなかったけれど、レゲエのダンスホール、ましてやランキンタクシーが原発やら差別やらの危ないDJをしていた、いわゆるマジョリティの価値観と全く外れたこういう店の経営者は、こういう名前をつけるのだなと感慨深いですね(笑)。何か時代は違い、行き先は違っても、ホーボー、ボヘミアン、ヒップスターといった世界観に駆り立てられる感じは、時代や世代を超えて繰り返される様に思います。ヒッピーのインドだったり、僕らの80年代初頭だとバリだったりジャマイカだったり。そしてそこに絡む音楽やヒップスターは変わっても。アフロアメリカ的純粋なもの、感覚的なものものへのあこがれも(beat ではjazzなんだろうけれど)も共通ですね。

M: JAZZといえば、バロウズに会った時、僕がブルース・ウェーバーのチェット・ベイカーTシャツを着ていたら、バロウズが「1950年代に彼に会ったことがあるが、ひどいジャンキーだったよ」と言ってました(笑)。チェット・ベイカーをブルース・ウェーバーが撮った『LET’S GET LOST』も、ビートニク的な作品かもしれませんね。

A:『LET’S GET LOST』と同じ年にイーストウッドが製作総指揮の『セロニアス・モンク/ストレート・ノー・チェイサー』という記録映画もあって、確かベルリン映画祭で一緒に上映していてすごくよかったですね。イーストウッドにはやはり88年にC・パーカーに迫った監督作『バード』もある。
T: ケルアックやチェット・ベイカーの時代では、JAZZがすごくヒップだったんでしょうね。
「オン・ザ・ロード」のケルアックは名古屋君も先に言っていたように、観察して、共感する人だと言うことが映画の中でも語られていますね。ビートの本質は「退屈でない」、「知識人でない」、「西部の太陽の子」モリアーティことニール・キャサディが体現していたのでしょうね。でもお互いの無い物ねだりなのだと思います。
この無い物ねだりはウォーホルの『ロンサム・カウボーイ』のジョー・ダレッサンドロにも重なる様に私には思えます。

A: 映像メディアにのった作家の時代なのかな。同時代の映画との近さも強く感じます。J・ディーン、ブランド、P・ニューマンとメソッド系の反抗児のイメージを掲げたスターたちとか。第二次大戦中から後にかけての青年の疲れの感じとかまで見渡すと40年代スターも視界に入れたポール・トーマス・アンダーソンの『ザ・マスター』も意外にビートニク映画だったかも。
声をともなう文学でもあるので、本人たちを映像に残す意味もありますね。
その意味でビートをめぐるドキュメンタリーの多さもすごく感じます。
ビートニクというのは、映画祭でもすごく普遍的な、人気のあるテーマで、扱った作品も多いと思います。さっきもいったベルリンでは(私が通っていた頃だからちょっと昔のことになりますけど)フォーラムとかパノラマとか、メインのコンペではなく、ちょっとくせのあるセレクションをする部門で毎年、関連するドキュメンタリーを必ず上映していたし、サンダンスでも多いですよね。
ヴェネチア映画祭では、1996年the beat goes onという特集上映がありました。その際に『キャンディ・マウンテン』の ロバート・フランクの 『Pull My Daisy』『Me and My Brother』 や、『スウィンギング・ ロンドン』のピーター・ホワイトヘッド監督作品『Wholly Communion』を上映していました。
面白かったのはビートニクをめざとく商売にしたロジャー・コーマン監督作『血のバケツ』とかジョージ・ペパード、レスリー・キャロン、そしてアルトマンの『三人の女』にも出てるジャニス・ルール共演の『地下街の住人』なども同時に上映されていたこと。同時代的に映像化、商品化される文学でもあったんですね。

Y: この映画でひとつ収穫だったのは「ケルアックは朗読がとても魅力的」ということ。
冒頭とエンディングでケルアック自身がTV出演した映像がありますよね。終わりの方でピアノの演奏をバックに自身の作品を朗読するシーンが出て来ますが、このリーディングがすばらしい。ギーンズバーグほど大げさで仰々しくなく、スマートだけど嘘っぽくないく力強い。ほんの数分の朗読シーンですが、ぐっと彼に引き込まれる自分がいました。当時、彼の朗読を観た女性達はきっとケルアックに惚れ込んだ事でしょう。彼が有名になれた要因を垣間みれた気がします。日本で太宰治が女性ファンに人気があるのと、近いのかな。
また字幕でなく直接英語で彼の作品を理解出来たら、その魅力はさらに倍増することでしょう。もっと自分の英語能力が高ければと痛感しました。

T: 私も最後のケルアックのこの朗読だけで、この映画は見る価値があったと思った。すごくマスなバラエティみたいな番組なだけに、逆に当時ケルアックがどういう存在だったのかも、イメージ出来た。
これがポエトリー・リーディングの字面とは違う、言葉の力かなという感じですね。初め緊張していて固かったのが、勢いづいてきてblowしているのがすごくよかった。

英語という意味では、beatという言葉には、[やられちゃった」みたいな意味もあるみたい。ヘロインかと思って買ったら、砂糖だったみたいな。『キャンディ・マウンテン』は、’逆’わらしべ長者というか、取引ごとに「だまされてふんだくられて精神的にも肉体的にも消耗している」という意味でbeatですね。(笑)癖のあるミュージシャン(デビッド・ヨハンセン、トム・ウエイツ、Dr.Johnなど)の使い方はジャームッシュに通じる感じ。最後に伝説のギター職人がいう「オン・ザ・ロードが自由でない」はケルアックの路上が聖典化してその呪縛に縛られた人生を喝破しているように聞こえた。

『キャンディ・マウンテン』提供:アダンソニア
『キャンディ・マウンテン』提供:アダンソニア

A: BEATには、美しい、至福のという意味もあるみたいですね。

M:そういう意味でも、ビートニクは、本当の英語文化なのだと思います。色々読んでみて、イマイチピンと来ないのも、日本語に翻訳しているからかもしれない。スタイルとしてのビートニクは多少わかっても、真のビートを自分が共鳴して理解しているとは思わない。

Y:『キャンディ・マウンテン』は、 登場人物にひとりも善人が出て来ないですね。みんな金で動く(or 金でしか動かない)打算的な人たち。主人公だけは伝説のギター職人を見つけたら、自分の全てが変わると信じている。その他の人々が何も悪びれず全て金で話を進めるところもそうですが、主人公の所持金(財産)の象徴が車で、それがどんどん落ちぶれて行くところがまさにアメリカらしい表現で、分りやす過ぎて面白かった。
ストーリーはロバート・フランク的というか、ためもなく終わりに向けてのカタルシスもなく淡々としていて、敗者の美学もない。ダメな若者のダメな旅を少しだけ面白おかしく描きながら、その結末には感動など皆無。主人公は失望の中、故郷から遠く離れた見知らぬ土地の「路上」を歩いて行くところでエンディングを迎える。当てのない「新たな放浪のはじまり」で終わる様はまさにビートニクそのもの。
ジョー・ストラマーがどれか分らなかったのですが、アッパーなアート・リンゼイや、成功者だけど金にセコいトム・ウェイツ、DVなダメ亭主Dr.ジョンなど、くせの強いミュージシャンが魅力的な役者として登場するあたりは、ロバート・フランクのファンであるジャームッシュに影響を与えたであろうテクニックのルーツを見ました。

M:ジョー・ストラマーは、最初にギターを返してくれないガードマンみたいな制服の人。この頃はアレックス・コックスの映画にも出ていましたね。
『キャンディ・マウンテン』は、今度公開されるコーエン兄弟の新作『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』にもつながってくる部分があって、面白かった。カタルシスの無い旅が出てくるシチュエーションは、共通ですね。

A: ジム・ジャームッシュの『ダウン・バイ・ロー』は、ほぼ同年代です。
ネオ・ビート・ノワール・コメディと銘打ち、いつの時代にもいた漂流者への共感を打ち出していましたが、その辺の感覚は共通ですね。
アレックス・コックスも、英国視点ですが、同じようなコンセプトを持っていると思います。『キャンディ・マウンテン』のもうひとりの監督ルディ・ワーリッツァーとの関係も要チェックですよね。
英国と言えば、『スウィンギング・ロンドン1&2』は、如何でしょうか?

『スウィンギング・ロンドン1&2』提供:アダンソニア
『スウィンギング・ロンドン1&2』提供:アダンソニア

T: 『スウィンギング・ロンドン1&2』は、ギンズバーグとか出ているけど、ビートニクとは少し距離があるように感じました。素直にこの頃のスウィンギング・ロンドンを感じる映画を集めて自分たちのディスカッションは別にしたいですね。

A: ピーター・ホワイトヘッドの65年の監督作品が、ベネチアのビートニク特集には出てたから、位置としては大西洋をつなぐみたいなポジションなのかもしれませんね。

M:これは原題が『Tonight Let’s all make love in London』で、テーマもFREE LOVE, FREE SEXや、反体制主義みたいな内容のインタビューが中心だから、ビートニクのムーヴメントとは、一線を画している印象ですが、出演者の人選が非常に興味深かったです。
ミック・ジャガーやマイケル・ケイン、ジミヘンなどは当然という感じですが、バネッサ・レッドグレイブやジュリー・クリスティなどは、ちょっと意外でした。彼女達は、今で言うカルトヒロインみたいなパブリック・イメージだったのかなって。
でもリー・マービンや、ナタリー・ドロンは、何故出てくるのか、ちょっとわからなかった。
リー・マービンは、『ポイントブレイク』とか格好良かったけど、アメリカのタフガイ俳優というイメージでしたから。
音楽だとスティーブ・マリオットやジョージ・フェイムあたりに、出演して欲しかったな。

A: ニコラス・ローグの共同監督作で、ミック・ジャガー主演の『パフォーマンス』などもほぼ同じ時代ですね。ニコラス・ローグやジャームッシュが出てくると、前回の『オンリー・ラバーズ・レフト・アライブ』ともつながってきますね。あ、トッド・ヘインズもつなげたいな。『ベルベット・ゴールドマイン』、そして今回の映画祭で上映される『ドント・ルック・バック』を意識してもいる『アイム・ノット・ゼア』も興味深い。
ケルアックやニール・キャサディは1968〜69年に亡くなっている。ラブ&ピースやヒッピーの時代から70年代への移り目ですね。で、『スウィンギング~1&2』はその前後のロンドンで、ビートニクというよりは、サイケデリックなアプローチが強いです。

M:バネッサ・レッドグレイヴは、『欲望』、ジュリー・クリスティは『華氏451』『ダーリング』が、当時の代表作でしょうか。
原題ともつながってくるのですが、当時のスターのゴシップ的な視点も、この映画にはあると思います。
バネッサは、モッズ映画のバイブルである『長距離ランナーの孤独』のトニー・リチャードソン監督や、ジャンゴ=フランコ・ネロと浮き名を流していました。
ジュリー・クリスティも、当時の最先端俳優テレンス・スタンプと付き合っていたみたいです。
その他にもミック・ジャガーがマリアンヌ・フェイスフルとの交際で話題になり、映画には出ていませんが、ニコはアラン・ドロンの子供を産んだりと、スターのゴシップネタには事欠かない時代だったと思います。
ミックのインタビュー見ていると、割とステレオタイプの反体制ヒーローみたいな位置づけに、インタビュアーがしようとしている意図が感じられました。スコセッシがボブ・ディランを描いた『ノー・ディレクション・ホーム』でも同じような場面があり、ディランが少しイラついていた場面を思い出しました。
60年代って、すごくメディアが進化した時代だと思いますが、メディアは割とステレオタイプにスターをとらえて、ネタにしていたように感じます。今見ると、逆にその辺が面白い部分でもあるので、一概に否定は出来ませんが。

Y: 個人的には後半のギーンズバーグのリーディングなど、音楽でない映像の方が新鮮でした。
ドキュメンタリーとしても全体的には緩い印象。でもそのラフな雰囲気もビートニクという単語で括るといい味になっています。ビートニク映画祭の一作品としては正解でしょうね。

M:ギンズバーグやバロウズは、とてもフットワークが軽く、色んなアーチストとコラボする事で、結果的に自分達のフォロワーを拡大していったように思います。ギンズバーグはディランの『ドント・ルック・バック』にも出ているし、クラッシュとはツアーまでしていますね。
この二人が長生きした事で、ビートニクは普遍的なカルチャーになっていったと思います。
ジェームス・グラワーホルツの譲渡の逸話もありますが、二人の関係も長い間継続していたのではないかと思います。
これは僕がサンダンス映画祭に行った際、見つけたギンズバーグの短編です。音を聞くとクラッシュみたいですが、ポール・マッカートニーとのコラボした”BALLAD OF THE SKELTONES”です。

Y:今まで話題になっていない作品で言うと、時代は違いますが、ハンター・S・トンプソン原作、アレックス・コックス脚本、テリー・ギリアム監督の『ラスベガスをやっつけろ』が僕の中ではビートニクのイメージにかなり近いです。

A: ちょうどラルフ・ステッドマンを描いたドキュメンタリー『マンガで世界を変えようとした男』も公開されてますね。

A: 日本におけるビートニクはどうだったのでしょうか。三島由紀夫や石原慎太郎、太陽族などが当てはまるのかな。

M:荒木一郎さんは、ギンズバーグの詩を日本語に置き換えた「僕は君と一緒にロックランドにいるのだ」を歌っていますね。
ギンズバーグのフレイバーみたいなものは、そのままうまく日本語に移植されていると思います。
「帰ってきたヨッパライ」の北山修さんも、ビートニクの要素が強いと思います。
加藤和彦さんは、文化的な要素は強いと思うけど、あえて言葉での表現は避けていた人なので、北山さんの方がよりビートニク的ですね。

言葉をリズムに置き換えているという意味では、唐十郎さんや寺山修司さんの台詞の洪水も当てはまるかもしれません。
唐さんを映画で起用した大島渚監督の『新宿泥棒日記』は、日本のビートニク映画とも言えるのではないでしょうか。

T: 高橋幸宏さんもビートニク好きですね。鈴木慶一さんとビートニクスというユニットをやっていたり。

A: ジム・ジャームッシュから一つの流れが生まれていますが、次回のCINEMA DISCUSSIONは、ボブ・ディランに影響を与えたフォークシンガーを描いたコーエン兄弟の新作『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』を予定しています。1961年のニューヨークが舞台で、ビートニクも出てくるので、うまくつながっていければと思います。

ビートニク映画祭は、3月22日よりオーディトリウム渋谷にて開催されます。会期中はトークイベントも開催されますので、是非チェックしてみて下さい。