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CINEMA DISCUSSION-25/My Generation~マイケル・ケインがガイドする60’s LONDON

Michael Caine
© Raymi Hero Productions 2017

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
2019年1回目の作品になる第25回は、60年代のロンドンを、英国を代表する俳優マイケル・ケインがガイドするドキュメンタリー『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ』です。
前回のシネマ・ディスカッションは、70年代末のニューヨークの夜明け前的な熱気とバスキアをとらえたドキュメンタリー『バスキア、10代最後のとき』でしたが、時計の針を更に10年以上巻き戻して、舞台がニューヨークからロンドンに変わります。
監督はドキュメンタリーのテレビを多数撮っているディヴィット・バッティ。
プロデユーサーの一人でもあるマイケル・ケインはプレゼンターとして、時空を超えて60年代全般をガイドします。
ロジャー・ドールトリー(THE WHO)、ポール・マッカートニー(THE BEATLES)といったメジャーなミュージシャンも登場しますが、カメラマンデヴィッド・ベイリーや、デザイナーメアリー・クアントなど、名前は知っていても実像はよく知らないカルトアーチストが当時を語るのが、見ものです。
字幕監修は、去年そして今年のMODS MAYDAYにもDJとして出演頂くピーター・バラカンさん。
ディスカッションメンバーは映画評論家の川口敦子をナビゲーターに、いつものように名古屋靖、川口哲生、川野正雄の4名です。

UNITED KINGDOM – JULY 11: THANK YOUR LUCKY STARS Photo of BEATLES and Paul McCARTNEY, with The Beatles, tuning up Hofner 500/1 violin bass guitar on set at Teddington Studios (Photo by David Redfern/Redferns)

★前回のシネマ・ディスカッションでは『バスキア、10代最後のとき』が描いた70年代末ニューヨーク ダウンタウンを取りあげましたが、今回の『マイ・ジェネレーション』の60年代”スィンギング・ロンドン“と比べてどうですか?

川口敦子(以下A): サラ・ドライバーの資質のせいも大きいと思いますが、親密に閉じた世界としてのニューヨーク ダウンタウン70年代が『バスキア、10代最後のとき』という映画の美点ともなっているのに対して、60年代ロンドンはみなさんも指摘されているように、より広範にコマーシャル化された印象がありますね。
『マイ・ジェネレーション』もそのお墨付きのおしゃれな時代をおしゃれに、妙にひねらず描いている点がすんなり入りやすく、好感がもてました。

川野正雄(以下M):『バスキア、10代最後のとき』は、対象がバスキア個人であり、しかもブレイク直前の短い期間にフォーカスしていて、非常にピンポイントに深く抉っていっている印象があります。
『マイ・ジェネレーション』は、60年代ロンドンという割と広い範囲で、マイケル・ケインがガイドとして紹介をしていますが、今までイメージで感じていたいう印象です。
バスキアのNYは、正にHIP HOP誕生前夜のような新しいカルチャーがグツグツと煮えたぎっているような熱さを感じました。
60年代ロンドンの少ないアーカイブ映像でしか表現出来ないビジュアルを、うまくコメントで補完していたと思います。
よりコンサバであった当事の英国で、ユースカルチャーが市民権を得るようになるプロセスを、かなりダイレクトに感じることが出来ました。
映画には出てこないのですが、60年代初期のワーキングクラスの若者を描いた英国文学『長距離ランナーの孤独』とか『土曜の夜と日曜の朝』。いずれもトニー・リチャードスンが映画化していますが、その辺の小説や映画からも、若者たちの閉塞感と、新たな時代を作っていくエナジーが沸いてきていたように思います。
先日NHK BSで放映された『1968』というドキュメンタリー番組には、ブライトンのMODS vs TEDSの抗争や、ロンドンで開催されたベトナム戦争反対のポエティック・リーディングのイベントが取り上げられていました。
そこではこの映画と同様に、それまでの時代は政治的に支配されていて、若者は高等教育を受けることで、親の世代を凌駕し、60年代に英国独自のカルチャーを作っていたと解説していましたが、抑圧されていた若者のパワーが、様々な文化的側面で一気に爆発していった過程が、マイケル・ケインのナビゲートにより、明らかになる面白さが、この作品にはあると思いました。

川口哲生(以下T):前回のCD『バスキア、10代最後のとき』はバスキアというシンボリックなメディアのしかも当時の映像を通じて切り取った70年代末NYだったのに対して、こちらはマイケル・ケインが連れて行くタイムトリップ的な感じだったし、よりマスカルチャーやコマーシャリズムまで巻き込んだヤングカルチャーという感じでした。

名古屋靖(以下N):”スィンギング・ロンドン“や”シックスティーズ“などキーワードは後で知ってもそれらは、ファッション史の事柄でしかありませんでした。前のめり気味で観た『バスキア、10代最後のとき』の同時代感と比べてしまうと、最初は歴史のお勉強といった感じで観始めたのですが、おしゃれなだけでないユース・カルチャーの逆襲というか、エネルギーの爆発ぶりにいつの間にか引き込まれていきました。

★60年代東京と通じるものはありますか? ”マイ・ジェネレーション”というよりは憧れたり、仰ぎ見たのが60年代だったように思いますが?

M:僕が60年代カルチャーを肌身で感じたのは、リアルタイムだと67年以降のGSや、モンキーズですね。GSと一緒に、ビージーズ、ストーンズなどザ・タイガースやザ・テンプターズがカバーしていた洋楽にも馴染んでいきましたし、彼らのファッションは子供ながら気になっていました。
ザ・タイガースはスウィンギング・ロンドン真っ盛りの68年に撮影に行ったりしていましたから、彼らを通じて、当時の若者はロンドンを感じたのかなと、改めて思いました。
今予告編観ると、SWINGING LONDONなんて、キャッチが入っていますね。
ただ日本のシーンは、この60年代後半までは、GSがロックをカバーしたりしていましたが、そこまでは歌謡曲の延長線上というか、渡辺プロが音楽シーンを作っていた時代だったと思います。70年くらいになって、日本独自のロックやフォークが生まれて、そこからようやく日本のロック文化は生まれてきたと思います。
必死に海外の情報を集めて、演奏に取り入れていて輸入文化のアレンジしたGS時代の日本と、60年代前半に大きく音楽文化が進化した英国は、割と近い状況だったのではないでしょうか。

T:私の年代では『マイジェネレーション』というには乗り遅れている感がありますね。
当時の私はまだ小学校ですからビートポップスやレコードジャケットやからいろいろなファッションや音楽の情報を得るにとどまっていたような気がします。
それでもミニスカートやサッスーンカット(後から知っているのかね?)やBIBAのロゴやと憧れだったし、日本のマスカルチャーの購買にも影響与えていると思います。
この時代はインターネットもSNSもないから情報格差が多く、本当に判った人とコマーシャルに乗せられる人の構図はより明快でしょうね。

N:60年代というと、自分は産まれる前かその直後だったので、その頃の東京についてカルチャー的な記憶はまだありません。白黒で放映されていた頃のTV番組も、ほとんどが米国からのもので英国の番組を観た覚えがありません。環境の違いもあるでしょうが60年代中期でもまだ洋楽には触れておらず、年の離れた親戚のお兄さんにギター弾きながら加山雄三の歌を聴かされた思い出くらいしかないのです。

A: このメンバーの中では一番年上の私でも60年代はやはりまだ子供過ぎて、それでも後半は中学生だったりしたのですからもう少しおませだったら同時代の情報として受け取っていたかもしれませんが、そうでもなかったので、東京が、それもかなりメインストリームな受け口が公認したものを仰ぎ見ていた感じかな。学校の帰りにこっそり寄り道した渋谷西武の中二階のうす暗いロンドン・ポップもどきのファッションフロアとか思い出します。
60年代東京はオリンピックや植木等の映画みたいな上昇期のイメージで想起され、その中でビートルズとかツイッギーとか明るく消費されていたようにも思います。

English fashion model Twiggy with a poster bearing her name and image, 1967. (Photo by Paul Popper/Popperfoto/Getty Images)

★マイケル・ケインが進行役でフィーチャーされていますが、この構成については?

A: 映画ファンとしてはそこがこの映画一番の見どころですね。現在のケインが『アルフィー』の頃の彼と対話するような構成、いまや英国的、あるいは老人のいぶし銀的重厚さをその配役に求められ、それに充分、応えもしている名優の若き日のちょっと下品すれすれの艶っぽさを改めて鑑賞できて面白かったです。

M:マイケル・ケインは、英国にとって重要なアイコンなのだなと改めて思いました。
60年代はハリー・パーマーシリーズや『アルフィー』がやはり印象的ですし、70年代の『探偵(スルース)』や『鷲は舞いおりた』の英国将校も良かったです。
キャスティングとしては、マイケル・ケインか、テレンス・スタンプしか考えられないのではないでしょうか。

T:イギリスにおけるマイケルケインの位置づけ、例えばデイヴィッド・ベイリーやミュージシャンと同様に、スウィンギングロンドンのFACEなんだなと改めて感じました。

★記録映像の選び方、編集に関しては?

M:音楽は馴染みのある映像もあったりしましたが、ファッション系は初見が多く新鮮でした。
カーナビーストリートだと思いますが、スモール・フェイセスのスティーブ・マリオットが買い物して出てくるシーンなど、何もクレジットもされませんが、ちょっとした所にまで、見るべき映像が配置されているなと思いました。相当な数のフッテージから、厳選して使っているのではないでしょうか。

N:BIBAの店舗など見た事がない映像ばかりで、ファッションについてはとても勉強になりました。 洋服好きなら一見の価値ありかと。
あと、学生時代のデイヴィッド・ホックニーには驚かされました。彼がまだ米国に渡る前に参加していたポップ・アート運動など、当時のグラフィックやアート・シーンについてもっと掘り下げてくれたら、さらに興味深く観れたかと思います。

T:多くの見たことのない映像があり面白いですね。

A:そのケインのTVトークショーでの応対ぶりもそうですが、よく知られたものばかりでない記録映像をいい所で挿入する構成力、映像資料考証の仕事もしていたという監督デイヴィッド・バティが英国のテレビのお家芸ともいえるドキュメンタリーの底力を結集したようにも見えますね。

★英国的階級社会に揺さぶりをかけたユース・カルチャーとして”映画、音楽、写真、ファッションを代表する面々がコメントしていますが、特に印象的なコメントは?
人選に関しては?

N:マイケル・ケインが有名な役者だという事も知らなかったのですが、当時コックニィー訛りで苦労した話や階級制度についてはとても興味深く観れました。自分が英国に深く興味を持ったきっかけは、TVで見ていた『モンティパイソン』が最初なので、すでにその頃は上流階級は馬鹿にされる対象に成り下がった時代です。その原点がここにあったのは繰り返しになりますがとても勉強になりました。

T:クラス闘争としてのスウィンギングロンドンという切り口が日本人にはあまりなかったけれど、マイケル・ケイン初めコックニィーアクセントのクラスのムーブメントというコメントは印象的でした。昔コックニィーレヴェルというバンドもいたよね?
昔セントマーチンに言っていたベイリー姓の友達がいて、若かったからデビッド・ベイリー知っている?と聞いたら親戚だと言われたのを思い出した。彼の写真はたくさん見ていたけど、彼自身の映像をこんなに見たことはなかったので印象的だったし、彼の切り取る女性像が、どちらかというと音楽中心として意識していたスウィンギングロンドンのもう一面を見せてくれていた。彼の笑い顔が友達の女の子によく似ているのにびっくりしました。

A: 俳優、あるいは音楽やモデルの世界にしても“コックニーで喋る”層の進出がそんなにも衝撃的なことだったのかという点が私も興味深かったです。ちょっと外れるかもしれませんが『マイ・フェア・レディ』のイライザの訛り矯正の挿話の積み重ねを京都に移して翻案した『舞妓はレディ』、かなり楽しく見たのですがオリジナルの背景、年代はずっと遡ることになるのでしょうが、もともとそこにあった真の衝撃や笑いは理解できてなかったかもしれないですね。

M:マイケル・ケイン以外は、今の映像が出ないのは、監督の演出でしょうか。
マリアンヌ・フェイスフルは、10年位前ベルリン映画祭で見かけましたが、当然ですが年輪が刻まれ、当時のオーラは薄れていました。彼女のコメントは率直で面白かったです。
2018年のMODS MAYDAYでは、今回字幕監修をしているピーター・バラカンさんに、当事の英国シーンのリアルなシーンについて、語って頂きました。
その中で、MODSはワーキングクラスだけど、仕事しているから若い割にはお金持っていて、洋服やレコード、スクーターにお金を使っていたという話を聞きました。
その辺の話と、この映画はすごく繋がってきますね。
自分として興味深かったのは、音楽よりもファッション系の部分です。メアリー・クワントや、BIBAの映像などは、今まで見た事もなく、60年代後半のスウィンギング・ロンドンの生の空気でしたね。

A:川野さんも挙げられた英国映画のワーキングクラスもの、それを代表するアルバート・フィニーとかトム・コーテネーとか、ケインがメインになっているせいで監督が気を使ったのかな――なんて思ったりもするのですが、意外とあっさりしか触れられていないのがちょっと残念でした。そういえば先日、ニコラス・ローグが亡くなってしまいましたが彼とドナルド・キャメル共同監督でミック・ジャガーが主演した『パフォーマンス』とか、アントニオーニ監督の『欲望』とか、あとリチャード・レスターもの、ポランスキーのロンドンものとか映画に絞った60年代の記録も見たいなんて勝手に思ってしまいました。素敵な俳優がたくさんいましたよね。
さらにそういえば、マリアンヌ・フェイスフルって確かワーキング・クラス出身じゃなくて、だからなのか、そんな先入観のせいか、ともかく彼女のコメントの置き場所が微妙にふわりと落ち着かない感じがあってそれも興味深かった。

★音楽の使い方はどうでしょう?

M:ここはまあ一般的というか、楽しめる選曲だなあと。
ただ60年代前半、特にMODSカルチャーではブルーズやスカなど、ブラックミュージックの影響が大きかったはずなので、その辺も少し紹介して欲しかったなあと、個人的には思います。
バラカンさんの話ですと、MODSがスーツを着るのは、当事のジャマイカン/スカの影響だそうです。
結局英国のポップミュージックは、50年代はロニー・ドネガンなどのスキッフルしかなく、皆米国の音楽、ブルーズだったり、ロカビリーを聞いていて、英国オリジナルの音楽が生まれたのがこの60年代前半だったと思います。
プレスリーが出てきたのは面白かったです。それとドノヴァンが意外とフューチャーされていましたね。
ドノヴァンって、フォーク歌手という分類から何となくアメリカ人と思ってましたが、スコットランド人なんですよね。英国の代表的な監督ケン・ローチのデビュー作『夜空に星があるように』は、正にこの時代に、マイケル・ケインのライバルとも言えるテレンス・スタンプを使って撮られていますが、やはりドノヴァンがフューチャーされています事を思い出しました。
ドノヴァンについての認識が、ちょっと変わりました。

T:キンクスとかハイナンバーズとかスモールフェイセスとか象徴的ですね。
ジョンバリーとかあるアルファーのテーマとかはアナザーサイドという感じで好きです。
その後ドラッグインフルエンスな曲調になって70sへ。

★見どころは?

A:やっぱりマイケル・ケインかな。

T:音楽がムーブメントの核にあること、ジェネレーションの熱量!

M:時代的に60年代全般を映画の中では通過していますが、60年代前半のMODSの時代と、後半のスウィンギング・ロンドンでは、実はカルチャーは全く違っていて、その時代にはMODSは終わり、新たなスタイルへと変化しています。
一見同じ60年代ロンドンですが、その辺の違いみたいなものを、この映画を見て感じ取って欲しいです。
MODSの好むものは、音楽ではブルーズやジャズ、スカなどで、スーツはジャズメンやジャマイカンのスタイル。カジュアルだとリーバイスにミリタリーのパーカーなど、基本は米国文化の輸入でした。
モッズシーンは、その時代にアメリカや他のヨーロッパのカルチャーを取り入れる事で、英国独自の若者のアイデンティティーを生んだ部分に価値があったと思います。
そこから一気に音楽も洋服も、英国オリジナルのカルチャーが生まれてきて、ファッションはモード化し、英国人が世界的な音楽シーンの主役に登りつめ、スウィンギング・ロンドンに進化していきます。
英国独自のカルチャーが生まれていくプロセスを、映画を通して実感して頂ければと思います。

Cockney actor Michael Caine, who starred in such classic British films as ‘Alfie’ and ‘Get Carter’. (Photo by Stephan C Archetti/Getty Images)

『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!』
2019 年 1 月 5 日(土)より Bunkamura ル・シネマ他全国順次ロードショー
配給:東北新社 STAR CHANNEL MOVIES
© Raymi Hero Productions 2017

CINEMA DISCUSSION-24/バスキア NYロワーイーストサイドの異端児

©2017 Hells Kitten Productions, LLC. All rights reserved.
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新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
またまた半年空いてしまい、2018年3回目の作品になる第24回は、70年代末のニューヨークに忽然と現れたアーチスト、バスキアをとらえたドキュメンタリー『バスキア、10代最後のとき』です。
監督はCINEMA DISCUSSIONお馴染みのジム・ジャームッシュのパートナーであるサラ・ドライバー。ジャームッシュも作品には登場するとの事で、今回取り上げる事にしました。
メンバーは映画評論家の川口敦子をナビゲーターに、いつものように名古屋靖、川口哲生、川野正雄の4名です。

★まずはこのドキュメンタリーをどんな期待をもってご覧になりましたか?
その期待に映画は応えてくれましたか?

川口敦子(以下A): 川野さんからサラ・ドライバー+バスキアのドキュメンタリーがあるからセルクルでもやりましょうと聞いて、ずっと追いかけてきたニューヨーク・フィルム・インディのこと、その背景にあった70年代後半のダウンタウンのことを、それも内側から描いてくれるのだろうなと期待が募りました。
開巻間もなくジャームッシュの『パーマネント・バケーション』のエンディング、パリへの(実はスタテン島へのフェリー)船出、波の道の向こうにマンハッタン島が浮かぶ場面が出てきて、期待通りの映画になりそうと身を乗り出しました。

川口哲生(以下T):自分たちにとって、様々な興味とインスピレーションの対象となるカルチャームーブメントが生まれた時代がありますね。ヌーベルヴァーグやスウィンギングロンドンやCD対象として取り上げてきたビートや、敦子さんにとってはロシアンアヴァンギャルドだったり、様々な時代が。
その中でも、この映画の描きとっているであろう70年代後半から80年代初めというのが自分にとって「遅れてきていない初めてのドンピチャな時代」だと思います。ニューヨークでおこっていたその時代を確認・再発見できる期待感がありました。

名古屋靖(以下N):このメンバーの中で一番年齢が若くまだ子供だった自分にとって、70年代終期~80年代初頭は、音楽やファッションをはじめ日々更新される刺激的すぎるニュースにただただ振り回されていた時期でした。まさに川口さんのおっしゃる通りそんな「ドンピシャな時代」について、当時の自分にはまだ理解不能だった真意や真相を再認識できたことは期待以上でした。

川野正雄(以下M):サラ・ドライバー&バスキアという事で、期待を持っていました。
フォーカスする瞬間がピンポイントで、驚きましたが、時代の変わり目の熱気を感じました。構成もうまいですね。
この手のドキュメンタリーは、監督が後追いフォロワーで、歴史的価値を再発見しながら制作していくものと、監督自身がそのムーヴメントの中にいて、実際に自分がフィジカルに感じた事を軸に構成していくタイプがありますが、今回は後者で、実際に自分がそのシーンの中にいたリアリティがうまく整理されて押し寄せてくる印象を持ちました。
いい作品だと思います。

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★映画はバスキアに関する伝記的事実、出自や家族や家庭環境のことなどにはふれず、またアート界の寵児となりドラッグの過剰摂取で27歳で早逝する最期についても描かずに、ブレイク寸前のバスキア、カリスマ的ストリートキッドとしていろいろ模索していた頃にフォーカスしていますが、この点はどう見ましたか? これ以前のバスキア映画と比べていかがですか?

T:その夜明け前から太陽が昇り始めた時まで、のようなピリオドの捉えかたはCDで前に取り上げたジミヘンのバイオグラフィ映画に通じますね。
監督サラ・ドライヴァーはバスキアという象徴を通じて『その時代のイーストヴィレッジ、ローワーイーストサイドといったニューヨーク』を描き止めたかったのでは。

N:個人的趣味の問題なのですが、僕自身ストリートやプリミティヴな作品にアートな魅力を感じなかったのもあり、バスキアを追求することはありませんでした。正直言えば、その時代の寵児として「上手くやりやがったな。」くらいの感覚しか持っていませんでしたし、この映画を観終わった後もその気持ちはあまり変わりませんが、本人のチャーミングなキャラクターには魅力を感じました。とてもハンサムだし、外見も含めて彼の人間性はスターになるための大事な要素だったんじゃないかと想像します。ジュリアン・シュナベール監督のスタイリッシュすぎる『バスキア』より、今回のドキュメンタリーの方が彼の魅力が溢れています。

A:寵児になる以前のバスキアに絞り込んで映画くことで時代と場所こそを浮き彫りにしようという、撮りたいことへの徹底的に頑固な姿勢が、さすがにジャームッシュの映画を支えてきた人らしくていいですね。
シュナーベルの『バスキア』も彼がコメンテイターのひとりとなっているタムラ・デイビスの『バスキアのすべて』も80年代スーパースターとなってから最期に至るまでをカバーしていて、ありがちな興亡の物語に収めつつも温かい眼差しが感じられ、中でもウォーホルとの関係とか、やはり興味深くて惹き込まれるのですが、そういう”物語”をあえて紡がずにほとんど淡々と10代の、多分、いちばん幸福だった時代の彼を祝福するスタンスが素敵だと思います。

M:ジュリアン・シュナーベルの『バスキア』は、かなりスタイリッシュな作品でした。ボウイがアンディ・ウォーホルだったりして。
音楽の使い方も象徴的で、サントラもよく聞いていました。
今回の『バスキア 10代最後のとき』は、よりプリミティブな姿勢のバスキアが描かれていて、そういうオシャレ作品とは違いますね。HIP HOP前夜でもあるNYのマグマみたいなものを、すごくダイレクトに感じました。
バスキアの近年のイメージは、Tシャツが街に溢れたりして、妙なメジャー感が生まれたりしていたのですが、この作品で改めてバスキアというアーチストの本質を知る事が出来て良かったです。SAMOとか、グレイとか、マンメイドとか、アンダーグランドな活動についてはよく知らなかったし、すごくかっこいいとも思いました。

A:もう一本、今回のドライバーの映画でも謝辞が捧げられている故グレン・オブライエンが脚本・共同製作で参加した『Downtown81』って、バスキアが主演したおとぎ話仕立てで70年代後半のダウンタウンを検証する一作も音楽的にも見ごたえあって、2本立てで見るとさらに愉しめるんじゃないでしょうか。

★印象的なコメントは? 同時代の友人、知人、恋人の声を熱心に拾っているのに、バスキア自身の肉声はない。映像と作品に語らせるような選択に関してどうですか?

A:今言ったオブライエンの映画や往時のスーパー8でささっと撮ってクラブで上映していたようなインディもインディのインスタントな映画とか、抜粋されているいくつもの映像が十分に語ってくれているので、むしろ本人の声は余計な感傷を付加していまうようにも思え、そこを敢然と切り捨てるところが繰り返せばいいなあと。

M:割と身近で、無名な人も拾ってインタビューしていますね。間接話法なんですが、外側からバスキアの人物が見えてくる印象です。
この手法は、ボブ・ディランを描いたスコセッシの『NO DIRECTION HOME』の前半を、思い出しました。時代は違えどNYの夜明け前的な描写を、証言で表現した結果でしょうか。
グレイでは、ヴィンセント・ギャロが一緒にバンドやっていたなんて、知りませんでしたし、JAZZをやっていた事も知りませんでした。
自分でペイントした服=マンメイドとか知っていたら、きっと絶対に欲しかったと思います。

N:僕もみなさんと同じく、本人のプライベートに近かしい、名もなき人々のコメントに現実性を強く感じましたし、どこまで本意か今では確認できないであろう本人の肉声より説得力があったように思います。

T:みんなが一様に、彼の人間的魅力、一種の人なつっこさを語っていたけれど、登場する彼の映像からそれが伝わってくるような気がしました。
誰の言葉か忘れたけれど、当時アパートメントの入り口に座り、日長ハイにきめて話をして過ごすような、誰かの家に転がり込んで居候して過ごすような、そんな時間の流れを共有するボヘミアンなコミニティがうらやましくまた懐かしく感じました。

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★バスキアを素材にしながら監督サラ・ドライバーは彼女自身もそこにいた70年代末ニューヨーク ロワーイーストサイドのスリルこそを描いているように見えますが、真の主役ともいえそうなそんな時代と場所の面白さについていかがでしょう?

T:先に監督のファーカスした部分のところでも触れた様に、正にそれを感じる映画ですね。
この時代のニューヨークってこの映画にも登場する様に音楽的にもパンク、ニューウェーブ、インダストリアルなノイズ、フェイクジャズ、黎明期のヒップホップと混沌としていてその関わりやキーパーソンが誰かといった所も興味深いですね。
グラフィティというとWILD STYLEとかHIPHOPとかにストレートに結びつけがちだけどファブ5フレディのビバップの話とか、バスキアはラジカセでいつもインダストリアル聞いていたとか、アートイベントでのプレイでHIPHOP側も新鮮なオーディエンス得たりと混ざり方が面白いですね。
バスキアのGRAYの音楽も聞き直してみたけれど、いろいろな要素だね。ステージ写真とかフェイクジャズみたいだけど

A:「78年にひとつの頂点を迎えた音楽シーンで私たちは知り合った。あの頃はだれもがギターを試し、その後はみんなが画家をめざしてた」と、86年PFFでニューヨークのインディ映画を特集した際、来日したドライバーは語ってくれましたが、実際、何かをしたいと思う人々が、健やかな野心だけを芯にうろうろしていた時代と場所は、素敵に輝いて見えましたね。ロシア・アヴァンギャルドとかダダとかシュルレアリスムにしてもジャンルを超えた大きな創作の力が不思議に同じ所に同じ興味を持つ人を集めるっていうのがある、その力に私はまあロマンチックに惹かれてしまうんですね。

M:これはワクワクした感じでした。懐かしさも含めてです。70年代末は、ロンドンでパンクも生まれ、世界中で新しいカルチャーが生まれてきた時代ではないでしょうか。
音楽的には70年代後半に、レゲエが英国も米国も認知され始め、ホワイト&ブラックのカルチャーがミックスされ始めたと思います。多分それまでの時代は、ミックスカルチャーになる土壌は無かったと思います。バスキアが世間に受け入れられたのも、そんな時代背景もあったと思います。
映画に登場する人々も、思いのほか白人が多く、バスキアを正当にバイヤスかけずに評価していたんだなと思いました。
出演者では、やはり『ワイルドスタイル』の出演者でもあるファブ・5・フレディや、リー・キュノネスは、印象に残りました。
バスキアとヒップホップって、自分の中ではちょっと距離感がある印象でしたが、この作品を見て、改めてそのベースにあるであろう関係性を認識しました。
個人的には、やはり『ワイルドスタイル』の池袋西武でやった出演者によるイベントが最初の実体験でした。超満員で、何とか裏から入れてもらい、その場で見たパフォーマンスの強烈さは、忘れられません。
会場でグラフティアーチストのFUTURA2000にサインをしてもらったのですが、今見るとバスキアにつながるエッセンスがあるのがわかります。
FUTURA2000は、クラッシュと一緒にレコーディングしたり、ツアーをしています。そのクラッシュは1978年〜79年とニューヨークでライブをやり、アンディ・ウォーホルも楽屋に訪れたりしていましたが、クラッシュにとってもバンドの方向性を決めるような刺激を当時のニューヨークで受けたといいます。
後々のジャームッシュとジョー・ストラマーの関係性含めて、その時代のニューヨークに行った事が、大きな転機になるようなスリルがあったのではないかと思います。
バスキアの周りでも、様々な出会いが化学反応を生んで、新たなアートや、スタイルがどんどん生まれていくすごい環境だったのではないでしょうか。

FUTURA2000のサイン。1983年10月10日にもらったもの。

N:白人層の郊外への移住、治安の悪さや不景気等が重なったその時代のニューヨーク、ローワーイーストサイドの実情を知ることで、なぜその時その場所で様々な事柄が突発的に次々と発生して行ったのか?またストリート・カルチャーとは?など興味深く観ることができました。

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★クラブ・カルチャーや音楽、映像、アート、詩等々がストリートと一体になり境界を超えてひとつのシーンを作っていく、70年代末ニューヨークは80年代東京と通じていなくもないように思いますが自分自身の体験と比べて見る部分もありましたか?

A:70年代後半の名残りがまだあった84年のニューヨーク――ドライバーは今回の映画のプレスでレーガン、黄金流入、エイズ、麻薬対策が81年以降、全てを変えてしまったと述懐してるんですが――でもそれでもまだまだ余熱は感じられたそこに行ってみて、それから80年代末にジョン・ルーリーとか取材すると、家の床で寝ていたバスキアとかいってるその感じ、それは80年代東京でジャンルが違ういろんな仕事をしている人が集まったオフィスに夜な夜ないろんな人が来ていろいろ試そうとしていた頃とやはりちょっとだけ通じてきてしまうんですね。

M:個人的な体験の話になってしまいますが、どうしても哲生君や敦子さんと一緒に初めて行ったNYを思い出しますね。あの時はまだバスキアもウォーホルもまだNYでは健在で、今考えると結構すごい時代だったんだなと思います。
チェルシーホテルの近くの銀行に行ったら。顔見知りだったワールズエンドにいたジーン・クレールに偶然会ったし、キッド・クレオールもホテルの前でバッタリでしたね。PIZZA AU GO GOという水曜夜だけクラブになるピザ屋には、フランク・ザッパやスクリッティ・ポリッティのグリーンがいたし、クリシー・ハインドもリッツにいた。
ともかくすごい体験というか衝撃的でした。HIP HOPカルチャーも、多分そういうカルトな人物が近くにウロウロしているNYの日常的な世界を原動力として、当事のバスキアがいた世界の周辺あたりから沸いてきて、それが80年代になり大きく発達したのではないかと思います。ただバスキア自身はそういう世界とは、一線を引いていたようにも思います。
ちょっと距離感がある孤高の存在です。逆にウォーホルは意外と距離感は近いのではないでしょうか。

T:東京はロンドンでパンク、ニューヨークでのパンクやニューウェーブやヒップホップとまだまだ情報を誰が一番先取りするかみたいな時代だった気がしますが、それでも潜在的無意識としてはそうした気持ちを共有していた人たちもいたんだろうし、少なくても世界同時多発な気分はありました。

N:NETのなかったその頃、桑原茂一氏など諸先輩の方々が独自のルートで仕入れた、ある程度バイアスがかかっていたであろう情報しか知ることが出来なかった自分にも、世界で初めてパンクが登場したニューヨークはユース・カルチャーの震源地であり、様々な尖った情報の発信源の一つでした。その後もそれまでの価値観を打ち壊されながら新たな何かが雨後の筍のように続々と登場してきた刺激的な時期、東京に住む若い僕らにとっても常にアンテナを張って走り続けなければ、何だか分からないけど乗り遅れてしまいそうな、エネルギッシュな毎日だったように思い出されます。

★この時代と場所から生まれたもの、サブカルチャーのメジャー化というお定まりのルートを辿る一方、現在のSNS環境の中で誰もがアーティスト化がいっそう進んで来ていますが、その今と10代のバスキア、あるいは彼をスターにした時代との繋がりを感じますか?

N:そのやり方・方法は違えど若きバスキアの時代も、SNSな現代も、どうやって来た波に乗るか?が大事なコトなのは同じような気がします、良い悪いは別として。 アンディ・ウォーホルがその約10年前に予言した「未来には、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」は、バスキア自身はもちろん、現代にも通ずる光であり忠告でもあると思います。

T:人間の体温を感じるコミュティレベルからこうしたサブカルチャーのムーブメントが発生し突き抜けていく熱量みたいなところ、そこがsnsとの違いかなと思います。

M:SAMOもCOLABも、SNSがあったら、当たり前のように一躍大人気になったと思います。バスキアの平凡さと天才さの境目とか、すごくわかりにくくて、実は誰にでもチャンスはある。そんな事もサラ・ドライバーは伝えたかったのではないかと感じました。

A:触知できる何かがあった閉じられた世界を甘ったるく懐かしむのではない、でもそこを機能させていた程度の規模というのかな、それを自分では守るというドライバーの現代(バスキアをスターにしたもの?)との切断の仕方が見終わった後、しばらくした今もなんだか胸に迫ってきています。

『バスキア 10代最後のとき』
12月22日(土) YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開