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Cinema Discussion- 17/時をかけるルルーシュマジック〜『男と女』から『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(プレリュード)』へ

© 2015 Les Films 13 - Davis Films - JD Prod - France 2 Cinéma  
© 2015 Les Films 13 – Davis Films – JD Prod – France 2 Cinéma

映画を多角的な視点で評論するセルクルルージュのCinema Discussin第17弾は、フランスの巨匠クロード・ルルーシュの新作『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(プレリュード)』と、旧作『男と女』です。
この秋は待望の新作に加えて、ルルーシュの出世作『男と女』のデジタルリマスター版や、未公開ショートフィルム『ランデブー』の公開、盟友フランシス・レイの楽曲を演奏するシネマコンサートなどが予定され、日本でも久しぶりに、ルルーシュにフォーカスがあたっています。
今回は映画評論家川口敦子と川野正雄の対談方式で、50年の年月を経てもぶれないクロード・ルルーシュについて、新旧作品を見比べてみました。

© 2015 Les Films 13 - Davis Films - JD Prod - France 2 Cinéma  
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★久々のルルーシュの新作といった印象がありましたが、未公開の新作はコンスタントにあるんですね。『アンナとアントワーヌ』はそんな中で良くも悪くも相変わらずなルルーシュ映画とまず思わされましたが、いかがでしょう?
川野正雄(以下M):
全くその通りですですね。まあそんなにルルーシュ作品を見ているわけではないのですが、これはもう成熟した男女のおとなのファンタジーなんだなというのが、率直な印象です。
海外の映画祭に行くと、よく新作を上映していましたが、実はあまり気にしておらず、海外では見たこともなかったです。
僕がこの前に見たルルーシュ作品は『ライオンと呼ばれた男』でしたが、あれもJ・P・ベルモンドというトップスターを使ったおとなの男のファンタジーだと思いました。

川口敦子(以下A): 
良くも悪くも変わらない、変われないルルーシュ映画と、『アンヌとアントワーヌ』を見た直後にそう思い、彼の映画を少しまとめて見直してみてさらにその思いを強くした、そんな感じです。といってそのルルーシュ印のようなものが、即、作家性という言葉と重ねられないというか、作家性といってしまうとまたちょっと違ってしまうようにも思えるんですね 笑

★そんな相変わらずさの素はどこにあると思いますか?

A: 男と女 その出会いと別れ、そしてまた出会う――という同じ一つの物語が何より変わらなさの素じゃないでしょうか。ほとんど永劫回帰のようにキャリアを通じてルルーシュが同じ一つの物語を追いかける様を今回改めて確認してみて、それはそれですごいかも、と思いました。そもそも最初期の『行きずりのふたり』というのも男と女の出会いとすれ違いのお話なんですね。この男と女の出会いの物語に旅、それにまつわる日常と別の時空とロマンスの風景、エキゾチシズム、最近では今回の霊能者アンマのようなスピリチャルの要素も加味、それを流麗な映像とフランシス・レイの音楽で彩ればルルーシュ映画のできあがり~、なんて、こういうと馬鹿にしているみたいに響いてしまいますが・・・。その変わらなさ、変われなさ、思わず笑ってしまいたくなるけれど、そんなひとつの世界としてそれを本当に1960年代から変わらず追いかけていられるのはやはりすごいことかもしれませんね。で、今回の映画はそのことを映画内映画の「ロミオとジュリエット」モチーフと照らし合わせて自分でもロマンスのワンパターンを余裕で祝福してしまっている、ほとんど自己パロディっぽさとして提出してもいるような。終幕部分で自作『あの愛をふたたび』のテーマ曲を流したりして、あの映画ではそうならなかった再会の形をこちらではしてみる。確信犯的な同じ一つの映画作りなのでしょうね。ちなみに映画内映画というのも『流れ者』はじめしばしば試みられているお気に入りのパターンのひとつなんですね。それに『男と女』のシャバダバの断片使いも”常習犯”です。

M:よくわかります。今回もそれぞれの出会いのエピソードがうまいな~と、一番感じました。
ありえない出会いや、すれ違い、そこに奏でられるフランシス・レイの音楽。さらに今回は、インドでの旅という異次元空間にスピリチュアルな世界。
リアリティなんて、リアルに見せながらもどこにも存在しない。
この濃い味付けが、ルルーシュの世界だと思います。
それから『ライオンと呼ばれた男』の舞台はアフリカでしたが、相変わらずのエキゾチックなクレオール感覚のまぶせ方は、パリで食べるアフリカ料理のように絶品の味付けだと思います。
50年間に渡って、全くぶれないルルーシュの作風は、改めてすごいなと、今回は思いました。

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★原題un+uneが堂々と宣言しているように「男」と「女」の出会いをあくことなく描き続けているようにも思いますが、やはり原点はデジタル・リマスター版の公開がこの秋予定される「男と女」にあるのでしょうか? それを超えるものはあるのかな?

M: そうですね。超えるものはないですね。
『男と女』には、あらゆる恋愛映画の要素が詰まっていたと思います。役者、ロケーション、音楽、ありえない設定、車と電車の競争とか…。
ご本人も越えられないことを逆手にとっての、今回の原題ではないかと思います。
テーマの普遍性というか、リアリティのないラブストーリーのあり方も、原点が『男と女』に結びつきます。
その辺の料理の仕方は、50年たっても変わらないルルーシュマジックだと思います。
観客も当然年齢を重ねていますが、そこに同時代同年代の共感性〜そういうのものが、今回の新作にはエッセンスとして付加されていると思います。

A: 超えるものは・・・・ないかも 笑 それでもアヌーク・エーメとジャン=ルイ・トランティニャンのオリジナルコンビで作った20年後の続編『男と女Ⅱ』(20 ans déjà なんて原題からして開き直ってます)はじめ『続・男と女』もあって、さらに必ずしも続きではないが続いていなくもないニュアンスを原題も邦題も押し出している『男と女、うそつきな関係』『男と女 アナザー・ストーリー』と、極言すればコマーシャルな、商売人として何が売り物かを常に心得てしまっている点もルルーシュの見どころかもしれません。ただ、西部劇仕立てにした『続・男と女』なんてそれはそれで悪くない映画でもあるので、なんていうか捨てがたく腐れ縁が続いてしまう困った監督という部分もありますね。

『男と女』の1シーン©1966 Les Films 13
『男と女』の1シーン©1966 Les Films 13

★恋愛映画作家としてのルルーシュの美点はどのあたりにあると思いますか?

A:今回の大使夫人のおとなな会話のセンスもそうですが、ヒロインが子供じゃない、そのわりに男は子供、少年の無垢を忘れていないという、言葉にするとなんだかなあなのですが黄金のパターンをきれいに形にしてみせるセンスはやはり侮れません。スタイリッシュな会話と映像はもちろんですが、そのもとにある人の原型としてのかっこよさの追求ぶり、歳と共にその執着がかっこ悪くもなる、それもお構いなしという部分が面白いと思います。それをまた『ライオンと呼ばれた男』みたいに自画自賛しちゃっているのもまあすごいですよね。

M:映画音楽家と、在インド大使夫人の恋愛とか…ありえない設定を、それらしく見せてしまうテクニックですね。
『あの愛をふたたび』も、映画音楽家と、女優とか。ファンタジーというか、恋愛映画の魔術師という印象です。
細かい見せ方、今回だとやはり出会いのシーンとか、食事のシーンとか、演出のテクニックもうまいですね。

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★彼自身の人柄をその映画から思い描いたりしてしまいますか?

A: 上記のようなコマーシャルなセンス、執着――というとあまりいいイメージになりませんが積極的な自分へのこだわり、自己肯定の徹底ぶりは映画から作り手の人柄として滲みだしているのではないかしら。
M:ほかのフランス監督に比べると、ご本人にはあまり興味は湧きません。映画のセンスはすごいと思いますよ。

★このジャンルで好きだったルルーシュ映画は? 他のジャンルではどうですか?

A  ロマンス ジャンルではやはり『男と女』、あと『あの愛をふたたび』もいいですね。アメリカの景観を『イージー・ライダー』みたいに、つまり西への道というウエスタンの常道を逆行する男と女、乾いた味わいに抒情がふっと紛れ込んで素敵です。
M:『男と女』は、いいですね。『あの愛はふたたび』は、殆ど記憶が曖昧で、トリュフォーの『暗くなるまでこの恋を』と、混在しています。
違うジャンルですが、『流れ者』と『冒険また冒険』は、当時好きでした。洒落たノワールという印象です。ただやはり『ラムの大通り』や『ガラスの墓標』『ピアニストを撃て』あたりと、記憶が混在してしまっています(笑)。
ノワールでもラブストーリーでも、ルルーシュの映画は、良くも悪くもわかりやすい。
それが大ヒットにもつながるし、作家性という部分では損をしている気がします。

© 2015 Les Films 13 - Davis Films - JD Prod - France 2 Cinéma  
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『男と女』のアヌーク・エメ©1966 Les Films 13
『男と女』のアヌーク・エメ©1966 Les Films 13

★キャスティングについては?

M:役者の引き出し方が、すごくうまい監督だと思います。今回の主役二人については、殆ど知りませんでしたが、うまく使っていると思います。
ジャン・ルイ・トランティニャンもアヌーク・エメも、『男と女』やはり最高傑作の芝居をしているように感じました。
A   『あの愛をふたたび』のベルモンドとアニー・ジラルドー、いいですね! その時々の渋めのスターを起用してますが、いっぽうでトリュフォー映画でもおなじみのシャルル・デネール とか、脇でいつも光っているシャルル・ジェラールとか”一家”と呼べるやや強面の面々もいる。こっちがよりルルーシュ的なのでしょうね、本当の意味では。ユダヤ系の顔ということかもしれません。

『男と女』ジャン・ルイ・トランティニヤン ©1966 Les Films 13
『男と女』ジャン・ルイ・トランティニヤン ©1966 Les Films 13

★ルルーシュといえばフランシス・レイとのコンビで放ってきた映像と音楽との切り離し難い関係によって成立してしまう世界――という相変わらずさもありますがその功罪をどう見ますか?

M:鉄板なんですよね。このコンビ。監督と映画音楽家は、多分イマジネーションの対決なんですが、この二人はお互いを熟知し、いい化学反応を生む環境が確立しているのだと思います。『流れ者』『白い恋人たち』は、恥ずかしいくらいに誰もが知っている名曲ですよね。サントラでそういう存在の曲を連発出来るのは、すごいと思いますよ。
A  これはやはり、功とすべきでしょうね。フィルモグラフィーをたどっていくとミシェル・ルグランと組んだりもしているんですが、やはりコンビ作の方が安心して、というか”流して”見られるーーってへんな表現ですがそうやって肩肘張らず見るよさがルルーシュ映画の王道って気もします。
若い頃にジュークボックスに流れるシルヴィー・バルタンとかジョニー・アリデイとかのヒット曲につくビジュアルを撮っていたそうで、PV出身のビジュアル系監督たちの先駆といえなくもないかもしれませんね。

★『白い恋人たち』はもちろんですが、それ以外の劇映画にもドキュメンタリー要素がかなりしぶとく入り込んでいますが、その点についてはどうですか? 今回もインドの聖人と会う部分とか、かなり素の顔を撮ってますよね?

A 『男と女』にしてもトランティニャンがレースの走行テストをする場面は音も含めて生な記録映像として光っていますね。子供たちをつれての食事のシーンもいかにもその場の即興的な受け答えが微笑ましいし、海岸の老人と犬も、ドーヴィルにジャンが駆けつけて遊んでいる子供たちとアンナにライトをつけて合図する件りもそう。作りこんだ劇映画とは別の新鮮な息遣いが今見ても迫ってきますスティーブ・マックィーンの時にも話したけど、『ランデヴー』、そして。『白い恋人』たちのキャメラを抱えた雪山のスキー競技追走場面は『栄光のル・マン』でドラマの要素を削りレースそのままを撮りたかったというマックィーンの理想を実現していますね。ただ、『白い恋人たち』ではそこにむしろ逆を行くようなフランシス・レイのあまやかな旋律がかぶさることで新味が生まれている。映像そのままの迫力を音楽なしで使っていたらまた全然違う映画になっていたようにも思います。

M:さっきも言いましたが、ファンタジーをリアルに見せている。その要因は、ドキュメンタリー手法にあるのではないかと思っています。今回のアンマとの邂逅、得意ともいえる車や汽車の移動シーン。そういった場面の監督力が、作品を面白くする大きな要素になっていると思います。
短編『ランデブー』でも、ルルーシュはリアルな生の音をうまく使っています。
ダブルクラッチの音のリアルな振動は、車好きならテンションもあがると思います。
フェラーリ275GTBの官能的な排気音も、素晴らしく魅力的でした。

『ランデブー』©1976 Les Films 13 
『ランデブー』©1976 Les Films 13 

★その意味でヌーヴェルヴァーグとの関係はどう思いますか? フランス映画といえばルルーシュみたいな時代が日本にはありましたが、フランス映画の中で、あるいは映画史の中で彼をどう位置づけますか?

M:映画史の中での位置づけなんか、とても出来ませんが。
ルルーシュと自分が比較してしまう作家は、やはりトリュフォー、ルイ・マル、ロベール・アンリコなどです。その中で言うと良くも悪くも、ルルーシュはコマーシャルな監督だと思います。
同じフランスのコマーシャルな監督では、アンリ・ベルヌイユが好きです。彼はルルーシュよりも男臭い作品を撮っていますが、音楽や映像の使い方を含めて、素晴らしい娯楽作品を作る監督だと思います。
アンリコの『冒険者たち』は、『男と女』の一年違いですが、60年代後半のフランス恋愛映画の金字塔の2本だと思います。
この2本を見れば、当時のフランス映画の素晴らしさ~映画的な水準の高さと商業性の両立を、実感できると思います。
A 「友よ映画よ、わがヌーヴェルヴァーグ誌」(山田宏一)によればルノワールの『ピクニック』を製作したピエール・ブロンベルジェの下でスタートを切った、その意味でもヌーヴェルヴァーグ一派と近い所を出自とするルルーシュをカイエ誌はばっさり商業主義と切り捨てたそうで、そのあたりはともかく66年カンヌ、『男と女』で大賞を射止めるルルーシュが白いマセラーティで乗り付けゴダールの赤いアルファロメオに同乗していた山田氏に手を振った、「グランプリだな」とゴダールも手を振ってルルーシュにあいさつを返した――ってなんだかいつもこの部分を読むと奇妙な感慨に囚われるんですね。氏は「映画はキャメラだ」とルルーシュとの会見記の一章を銘打ってらっしゃいますが、彼の位置を考える上ではぜひ、ご一読をお勧めしたいです。『ランデヴー』を見ると実験的な部分ももっているのがよくわかる、なのに、コマーシャルな才覚もあるという点で監督としての位置づけの面では損をしている部分もあるようにも見えますよね。70年代くらいまでの作品の中にはもっと評価していいものがあるようにも今回、部分的にですが見直して思いました。

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A  川口哲生くんからやはりピエール・バルーとサラヴァには触れてほしいとのリクエストがありましたが、川野さんひとことお願いできますか?
ちなみにミュージシャンでいえば『冒険また冒険』には、ジャック・ブレルが出ていて確か彼に捧げた一作もあったように記憶しています。

M:ジャック・ブレルの出演(当時は存在を知らなかった)ですし、そんなにピエール・バルーに詳しいわけではありませんが。
彼は日本での活動が長いですが、彼の才能を発掘したのはルルーシュですよね。
初めて日本に来た時ピエール・バルーは、『男と女』ファンが多いのに驚いたというエピソードがありますね。
元々フランス映画は、斬新な劇伴を使うのに定評があります。『死刑台のエレベーター』のマイルス・デイビス、『殺られる』のアート・ブレイキーとか、ジャズの導入もいち早くでしたね。ブラジル音楽はアントニオ・カルロス・ジョビンをフューチャーした『黒いオルフェ』や、サンバをうまく使ったベルモンド主演の『リオの男』とかはありましたが、『男と女』は、映画の中での音楽の存在感という意味で、群を抜いています。

今の時代のモンド作品の元祖ともいえるシャバダバサウンドを、1967年という時代にフィットさせたルルーシュとフランシス・レイの文化的貢献は、映画の世界の中でも、音楽シーンでもエポックメイキングだったと思います。
目のつけどころが素晴らしいというのは、才能の一つですね。
音楽の使い方は、ミケランジェロ・アントニオーニと並んで、ルルーシュはうまい使い方の監督だと思います。

『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(プレリュード)』9月3日(土)よりBunkamuraル・シネマ他全国ロードショー
配給ファントム・フィルム

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製作50周年記念 デジタル・リマスター版『男と女』
同時上映『ランデヴー』デジタル・リマスター版
10月15日より、YEBISU GARDEN CINEMA他全国ロードショー
配給:ドマ、ハピネット

©1966 Les Films 13
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Cinema Discussion 16/ Say it Loud! ジェームス・ブラウンの真実

©2014 Mr. Dynamite L.L.C.
©2014 Mr. Dynamite L.L.C.

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション第16回は、中野裕之監督にもレビューを書いていただいたジェームス・ブラウンのドキュメンタリー映画『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』です。
第15回はスティーブ・マックイーンのドキュメンタリー『スティーブ・マックイーン その男とル・マン』を取り上げましたので、スターを題材にしたドキュメンタリー映画が2本続きます。
様々な眠っていたアーカイブが発掘されて、多くのドキュメンタリー作品が作られている世界的な傾向を、我々なりに解釈をしていきたいという主旨で、2本続けてドキュメンタリー作品をピックアップしてみました。
昨年ジェームス・ブラウンを描いた映画『ジェームス・ブラウン 最高の魂(ソウル)を持つ男』を、Cinema Discussionで取り上げましたので、こちらと比較しながら読んで頂くと、更に興味深くなるはずです。
メンバーは映画評論家の川口敦子をナビゲーターに、いつものように名古屋靖、川口哲生、川野正雄の4名です。

©2014 Mr. Dynamite L.L.C.
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★セルクルルージュでも取り上げたテイト・テイラー監督の劇映画『ジェームズ・ブラウン~最高の魂(ソウル)を持つ男~』と共にミック・ジャガーが製作に加わった一作ですが、劇映画と比べながら見る感じになりましたか?

川野正雄(以下M)
当然そうなりました。JBに関しては、好きな割には音源しか知らず、詳しくヒストリーを把握していなかったので、この2本を見て、ある程度彼の全容を知ることが出来ました。
劇映画版は、ボビー・バードとの友情物語が1つの基軸になっていますが、こちらはそういったドラマ性よりも、ジェームス・ブラウンという稀有の黒人アーチストの毒々しいとも言える素顔や、ほとばしるミュージシャンとしての才能にフォーカスをしています。
JBのライブを武道館で見ていますが、かなり晩年で、この映画に出てくるJBとは、別人のようでした。
何といっても圧巻は、全盛期のJBのダンスが堪能できること。
マイケル・ジャクソンもJBのダンスの影響は顕著ですが、シンガーとして、ダンサーとして、そしてバンマスとしての圧倒的な全盛期のジェームス・ブラウンが見れるだけでも、この映画の価値はありますね。

川口哲生(以下T)
劇映画を見ていたので、重なりがあり既知感がありました。逆に劇映画のJBの人生の切り取り方が巧みだったな、ということを確認した感がありました。

名古屋靖(以下N)
ミック・ジャガーは『最高の魂を持つ男』とこの『ミスター・ダイナマイト』の2つの映画に制作参加することで彼の中で完成形としたかったのでは?ドラマとドキュメンタリーという相対する手法でそのどちらかだけでは語り尽くせない、良くも悪くも人間JBの魅力を多元的に見た印象です。

川口敦子(以下A)
ドキュメンタリーの監督アレックス・ギブニーのインタビューによれば2作は並行して進んだ企画ということですが、日本での公開が先になった劇映画版を見ていたことで、劇映画が詳しく描いていた晩年の銃撃闘争劇とか、子供時代の父母との関係、娼館での暮し、そして刑務所でのボビー・バードとの出会い、彼の家庭での団らとかとかを懐かしい記憶のように響かせながら、より冷静なアプローチの記録映画、それを通じたJBの真相と向きあうみたいになりました。この順番で見ることができてよかったとも思います。逆になっていると現実のJBの印象が強烈すぎてとてもうまく描けている劇映画なのに、きれいごと過ぎる感じがきっとしてもうひとつ乗れないといった部分も出て来たのではないかなあ、と。キング牧師暗殺後のステージでの対処の部分も劇映画で見た時にも強烈に惹き込まれましたが、今回、現実の記録としてのJBのみごとな人心掌握ぶりを見てしまうと、その迫力に圧倒されますね。

★ドキュメンタリーであることの面白さをどのあたりに感じましたか?

T:なんといっても見たこと無いような生JB、特にステージ外のインタヴューやトークショー、恐怖に抗する行進の後の集会での演奏、キング牧師の死直後の講演での客捌き等々は
強烈なキャラの再確認であり、それさえも超えた「やっぱりすごいなJB!」とうならされました。(笑) 時代の中での政治性での矛盾点等解せない点も含め、彼の中では子ども時代の絶望を乗り越える彼を突き進ませるsoulの一貫した表出だったのだなということ。
劇場映画であったタミーショーでのストーンズとのトリ争いやエド・サリバン・ショーといった勝負の時、それは多分に白人のミュージックビジネスに対する対抗心がメラメラ燃え上がっているのが正にみえるような感じの神がかったJBのパフォーマンスも、ドキュメンタリーとしてその特別な意味を理解できたように思います。
最もドレスアップしたバンドだったJBの服や髪型の変遷も、劇映画のデスカッションのときのも述べたけれど、ドキュメンタリー映像で見るとさらにリアルで面白かった。バリバリのスーツスタイルから“Say it’s loud, I!m black and I’m proud”への公民権運動を背景にした髪形や服の変化とかね。
たまたまプリンスが死んで、スーパーボウルでの彼の演奏映像見直したけれど、そのときのターバン巻いたみたいな髪型は、今回のドキュメンタリーのJB映像にもあったし、JBとつながりのあったリトル・リチャードでも見たように思う。そんな繋がりも感じながら見ました。

M:やはり彼の生のライブシーンですね。
80年代後半DJをやっていた時、彼のライブの映像を見たかったのですが、海賊版ビデオ位しか見る機会がありませんでした。YOU TUBEでは断片的に見れる時代になりましたが、まとめて全盛期の彼の生の姿を見るのは初めてで、見ていて鳥肌が立つシーンもありました。
アメリカ人は見慣れているかもしれませんが、日本人には貴重な映像ばかりです。
JBやバンド全体も含めたファッション、メンバー間の間合いの取り方も絶妙です。
伝説のキング牧師暗殺後のライブのリーダーシップぶりも初めて見ましたが、感動的です。
プリンスは1昨年の3RDEYEGIRLを率いた『FUNKNROLL』のパフォーマンスでは、JBのようなダンスを披露していて、改めてリスペクトを感じていたところでした。

A:前の答えとも通じますが、どんなに巧みに描いてもやはり真実の迫力には抗しきれないものがあるということでしょうか。でもそれは劇映画のバージョンを見ていたからでもあるので、2作を共に進めた製作ミック・ジャガーのお手柄ともいえるのかな。

N:関係者の肉声インタビューもそれまでのJBの逸話を証言していて面白いですが、やはり未公開を含むLiveシーンが秀逸です。

©2014 Mr. Dynamite L.L.C.
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★ミック・ジャガーは今回はコメンテイターとして登場もしていますが、彼の発言で面白かった点は? 彼が参画していること、しかも劇映画とドキュメンタリーを共に製作ということに関していかがですか?

M:ミック・ジャガーは元々ブルースやR&B好きのブルーアイドソウルの人ですが、そこまでJBへの思いが強いとは知りませんでした。
以前タミーショーのストーンズの映像見たときには、格好いいと思いましたが、今回JBの後で見ると、見劣りしてしまうのは、何となく気の毒でした。
ミックは次はプレスリーを取り上げるようですが、彼のような立場の人がリスペクトするアーチストをトリュビュートする事は素晴らしいと思います。
見る順番が、劇映画先で、何となくよかったです。

N:子供の頃、アポロ・シアターのバルコニーからJBを見た話を無邪気に語るミックジャガーの本当に嬉しそうな顔が微笑ましかったです。

T:タミーショーでのトリのミックのダンスはJBと比べるとんでもなく見劣りしていますね(笑)。ミックもそれを認め、JBから学んでいるのだなというのを改めて感じました。ミックのJBへのリスペクトを感じます。

A:やはりタミーショーの部分、世間でいわれているのとは違うんだと訂正コメントがあった上で、それにしてもとふたりのダンスを比べさせる映画の編集ぶりのお茶目な意地悪さ、それも許容される愛とリスペクトがミックのコメントにも表情に見えますね。
ちょっと外れるかもしれませんが最近、『地獄の黙示録』を見直して、川のぼりの中で、若き日のローレンス・フィッシュバーンが「サティスファクション」のミック・ジャガーのあて振りをして見せる所、黒人側からの答礼みたいでこのJBの映画を見たばかりだったのでさらに印象に残りました。

★劇映画のタイトルにもある”ソウル”と”ファンク”が音楽的にも公民権運動との関連や魂の面でもキーワードとなっているように思いますが、ジェームズ・ブラウンにとってのこのふたつの要素をどう考えますか? その点に関する映画の描き方については?

M:「FUNKY SOUL」というタイトルの曲もありますが、66~67年頃にSOULがFUNKY SOULになり、70年にはFUNKが生まれる。そのジャンルの変化のリーダーは間違いなくJBです。
その変化の生まれていく過程が、この映画では地下からマグマが噴火する前兆のような感じで、描かれていると思います。
60年代後半は、音楽が大きく変化した時代で、ジャマイカではスカがロックステディになり、レゲエになる。ラテンミュージックではブガルーが生まれ、サルサに変化していく。
そういった時代のアーチストの生き方はとても魅力的です。
特に1970年前後に生まれたファンク、レゲエ、サルサは、今日まで進化しながらも、ジャンルとして確立されました。
そういった現代のポップミュージックの基礎を作った時代と置き換えることも出来ますが、その中でブラックミュージック、ソウル、ファンクといった世界の中でのJBの存在感は非常に大きかったと思います。
JB’Sの面々から語られるファンク誕生秘話みたいなエピソードも面白かったです。
昨年スライ・ストーンのドキュメンタリーも見ましたが、その辺の音楽が進化していく部分に関しては、あまり究明されませんでした。

A:監督のギブニーはイーグルスやフランク・シナトラ、スコセージが製作総指揮を務めた『ザ・ブルース・ムーヴィー・プロジェクト』、さらに秋に日本でも公開される『ジャニス:リトル・ガール・ブルー』と幅広く音楽ものの製作にも携わっていますが、いっぽうでオスカーに輝いた『「闇」へ』ではアフガニスタンのタクシー運転手を米兵が拷問死させた事件を扱い、同賞候補になった『エンロン 巨大企業はいかに崩壊したのか?』もある。というように政治的、社会的な視点の記録映画を撮ってもいる。スターの足跡を追うといったありがちなアプローチから一歩、踏み出したJBの時代の中での位置や在り方に迫っている点が面白い。その意味でふたつのキーワードも単なる音楽の用語を超えて迫ってきますね。

T:白人支配のミュージックビジネスでrace musicの域を脱するべく不可能を可能にするsoul(生きのびること)と富と名声を確保した後にブラックネスを極めるように公民権運動を背景として中で生まれるFUNK、正に60年代から70年代という時代と呼応しているように思います。

N:『最高の魂を持つ男』でも触れましたが、彼は人種の垣根を乗り越えたり、取り壊したりするのではなく、黒人として正々堂々とその場に踏み留まり、黒人である事を誇りとしながら、肌の色に関係なく自立・成功できる社会を作る活動に終始していました。それが彼にとっての“ソウル”だと思います。 “ファンク”は彼の発明した新たなダンスミュージックのスタイルで、彼の業績を讃える際に最も便利な単語です。明確な方程式はなく、人によっては曲の間奏部分を抜き出しただけの演奏(Vamp?)と同じと言われる“ファンク”ですが、このプリミティヴな音楽に多くの人々が虜になったおかげでJBのメッセージに説得力が増したのは事実でしょう。

©2014 Mr. Dynamite L.L.C.
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★”ショウビジネスで一番の働き者”というJBのキャッチフレーズについては? ビジネスの才覚についての描き方はどうですか?

T:面白かったのは「ショービジネス」でなく「ショー」と「ビジネス」だ、とJBがいっていたという話。劇映画のシネマディスカッションでも描いたけれど、彼のそれまでのビジネスを分析し、改革していく、そしてアポロシアターの自主公演みたいな勝負のときに賭けにいくそういうセルフプロデュースはすごいと思う。反面。ブラックキャピタリズムで手がけたレストランとかでは簡単に散財するし、メンバーに対する金払いも悪い。だからビジネスの才覚というより、金がパワーだという強い信念があったのでは。白人以上に稼ぎ税金納めてるんだ、見たいな事を対談の中で何回も言っていた。
一方「ショー」ではアポロ2時間6公演とか、一年362日休みなし,みたいな正にthe hardest working manですよね。そして彼の音楽はショーやリハ含めそうしたライブ性の中から生まれてくる音楽だったと思います。

M:これも『ジェームズ・ブラウン~最高の魂(ソウル)を持つ男~』とは重なってきますね。
数字に細かいのは有名です。以前「ベストヒットUSA」に出演した際、小林克也氏のインタビューに対して、多分適当だとは思いますが、ものすごく細かい数値を出して、理詰めな説明をしていた事を思い出しましたが、数字で語るビジネスマン的側面もあったのではないかと思います。
実際のビジネスは、本人の思い入れが強いだけで、未熟だった気がしますが、後に残った音楽的資産はすごいですね。
そもそもKINGとSMASHと一時期は二つの所属レーベルがあり、更にポリドールに移籍など、彼にまつわるビジネストラブルは数限りないように思います。

N:彼の人生はネゴシエーションの連続でした。売れないと言われていたLive音源を自腹で録音してリリースさせたり、プロモーターを通さずに自らイベントを企画・運営し、集客は地元DJと協力してツアーを成功させました。彼の名言の一つに「俺は75%がビジネス、残りの25%がエンターテナーだ!」というものがあります。何よりJB自身がアーティストでなくビジネスマンを目指していた事がよくわかります。彼の志や発想は目を見張るものがありますが、しかし十分な教育を受ける事が出来なかったJBのビジネスの才覚は疑わしいものがあります。長年払うべく税金を滞納するなど、彼の理想は理解しますが、あまりにも世間知らずと言うか、まともなブレーンや会計士を雇うべきだったでしょう。

©2014 Mr. Dynamite L.L.C.
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★凋落部分をすっぱり切った構成についてはいかがでしょう?

M:良かったですね。特に74年以降くらいは、音楽的にも低調になりますし、よいエピソードも少ないのではないでしょうか。一番旬な時期へのフォーカスは中途半端にならずに成功していると思います。
音楽的にもポリドール移籍以前のJBが好きです。

A:ここでも劇映画版の記憶、あの始まり、あの終わり方が響いてきて、フォローしてくれる。
補完関係を意図していたのかと思いこみたくなりますね。

N:ドキュメンタリーで人生の凋落期を描く場合、物語のオチとして最後は悲しい結末を期待する嫌な性格の自分がいます。 今回も、見た目は派手ですが印象の違う80年代のSOUL TRAIN出演時の彼はあまり見たくはありませんでしたし、個人的には『Living in America』が出てこなくて良かったと思っています。遺族の全面協力もありますし、彼の業績を讃える映画に問題多き後期は描く必要はないです。

T:潔くてよかったと思います。DRUG問題とかも在るし。

★前作もそうでしたがこの映画も白人アレックス・ギブニーが撮っていますが、この人選については? 白人だけど黒いものに引かれたミックの影響を感じますか?

N:ミック・ジャガーは身も心も黒人に憧れていた人だと思うんです。ROLLING STONESデビュー前の学生時代、アメリカから個人輸入でブルーズのシングル・レコードを買い漁っていたブルーズ・オタクでしたし、後のステージ上での彼の動きは良くも悪くも白人のそれとは一線を画したものでした。特に当時のUKホワイトたちは本場のアメリカ白人より黒人音楽をリスペクトしていたので、その辺のミック・ジャガーの意向は今回の白人監督にも十分に汲み取られているように感じます。

M:この監督に関して、よくは知りませんでした。先程も言いましたが、ストーンズの基本はブルーアイドソウルですから、同じような視点という意味では良い人選かと思います。黒人としての生き方、ミュージシャンとしての姿、パフォーマーとしての魅力を、フラットにうまく構成しています。同時に音楽への深い理解を感じますね。
たまにアーチストのドキュメンタリーでは、演出家の理解や解釈について、違和感を感じることがありますが、アレックス・ギブニーに関しては全く違和感はありませんでした。

T:監督をよく知らなかったけれど、経歴を見ると硬派なドキュメンタリーが多い人ですね。音楽に関してプロではなく、先入観なくJBを描く意味ではよかったのかなと思います。音楽シーンをどう変えたかに焦点を絞ったとインタヴューで言っているけれど、背景の彼のsoulや彼の音楽の変化と呼応する公民権運動や時代を丁寧に拾っていると思います。

©2014 Mr. Dynamite L.L.C.
©2014 Mr. Dynamite L.L.C.

★”黒人的なもの“”ブラックパワー”の世界制覇の歩みとしての現代、という部分も映画は睨んでいるように感じますが、そのあたりに関してはいかがでしょう?

M:その視点は大きいですね。政治活動の場面も幾つかあり、連動するライブの観客の多さなどに驚きました。
黒人であることに正面から向き合う姿勢は、黒人のリーダーと言えますね。この映画が今後どのように拡散されていくのかはわかりませんが、世界中の黒人の子供たちには、いつか見せたい映画だと思います。
世界制覇という思想がJBにあるかどうかは疑問ですが、少なくともその場に立つ権利は持っているという主張にも思えました。

A:この部分のJB像が記録映像を伴ってきちんと位置付けられたのが興味深かったです。

T:音楽においては黒人的なものは、もはやrace musicの域をはるかに超えていますね。
その過程で「マイケル的なもの」になり、映画でたとえるなら『黒いジャガー』みたいなものではなくなっているのかもしれません。
一方白すぎるオスカー的なこともまだまだあります。

★アーカイヴの素材が全面的に提供されたそうですが、知らなかったJBをみつけましたか? 活動家としてのJBに関してどう見ましたか?

M:これは先ほども言いましたが、沢山あります。
バンド構成をルイ・ジョーダンなど JUMPIN’JIVE系のバンドから影響を受けていたなどは、初めて知った事実です。
まだバンドメンバーに対するスーツや身だしなみのルールなどは、ルールに基づく管理を徹底した最近のバンドみたいですが、彼が原型を作ったように思えます。
活動家としては、TVのワイドショーみたいな番組の政治的な議論で、相手の説明をきちんと聞かない態度は驚きました。

N:以前、モノクロ映像では見た事があったのですが、BOOTY兄弟が参加している頃のカラーのLive映像は初めてです。とにかくJB全盛期のキレキレの動きを見られるだけで価値はあります。

T:ドキュメンタリーの楽しさの中で既に述べたかな。

©2014 Mr. Dynamite L.L.C.
©2014 Mr. Dynamite L.L.C.

★音楽の面ではどうですか? 新しいJB像をみつけましたか? 一緒に活動していた面々のコメントがありますが、印象に残るものは? コメンテイターの選び方に関してはいかがですか?

T:このドキュメンタリーが「音楽シーンをどう変えたか」を描く上で機能していたのは、コメンテイターの人選の良さだと思います。もちろんJBホーンズや“ファンキードラマー”のクライドの話はすごく面白いのだけれど、私的にはクリスチャン・マクブライドのvampの話やjazzの影響(マイルスの“So What?”のフレーズの繰り返し)、そして”クエストラブ“トンプソンのファンキー・ドラマーたたきながらの話等がすごく新鮮だった。
後は造反したメンバーの後釜で入ったブッチーの話もよかった。 The one(一拍めの強調)の話からsex machine とかね。若いブッチィが緊張してJBの動きを見逃さないようにしている映像もね。ファンカデリックやPファンクにつながっていくブッチィの源泉を見るような感じかな。

M:やはりブーチィ・コリンズ。それからTHE ONEや、『FUNKY DRUMMER』のエピソードや、独特のかけ声の話は面白かったです。制作秘話的なエピソードは、すごく興味深いです。

N:「ファンキー・ドラマーが大嫌い。」と言う、ドラマーCLYDE STUBBLEFIELDのインタビューは面白かったですね。

★JBの不可解さ、例えばいきなりニクソンと一緒になってしまうというような豹変ぶりに関してはどう見ますか? 時代を超えて生き延びていることとそういう面が関係していると思いますか? その局面ごとに象徴的な一曲を合わせる描き方については?

N:彼なりの考えがあっての事とは思います。それが正解か不正解かは別として、彼はニクソンが黒人達の意識を変えてくれると本気で信じていたのでしょう。彼の不可解さや突飛な行動ですが、時代や周りの状況を冷静に見極めて生き延びるために、緻密な計算の上に結論を出しているとは思えません。どちらかと言うと、抑えられない感情をむき出しに行動した自然な結果だと思います。

M:ドキュメンタリー映画の構成としては非常にいいと思います。歌詞含めて、1曲1曲が強い印象です。彼の中で、黒人のリーダーになりたいという部分、そしてその中には、アッパークラスな人たちと、対等に対峙したいという願望があったのではないでしょうか。
かたくなな自己主張も、そんな意識が根底に流れていると感じました。

T:Bigでありたい、敬意をもたれたいというMR.BROWN的ありかた。

★劇映画と記録映画を見た今、JB像はどう変わりましたか? 変わりませんか? 彼の魅力は?

M:変わりませんね。更に情報がアップデートされた感じで、JBの存在感は変わりません。
理解度はすごく深まりました。彼のやりたかった事も垣間見れた気がします。

N:変わりません。近くにいたらかなり面倒そうな人ですが、一度決めたらひたすらに突っ走るパワーは魅力的です。

『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』2016年6月18日(土)角川シネマ新宿、渋谷アップリンク、吉祥寺オデヲンほか全国順次ロードショー

©2014 Mr. Dynamite L.L.C.
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