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ベルモンド映画の決定版登場『リオの男』『カトマンズの男』/CINEMA DISCUSSION-36

「リオの男」
L’HOMME DE RIO a film by Philippe de Broca © 1964 TF1 Droits Audiovisuels All rights reserved.

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。
第36回は、昨年開催され大好評だったフランス最強スタージャン=ポール・ベルモンドの旧作特集上映の第2弾「ベルモンド傑作選2」を、ご紹介します。
昨年上映された8本は、日本では見る機会の少ない作品が中心で、いわば裏メニューのようなプログラムでしたが、今回は代表作『リオの男』『カトマンズの男』に、70年代の隠れた名作『相続人』、日本での劇場初公開の後期傑作『アマゾンの男』、『エースの中のエース』の5本が上映されます。
緊急事態宣言で映画館休業問題が生まれていますが、5月14日新宿武蔵野館で、予定通り傑作選2はスタートしました。
最初の土曜日15日は、全回満席との嬉しいニュースを聞いており、作品への期待度を実感しております。

セルクルルージュでは、前回傑作選に続いて、フランスの大スターベルモンドの魅力を知っていただく為に、今回は大々的に応援させて頂きます。

まずは5月より新しいメディアUPDATE TOKYOを立ち上げます。
UPDATE TOKYOは、様々なカルチャー情報を発信するクリエイティブメディアで、映像とWEB SITEの両軸で展開いたします。
映像はYouTubeにUPDATE TOKYOチャンネルを設立し、毎回UPDATE TOKYOのメンバーとゲストのトークセッションにより、映画、音楽、アート、ファッション、ゲーム、食など様々な角度から、UPDATEした情報をお届けします。
WEB SITEでは、動画と連携しながら、トークセッション以外の手法でも情報発信をしてまいります。
UPDATE TOKYOチャンネル第1回は、傑作選の配給プロデューサー江戸木純氏をゲストにお招きし、2回に分けて、ベルモンドの魅力について、たっぷりお話し頂きました。
私が知らない話も沢山あり、ベルモンドファンの方々、また今回初めてベルモンドに興味をお持ちになった皆さんには、絶好のガイドとなりますので、是非ご覧ください。

続いて、ミューシジャンのサエキけんぞうさんに、ゴダール作品『勝手にしやがれ』から、『リオの男』への流れについて、インタビューにて語っていただきました。
サエキさんは、パール兄弟などご自分のアーチスト活動だけではなく、映画芸術での連載など、映画にも深い造詣をお持ちです。また毎年のレギュラーイベントとして、セルジュ・ゲンズブールナイトを主宰され、フレンチカルチャーシーンでのインフルエンサーでもあります。

同じく近日オープン予定ですが、UPDATE TOKYOのWEB SITEでは、『相続人』『アマゾンの男』『エースの中のエース』を、紹介させて頂きます。

セルクルルージュ・ヴィンテージストアでは、ベルモンド出演作品のオリジナルポスターを、特集販売しております。
ベルモンド傑作選2のHPでは、ベルモンドポスターギャラリーとして、紹介頂いておりますので、
合わせてこちらも是非ご覧ください。

前置きが長くなりましたが、今回のディスカッションメンバーは、川野正雄と、映画評論家川口敦子の2名での対談でお届けします。

リオの男ドイツ版ポスタ^

★まずはジャン=ポール・ベルモンドを人気スターとして決定づけた『リオの男』、いかがでしたか? 映画の魅力、ベルモンドの魅力はどのあたりに?

川口敦子(以下A):『リオの男』、心底、楽しみました。この快作、第37回米アカデミー賞脚本賞候補となっているんですね。乱暴を承知でいってしまいますが、その評価の決め手となったのが、アメリカで受けた、大ヒットしたという事実じゃないでしょうか。
ハリウッドの業界人の選ぶ賞とはいえ、否、だからこそ興行成績がオスカーの授賞にはものをいう。もちろん文句なしの快作です、アメリカじゃなくてもヒットしました、でもフランス映画(作家系の作品に限らず、のようです)ってニューヨークとかLAとかごく限られた部分にしか受容されていないという広大なアメリカの一般的観客の現実を思えばこの大ヒットやはり無視できませんよね。あるいはそのヒット、観客の支持がそのまま快作の「快」と重なっていくこと、要はストレートな面白さの勝利――ってまわりくどくなってきてすみません。要するに面白い、四の五の言わずに楽しめる、そんな面白さ、楽しさの源を辿るとベルモンドの魅力はいうまでもないんですが、映画そのものとしての磁力、実力も見逃せない――って肩すかしなコメントになりますが、作り手の底力なしには面白いってなかなか到達できない境地じゃないですか笑
開巻まもなくあっけなくお話がパリからブラジルへとすっとんでいく小気味よさ等々、展開の速さ、効率のよさ、え、え、え、を連発して突っ走りながらも全編を一週間の休暇のできごととして始まりと終わりをきっちりブックエンドにしてみせるとか、これみよがしじゃなく巧いんですね。
冒険活劇にウェルメイドって形容がふさわしいのか、誉め言葉になるのかと、若干、不安になりつつでもそこ、注目したいと思いました。そういう巧さがお得意だったハリウッド映画を振り返ればアメリカでのヒットもよりいっそう納得できる気がします。
監督のフィリップ・ド・ブロカはトリュフォーやシャブロルの助監督を務めていたんですね。ヌーヴェルヴァーグのアメリカ映画志向、ジャンル映画への眼差し、紋切り型の更新といった往き方をにらみ,踏襲しつつも、あくまで娯楽作に仕立て上げるという部分、共著「Midnight Cinema」等で知られる映画評論家J.ホーバーマンが「ソフトコアなヌーヴェルヴァーグ」と彼を評しているのもなるほどと思います。そのド・ブロカとベルモンドは同じ1933年生まれ、映画の新しい波の中で共に育ち、やわらかくそこから巣立っていこうとした兄弟的、同志的関係なのかもしれませんね。
長くなりますがもうひとつ、ド・ブロカとのコンビ第一作『大盗賊』以来、同じ顔触れのチームワークも興味深い。特に『勝手にしやがれ』や『ピアニストを撃て』『黒衣の花嫁』での噛み応えある顔見世も忘れ難い脚本家ダニエル・ブーランジェの冒険また冒険な足跡(神学校で学び、第二次大戦下、レジスタンスに加わって逮捕、収監、労役、脱走、羊飼いとして身を隠し、戦後は世界を股にかけて放浪……)はド・ブロカとのコンビ作にも大いに寄与しているんじゃないでしょうか。彼はアラン・コルノー監督の渋いノワール『真夜中の刑事』の共同脚本も書いているんですね。渋いといえば『大盗賊』以来、製作を務めるアレクサンドル・ムヌーシュキンも要チェック。ド・ブロカ作品以外でもルルーシュのこれまた渋い所、『あの愛をふたたび』(このベルモンドもまた素敵!)『流れ者』『冒険また冒険』お薦めです。あと『愛しきは、女 ラ・バランス』もお忘れなく。あ、もひとつ、『リオの男』の脚本に太陽劇団で知られるアリアーヌ・ムヌーシュキンが参加していて一瞬、?だったんですが、アレクサンドルの娘なんですね。蛇足ですが。

リオの男アメリカ版インサートポスター

川野正雄(以下M):ベルモンドの魅力に関しては、昨年の傑作選1のシネマ・ディスカッションで随分話したので、今回は作品に絞っての話にします。
『リオの男』を初めて見たのは、1980年代後半VHSのビデオで見たと思います。
オープニングのタイトルバックや音楽から素晴らしく、今回人気投票で一位になったのもよく理解出来ます。
ベルモンドのアクションコメディの正に原型になった作品だと思います。
フィリップ・ド・ブロカ監督と組んだ前作『大盗賊』は、コメディ色は薄かったですが、ここでのベルモンドは、アクションに笑いに洒落っ気に旅と、映画の娯楽的な魅力を凝縮していると思います。
64年以前の出演作は、ユーモアはあるけど、ここまでドタバタの物は多分なく(全作品見ているわけではないですが)、ベルモンド自身としてもブレークスルーした作品なのではないでしょうか。
アメリカでのヒットは、敦子さんに聞くまで知りませんでした。
アメリカ版のポスターはデザインが2種類ある為、何故かな〜と思っていましたが、ヒットしていたという事で、納得出来ました。
作品的にもヌーベルヴァーグ直後のフランス映画と言うより、アメリカのアクションコメディのジャンルの方がしっくり来ますね。
この作品は1964年制作なのですが、なんとベルモンドはこの年6本公開されているのです。
しかもブラジルロケの『リオの男』、クリストファー・ノーランの同タイトルを遥かに凌ぐ戦争映画『ダンケルク』、ロードムービーアクション大作『太陽の下の10万ドル』など、いかにも準備と撮影に時間がかかりそうな作品ばかりです。
前年1963年は、『バナナの皮』1本の為、撮影自体は1963年に多くされたと思いますが、すごい本数です。
正に人気スターとして、ノリに乗っていた時期の作品で、すごく勢いを感じます。

「カトマンズの男」
LES TRIBULATIONS D’UN CHINOIS EN CHINE a film by Philippe de Broca © 1965 TF1 Droits Audiovisuels All rights reserved.

★続く『カトマンズの男』も冒険活劇スターとしてのベルモンドの魅力全開の快作ですが、こちらの感想は?

M:前回も言いましたが、この映画が僕の初のベルモンド映画です。確かTBSの映画番組で日本語吹き替え版を見て、すっかりベルモンドのファンになりました。
配給プロデューサーの江戸木純さんに伺った話ですと、この2本はまとめて企画されたのではないかという事でした。
南米と極東という当時ではかなり未知の遠隔地での撮影を軸に計画したのではないでしょうか。
このドタバタ感と、洒落っ気のあるユーモアというのは、多分フレンチコミック的な部分もあると思います。
この作品のベルモンドは、コミックヒーロー的な活躍で、多分これが日本のルパン3世に繋がって行ったのだろうなと、改めて感じましたね。
こちらは1965年制作です。この年の公開作品は『カトマンズの男』と、ジャン・リュク・ゴダール監督作品『気狂いピエロ』の2本となっています。
この弾けたコメディと、ヌーベルヴァーグを代表する1本に同じタイミングで出ているのも、ベルモンドらしいです。
自分として好きな作品というと、エキゾチックで洒落た『カトマンズの男』の方になりますね。
最初に見たという思い入れもあるかもしれませんが。

A: ウェルメイドな『リオの男』に対してこれは走り出したらとまれないマッドマッドマッドワールドな魅力じゃないでしょうか。より不条理にアクションが連発されていく、その身体性を海外紙のいくつかがサイレント映画的と評している、判りますね。
 NYタイムズ紙(66年5月18日)では「ワイルドでファニー」とほめているんですがそれに狂っていてもエレガントと付け加えたい感じ。ド・ブロカは世界的旋風を巻き起こした『リオの男』の後で、ドタバタ・アドヴェンチャー・コメディ映画の監督みたいに決めつけられ、型に押し込められるのがいやでオファーされた『カトマンズの男』を最初は断り、その後、もろに続編というのではなく前作の「魂の相続人」といった形でという条件つきでベルモンドと再び組むことを承諾した、カトマンズのアルチュールのかわりにアーシュラ・アンドレス演じるヒロインがリオでベルモンドが演じたアドリアンの名で呼んで目配せとしている――とundertheradarmag.comが伝えているのも興味深いですね。同じ記事ではド・ブロカが前作よりすべての面で上回ることをめざしている、より壮大なスタント、より高いリスク、よりエキゾチックな舞台…と挙げた挙句にどちらの映画もお馬鹿で素敵だが、リオのひねりと転回に比べより一直線にお馬鹿を究めるカトマンズのほうが好み――と締めくくる、この意見に私もより近いものを感じています笑 といいつつ、こちらもベルモンドの変な前髪(『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のパパ役クリスピン・グローバーを彷彿とさせますね)でブックエンド形式を完遂、巧さも軽く継承しています。

カトマンズの男アメリカ版インサートポスター

★『リオの男』はスピルバーグが繰り返し見て楽しんで、『レイダース失われた聖櫃(アーク)』以下のインディ・ジョーンズ シリーズの元になったと認めているそうですが、
60年代日本の東宝映画の能天気な感触とも通じていませんか? ベルモンドの魅力と60年代的なものって関係があるのでしょうか?

A:『カトマンズの男』が大ヒットしたアメリカでライフ誌の表紙を飾り「時の人」となったことを証したベルモンドに同誌は「ニュースタイルのムーヴィー・ヒーロー:セクシー、クレイジー、そしてクール」とのコピーを進呈したそうですが、クレイジーってとこだけに反応するわけじゃなく、白いタキシードやスーツ姿が共に瞼に残るからってだけでもなく、『リオの男』『カトマンズの男』って2本の冒険活劇+コメディの向こうにぼんやりと浮かんでくるのが植木等、無責任男、うはうはお気楽に暴れまくって楽しく前向きに世の中をわたってしまうって、あのシリーズなんですね。
確かに往時、まずは007の成功が生んだヒーロー+美女+世界ロケといった活劇シリーズものの王道もあったわけですがそれを視界に入れつつもっとクレイジーに、だからもっとクールにというベルモンド+ド・ブロカのコンビ作の妙味、外しの技、意外とそれに近いものが植木のシリーズにもなくはなかったんじゃあないでしょうか。どこまでも明日が明るいと信じた時代の能天気さ、そういう60年代の朗らかさの底にはでも、まだ戦争の影が実はあって、ド・ブロカなら『まぼろしの市街戦』を撮ってしまう、実は未来を信じ切ってはいないシニカルさを湛えた眼差しも持っているというような60年代という時代の光と影のことをもしかするとベルモンドも植木もその突き抜けた笑いと裏腹に思わせてくれる部分もあるのでは――なーんて、お呼びでない?…こりゃまた失礼いたしました、なコメントになりつつありますが笑。

M:60年代の東宝コメディはほとんど見ていないので、これは何とも言えません。ただ60年代は、まだまだフランス映画の影響が、日本の映画界に対して大きかったのではないかと思います。
先日対談したサエキけんぞうさんは、ベルモンドと、植木等さんとの類似性をご指摘されていたので、そうなんだな〜と思いました笑。
サエキさんは、50年代の世界的なヒーロー、エルビス・プレスリー、マーロン・ブランド、ジェームス・ディーンから、60年代のジェームス・ボンドまで、男らしいヒーローの時代が、ベルモンドによって、新しいヒーローキャラクターが生まれたとご指摘されてもいました。
憧れる男性像、ヒーロー像が、1960年代は変わり始めましたね。日本映画も、三船敏郎さん、石原裕次郎さん的なタフガイ映画スターが変わってきて、それが植木等さんや、田中邦衛さんに繋がっていったのでは無いでしょうか。
ベルモンドによって、新たな映画のヒーロー像が作られ、それは続々とフォロワーを生んでいったと思います。
そういう意味でも、ベルモンドの再評価というものを、今正にすべきかと思います。
江戸木純さんは、このままにしておくと、日本でのベルモンドの存在は消えていってしまう危機感をお持ちでした。
今こうして劇場で再公開して、ベルモンドの映画界に与えた影響を、この機会に、より多くの方に知って頂きたいですね。

大盗賊ドイツ版ポスター

★リオ、ブラジリア、香港、カトマンズとロケ地の魅力も満載ですが、印象に残る場面はありますか? 都市の描き方は?

A:ブラジル映画としてはゴダール『東風』に出演もした『黒い神と白い悪魔』『アントニオ・ダス・モルテス』のグラウベル・ローシャを筆頭とするシネマ・ノーヴォの運動も
同時代的にはあったわけですが、それよりは『黒いオルフェ』の影を『リオの男』は感じさせますよね。『インディ・ジョーンズ魔宮の伝説』でヒーローのサイドキックとして活躍する少年ショーティみたいなリオの靴磨きの少年、彼が住む山の上の貧民街というあたりにも『黒いオルフェ』への意識が感じられるような。そこで爆発するフランソワーズ・ドルレアックの土地っ子顔負けのダンスのステップ、必見です!
 あるいはアントニオ・カルロス・ジョビンが手掛けた『黒いオルフェ』のサントラ、なかでもルイス・ボンファが書いた主題曲の出だしの感じを『リオの男』のジョルジュ・ドルリューの音楽はさらりと思わせてくれませんか。同時代ということでいえばアメリカで『リオの男』がヒットしたのと前後してスタン・ゲッツとアストラット・ジルベルト版の「イパネマの娘」がビルボード誌のヒットチャート入りを果たすとか、ブラジルがおしゃれな時代でもあった?
 圧倒的に印象に残るのは1960年に計画都市として完成したばかりの新首都ブラジリアの索漠とした人気のなさとモダンな建築群、それを引きの画で捉えながら車を追って走る走る走るベルモンドを対置するという殆どシュールレアルなチェイスシーンの乾いた感触、グッときます。アントニオーニと比べる評があるのも首肯けますね。
『カトマンズの男』では全編のほぼすべてが屋外撮影というその解放感も魅力的ですね。香港でもネパールでも街頭ロケでエキストラともいえないもろ市井の人々の反応が掬い取られている点もいいですね。ド・ブロカは従軍時代、記録班としてドキュメンタリーを撮ってもいたようですが、その名残か、はたまた「ソフトコア」でもヌーヴェルヴァーグという出自のなせるわざか、ストリートに出た映画としての『カトマンズの男』の楽しみ方もあるように感じました。一方でというかだからこそというのかな、『リオの男』の後半に登場する年増なマダムが仕切る水上カフェの場、ほとんどスキーロッジと笑いつつジャームッシュが「異色の西部劇としてお薦め」と語ってくれた『大砂塵』とも拮抗するような唐突さで往年のセットの映画を全うする部分も好きです。

M:『リオの男』はフランス映画でブラジルというと、『黒いオルフェ』をまずは思い出しますが、そこからもっとブラジルの魅力により踏み込んだ映画でもあるなと思っています。
ブラジルで撮影する娯楽作品のスタンダードになったんじゃないかなとも思います。
『カトマンズの男』は、ほとんどカトマンズは出てきませんね。『香港の男』とか、『アバディーンの男』と言った方がいいように思います。
香港に自分も住んでいたので、幾つかロケ場所も心当たりがあり、面白かったです。
007にも出てくる水上レストランは、残念ながらコロナの影響で、今年閉店してしまいました。
初詣に皆が行く黄大仙も、今と変わらぬ雰囲気で室内で撮影がされていました。
リオのブラジルと同様に、この作品が極東でのロケの先駆者的になったのではないかと思います。
あんなに大胆にカーアクションを香港で撮影した欧米の映画は、それまであまり無いのではないでしょうか。
この流れで『007は二度死ぬ』が、日本で撮影されたのではないかなと思いました。

「アマゾンの男」
AMAZONE a film by Philippe de Broca © 1999 STUDIOCANAL – PHF Films All rights reserved.

  
★それぞれの映画のヒロイン、演じる女優に関しては? 傑作選1の女優たちはたまたヌーヴェルヴァーグ映画の共演女優と比べてベルモンド映画と相性のいい女優ってどんな女優だと思いますか?

M:アーシュラ・アンドレスは、ビーチのシーンが『007ドクターノー』へのオマージュで、面白かったです。
その後ベルモンドと交際しましたが、こういうタイプがお好みなのかなと思ってしまいます。
彼女は007では台詞を全部吹き替えられてしまったのですが、リオのフランス語も吹き替えかもしれませんね。
フランソワーズ・ドルレアックは、ジャングルでのサファリ的なスタイルなど、おしゃれで素敵でした。『袋小路』や『ロシュフォールの恋人たち』より前の作品ですから、初々しさもありました。
妹のカトリーヌ・ドヌーヴとも共演していますが、ベルモンドに似合うのは姉のドルレアックですね。

ムッシュとマドモアゼル ドイツ版ポスター

A:アーシュラ・アンドレスとは『カトマンズの男』での共演がきっかけで私生活でも確か7年間くらいステディな関係だったんですよね。60年代後半のスクリーン誌のスターのスナップショット欄みたいなページで手をつなぐふたりとか、ベルモンドが大好きなサッカーチームを応援にきたふたりとか見た覚えがあります。『ムッシュとマドモアゼル』のラクウェル・ウェルチとかこのアンドレスとか大型(体のサイズのことだけでもなく)グラマー女優、半分いかついほどの肉体美、怖いくらいの(なんてひがんでいってるわけではないですが)ボディの起伏、そこだけではもひとつ良さが判らないというのが正直な感想なんですが…、でも気はいい、頭もいいというのが一見、体だけみたいなヒロインをめぐる常道的展開、黒縁眼鏡の知性アピールもお約束な転回法だったりするわけでアンドレスにもこのパターンが踏襲されている、でももひとつそこはピンとこないんですね。大きすぎるのかな各パーツが??? そういえば女優としても人としてもなんだか謎な存在としていつももやもやしてしまうのが『アマゾンの男』でヒロインを演じるアリエル・ドンバールなんです。ブロンドの白痴美女優の伝統を全うしながら一方でロメールからアラン・ロブ=グリエ、近くはスペインの気鋭ホセ・ルイス・ゲリン等々の作家の映画でも大活躍、その振幅の広さにいつもぽかんとしてしまう。でもベルモンドはこの系統の女優が嫌いではないようですね笑
 かたや『リオの男』のフランソワーズ・ドルレアックは小気味いいコメディエンヌとしての面白さをここでは全開にしてくれていますね。下手をしたら添え物的なヒロインとなりかねない役どころなのに、興味をそらさず存在し続ける。誘拐犯に盛られた一服のせいでパリからリオへ、朦朧状態で移動する、その硬直とふにゃふにゃとを体現する身体性はベルモンドのアクションに匹敵するセンスといってもいい。この映画の後、わずか数年で事故死してしまうのですが、今も存命だったら妹ドヌーヴとはまた別の輝きをさらに輝かせていたんだろうなと、惜しまれます。

「相続人」
L’HERITIER a film by Philippe Labro © 1972 STUDIOCANAL – Euro International Films S.p.A All rights reserved.

★『カトマンズの男』はベルモンドのフレンチ・トラッドなおしゃれにも注目だと思うのですが、いかがでしょう?

M:品よくカジュアルウェアを着こなしていますね。
ノワールな色彩のイメージが強いアラン・ドロンとは対照的に、ベルモンドは赤いセーターなどをサラッと着るのがうまいと思います。
帽子とコートの着こなしも、素晴らしいです。スタイルの良さもあり、何着ても似合いますね。
『カトマンズの男』の序盤の漫画的な前髪も面白かったです。
傑作選1の70年代後半以降の作品では、ハードボイルド〜タフガイ的なスタイルが多く、ファッション的な見どころは少ないのですが、60年代のベルモンド作品は、カジュアルの着こなしが洒落ています。
60年代中期は、メンズファッションもデザイン性が増していく時期ですが、ベルモンドのスタイルは、トラッドベースで、とても好感が持てます。
『勝手にしやがれ』のヘリンボーンジャケットから、ずっと首尾一貫しています。
『リオの男』の白いスモーキングジャケットなんかも、実にさりげなく着こなしてうまいです。

A:異議なしです! 実は海外メディアでこの映画の評者としてマット・ゾラ―・サイツの名前を発見しておおっと膝を打ったんです。「ウェス・アンダーソンの世界 グランド・ブダペスト・ホテル Popular Edition」等の素敵にヴィジュアルな著作をものしているアンダーソン研究の第一人者ですが、その彼が『カトマンズの男』を評するって結び目に気づくと、もちろんタンタン―ド・ブロカ―スピルバーグって繋がりは無視し難いのですがその先にもうひとりアンダーソンが浮かんでくる。で、彼の映画のおしゃれのインスピレーションとしてベルモンドのここでの服装術、絶対、好きだろうなあと確信せずにはいられなくなります。
 とりわけ気にしてみたいのはネパールへの旅でネイビー・ブレザー(これもかわいいい)の下に直用のラコステ白のポロ。提灯袖が二の腕の逞しさを引き立てて、この筋肉美あってこそのポロと改めて思いつつ、でもカーク・ダグラスのムキムキには陥らないおぼっちゃまな雰囲気の仕上がりがまたいいんですね。ぼたんをきちんと襟元まですべてかけて着る上品さも見逃せません。大富豪としての役作りには違いないし、そこは衣装担当のジャクリーヌ・モロー(『女は女である』『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』『薔薇のスタビスキー』等)の腕のみせどころでもあるのでしょうが、何を着ても様になるベルモンドの強みも忘れるわけにはいきませんよね。役作りという意味ではヒマラヤ行きにLV印のバッグふたつ、テニスラケットと赤が効いてるブランケットをくくりつけてという旅支度の優雅さも要チェックです。いっぽうでこの自殺志願のお坊ちゃまのエキセントリックな部分、ナードな部分も衣装はきちんと押さえていて例えばグリーンのジャケットにピンクのシャツ、金のカフリンクスという合わせ、ベルモンドだからシックに成功しているけれど一歩間違うと色とりどりの危険な組み合わせともなりそうですよね。そのあたりのすれすれなおしゃれに熱い視線を注いでいるのがウェス・アンダーソンって気もするわけで、セルクルでもとりあげた『グランド・ブダペスト・ホテル』でも上手にすれすれ素敵なおしゃれを究めていました。
 もうひとり、忘れてはいけないのが従者役のジャン・ロシュフォール、『大盗賊』でも今回の傑作選第二弾に登場する『相続人』でもいい味を出していて見直しちゃいましたが、『カトマンズの男』で彼が着ているサーヴァント用の縞々のジャケット、印象的ですね。あれ、昔、アニエスbが本来の役割分担を外したおしゃれ着として打ち出していませんでしたか? 確か80年代、パリのサマリテーヌの作業衣売り場で物色したような気もします。
 何はともあれ、映画をおしゃれで見るって楽しみのことも思い出させてれる『カトマンズの男』なんですね。

パリの大泥棒アメリカ版ポスター

★『リオの男』はベルモンド総選挙で1位、『カトマンズの男』は4位に輝きました。映画ファンの支持を集める秘密はどこにあると思われますか?

M:先にも言いましたが、娯楽映画の魅力が凝縮されている点です。
ベルモンドの作品でいうと、『リオの男』『カトマンズの男』は、絶対に外せない鉄板です。
ともかく面白い。
笑えて楽しく、観光気分もあり、ヒーロー、ヒロインが素敵。
傑作選3も開催される事を期待したいです。

A:これは川野さんも仰るように娯楽映画のエッセンスを射抜いている点、そこでしょう。
見終えてすぐまたもう一度、また一度と見たくなる、そういう映画、昨今ではなかなかめぐりあえませんよね。それだけに今回の上映、映画のお愉しみを味わい尽くす貴重な機会だと思います。

ラ・スクムーンドイツ版ポスター
「エースの中のエース」
L’AS DES AS a film by Gerard Oury © 1982 / STUDIOCANAL – Gaumont – Rialto Films GmbH All rights reserved.

ジャン=ポール・ベルモンド傑作選2上映作品】※全作品、松浦美奈さんによる完全新訳日本語字幕版となります。

『リオの男』 (1964年/フランス・イタリア合作映画) 総選挙第1位
監督:フィリップ・ド・ブロカ(「大盗賊」) 共演:フランソワーズ・ドルレアック(「ロシュフォールの恋人たち」)
※パリからリオへ、冒険、冒険、また冒険!ベルモンド×ド・ブロカ監督コンビによるベルモンド映画の決定版にして最高傑作!
★HDリマスターによる57年ぶりの劇場公開

『カトマンズの男』 (1965年/フランス・イタリア合作映画) 総選挙第4位
監督:フィリップ・ド・ブロカ(「大盗賊」) 共演:ウルスラ・アンドレス(「007 ドクター・ノオ」)、ジャン・ロシュフォール
※香港、マレーシア、ネパール…、さらに危険で過激な大冒険の連続! ベルモンド×ド・ブロカ・コンビのもう一つの最高傑作!
★HDリマスターによる55年ぶりの劇場公開

『相続人』 (1973年/フランス・イタリア合作映画) 総選挙第9位
監督:フィリップ・ラブロ(「危険を買う男」) 共演:カルラ・グラヴィーナ、シャルル・デネ、ジャン・ロシュフォール
※スリリング&スタイリッシュ! 巨大財閥の相続人ベルモンドが闇の謀略に挑むクライム・サスペンスの傑作!
★未DVD&ブルーレイ化 ★HDリマスターによる48年ぶりの劇場公開

『エースの中のエース』 (1982年/フランス・西ドイツ合作映画) 江戸木純セレクション
監督:ジェラール・ウーリー(「大頭脳」)共演:マリー=フランス・ピジェ(「真夜中の向う側」)
※1936年ベルリン五輪の真っ只中、ユダヤ人少年を救うべくベルモンドがナチスを相手に大活躍する戦争アクション超大作!
★未DVD&ブルーレイ化 ★HDリマスターによる<日本劇場初公開>

『アマゾンの男』 (2000年/フランス・スペイン合作映画) 特別プレミア上映
監督:フィリップ・ド・ブロカ(「大盗賊」) 共演:アリエル・ドンバール(「海辺のポーリーヌ」)
※『リオの男』から36年、南米アマゾンを舞台にベルモンドが再び大暴れ!ド・ブロカ監督との最後のコンビ作!
★国内未ソフト化 ★HDリマスターによる<日本初公開>

5/14(金)より新宿武蔵野館にて待望のロードショー!

他、テアトル梅田、名演小劇場にても上映決定! 以下、全国にて順次上映。

『アメリカン・ユートピア』デイヴィッド・バーン×スパイク・リー=?/Cinema Discussion-35

©2020 PM AU FILM, LLC AND RIVER ROAD ENTERTAINMENT, LLC ALL RIGHTS RESERVED

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション。第35回は、元トーキング・ヘッズのデイヴィッド・バーンが、2019年秋から2020年2月までニューヨークブロードウェイのショーとして開催したAMERICAN UTOPIAのライブドキュメンタリー映画『アメリカン・ユートピア』です。
監督はスパイク・リーで、80年代ニューヨークを代表する音楽と映画のトップスターがガッチリ組んだ作品で、単なるライブ映画という枠を超えた作品になっています。
セルクルルージュのメンバーは、皆でトーキングヘッズの1982年新宿厚生年金会館のライブは見に行っており、川口哲生は、2020年1月ニューヨークのハドソンシアターで、実際にAMNERICAN UTOPIAの公演を見ています。
今回は現地での感想も含めて、川口哲生、名古屋靖、川野 正雄と、ナヴィゲーター役の映画評論家川口敦子の4名で、お届けします。

HUDSON THEATER

★まず、哲生くんへの質問です。昨年、コロナ禍のぎりぎり直前にブロードウェイの舞台を見ることができたんですよね。その折のこと、舞台について感想ともども聞かせてください。

・川口哲生(以下T):私がこのショーを知ったのは、2019年11月21日、渋谷PARCOのリニューアルオープンで三宅一生さんのパリのショーを撮ったドキュメンタリー映画の上映があり、そこで一緒になった中野監督からでした。お互いデイヴィッド・バーンの大ファンであり、1980年代初頭に一緒にバリに行ったときに毎晩“once in a lifetime”のへんてこなダンスを真似しあった仲です。一気に話が盛り上がり翌2020年1月末の弾丸NYツアーとなりました。
具体的には1月25日ダブルヘッダーの初回、5時からのショーをW44th STのHUDSON THEATERで観ました。
ショーはそぎ落とされた潔さを感じるセッティングの中、照明のコントラストで場面展開を繋げていく構成が素晴らしく、一瞬も飽きることなく魅入ってしまいました
劇場の小ささも相まって、コンパクトなステージ全体を観る感じ、デイヴィッドの動きを中心として追うコンサート的な見方ではなく、群舞としての魅力をすごく感じました。
様々な人種、ジェンダーのミックスされたグループ全体の動きを水槽の魚の群れが泳ぐのを観る、そんなイメージを受けました。感銘を受けました。スパイク・リー監督がマーチングバンドの様だといっているのも、このグループの動きを観てだと思います。

★オフやオフオフでなくブロードウェイでの公演だった、それはデイヴィッド・バーンの軌跡からするとメジャーすぎるみたいな抵抗感はありませんでしたか? 
これはみなさんのご意見も伺ってみたいです。

T:まさにブロードウェイのど真ん中といったロケーションと1903年からの歴史を持つ由緒正しいシアターでの上演でした。389ドルの特別バーラウンジが利用できるオーケストラシートのチケットを取り、一時間前からウォーミングアップという感じでした。笑

コロナ禍前のニューヨークは平和で、今まで行ったどのタイミングよりも治安が良く、どこも居心地がいい感じでした。
今回このプロジェクトに貫かれていることは、トランプ政権を生ませたアメリカの分断、そしてトランプが新たにもたらした様々な問題を抱えながらも、それをただ糾弾するような“years ago,I am an angry young man(”nothing but flowers”) “でも、だれにも居心地の悪さを強いる”I am tense & nervous , and I can’t relax (“psycho killer”)”でも、そして“does anybody have any questions?”と投げかけるだけで足早に去っていく(”stop making sense”)でもない
reasons to be cheerfulを観客と一緒に実現しようとする大人な、というと安直ですが、マチュアなデイヴィッドの在り様に思えます。
その意味では、一緒に成長した観客側も含め、今回のブロードウェイなのではないでしょうか?インタヴューでも言っていますが、ドグマチックなステートメントでなく、あなたの今ブロードウェイで楽しんでいるこのショー、それを成立させているのは何なのか?という投げかけですね。

公演チケット

・名古屋靖(以下N):今回のブロードウェイ公演とその映画化について、2018年にリリースされたデイヴィッド・バーンのソロ・アルバム『AMERICAN UTOPIA』の話から始めなければならないかと思います。
今映画作品のタイトルと同名のソロ・アルバムは、デイヴィッド・バーン自身がどうしても伝えたかったことを彼独自のスタイルでシニカルに、しかし確実に(2018時点での)今、出来るだけ多くの人々に届くよう作られたメッセージ性の高い意欲作でした。彼が言いたかったのは、当時トランプ政権下のアメリカについてで、国民の分断、移民問題、銃規制、レイシズムなど現在もなお続いている様々な不条理や絶望が渦巻くアメリカン・ユートピアという名のデストピアについて訴えることでした。
2018年3月9日に全米で発売されたこのアルバムは、1週間後「Billboard top 200」で初登場3位を獲得。これはTalking heads解散後、デイヴィッド・バーンの様々なコラボ作品も含めた彼の長いキャリアの中で最高位の大ヒットとなりました。このアルバムが様々な疑問や不安を抱えたアメリカの人々に、求められ、支持された作品になったことで、彼のメッセージはアメリカの良心を代表する言葉になったんだと思います。
若かりし頃、小汚いCBGBでギグを繰り返していた痩せて捻くれた美大生ではなく、平和で優しい心を持った大衆の代弁者としてブロードウェイのど真ん中で声を上げるのは当然の成り行きじゃないでしょうか。またそのステージを映画化することは、公演を観に来れない世界の人々に向けて自身のメッセージをさらにもう一段スプレッドする事ができると考えたのでしょう。

・川口敦子(以下A):私にとってのデイヴィッド・バーンというのはトーキング・ヘッズ時代、そして80年代半ば『ストップ・メイキング・センス』と自ら監督した『トゥルー・ストーリー』を通じての存在で、それ以後は殆どフォローしていなかったんだなあと今回改めて振り返ってみて気づいた、覚醒した(笑) すごく近くの人として追いかけていたつもりが、いつの間にか遠くなっていたんだなあとそんな感じです。
まあ、哲生くんに教えてもらった”reason to be cheerful”のサイト、あるいはバイク日記は読んでいますが、アップデイトはできてなかった、正直そう思いました。
なにしろいまだにバーンといってぱっと浮かんでくるのは78年かな、LAにいた頃、サンセットのウィスキアだったかロキシーだったかで見た、まさにアートスクールの学生そのままみたいなトーキング・ヘッズのギグの生硬な尖り方、まだショートヘアだったティナの少年みたいな存在感とバーンの古着の格子(そういえばこの時もやっぱりグレー系だったような)のたらんとしたシャツ、で、結局、一緒に行った哲生くんの影響下での体験だったなあと思うのですが、ともかく同時代的に発生していた映画界のNYインディとも通じる70年代末的アンダーグラウンド、前衛、非メジャーのイメージで捉えてきたんですね。
その意味では『アメリカン・ユートピア』でダダ、超意味言語にふれているのも面白かった。前衛演出家ロバート・ウィルソンと組んだりもしていますよね。
『ストップ・メイキング・センス』のリマスター版が出た99年、サンフランシスコの映画祭でトーキング・ヘッズのメンバー4人が久々に揃って記者会見した折のQAからはそれぞれの道を行っているとはいえ、インディな姿勢というのが背骨として相変わらず共有されていていいなあと、うれしかったですね。で、そこでバーンがデビュー当時、外見はすごく保守的だった、それが逆に因襲破壊的な態度を表明する術だったと語っているのも面白い。すみません、だらだらになってしまいましたが、要は今回のブロードウェイの選択もそういう姿勢なのかなとまずは思っていたんです。だけど、『アメリカン・ユートピア』を見ているとそんなふうな身構えはもう超えたという感触、みなさんが仰る成熟ゆえの衒いなさこそを受け止めるべきかなと思い直したりしています。

・川野正雄(以下M):NYのニューウェーブ的なバンドとしてGBGBからスタートしたデイヴィッド・バーンが、60代になりブロードウェイで連続公演するというのは、素晴らしいストーリーですし、バーンらしいなと思いました。
どのミュージシャンも、年代と共に立つステージは変わってくると思います。往々にしてそれは定番化や退化を伴っていますが、バーンはむしろ進化して、これまでの軌跡の集大成的なパフォーマンスに昇華させているのは、さすがだなと感じました。
デイヴィッド・バーンに関しては、トーキング・ヘッズ解散以降、個人的に急激に関心が薄れていき、しばらく全く聞いていませんでした。
バーンがラテンのセレクトアルバム出したころから、バーンの迷走とそれを受け止め、エッジの効かせ方が、少し時代遅れに感じてしまっていたのです。
改めて意識したのは、2010年香港にいた時に、ファットボーイスリムが来て、TIME OUTのインタビューで、影響を受けたアーチストとしてデイヴィッド・バーンをあげていたので、再注目をしました。
その後名古屋君から2009年の来日ステージの話を聞いたりして、再度ブライアン・イーノとのコラボアルバムを聞き出し、改めてそのセンスというか、音楽的な魅力に引き込まれていました。

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★観客層はどんな感じでしたか? 反応は?

T:観客はおおむね私と同年代60前後の男女がやはり多いのでは?おしゃれな印象はないです。笑
映画の中でも、観客とのやり取りがありますが、一体になってステージを作っている感はすごくありました。そぎ落として、防御するものがないミュージシャンが観客とともに作るステージ、インタヴューでスタンダップコメディの観客に対する防御のなさを、ミュージカルショーとしてやってみたかったといっていますが、その感じです。
”Burning down the house“では総立ちだったと思います。
私の後ろの席には小学生ぐらいの男の子を連れた人もいて、“Toe Jam”とか笑いながら踊っていて、しっかり受け継がれていいていていいなぁ、とうれしく思いました。
大統領選前のNY、選挙に関する発言もショーの中でも多いですが、ここにいる人でトランプに投票する人はいないだろうなって感じ。

★映画版でも観客の存在が意識的に切り取られていますが、舞台にはない映画の面白さ、みなさんはどのあたりにあると感じましたか?

T:スパイク・リー監督がマルチアングルで撮っているし。ソロパートでのクローズアップもあるので、アーティストそれぞれのジェンダーや人種や移民というテーマとの関係性をより強烈に意識した様に思います。ステージではデイヴィッドに近いクリス・ギアーモの存在感が強烈でしたが、映画では彼だけでないそれぞれの表情まで鮮明に伝わりますよね。

N:実際に現場に行かれた川口さんがおっしゃる通り、映画を観る限り写っている観客はみんなおしゃれじゃない。ニューヨークに観に行けるくらいだから貧困層では無いにしろ、リッチな雰囲気はないちょっとダサい感じ。でもそれが今のアメリカの普通の人々に見えて共感できました。もちろんセレブな客層も会場にいたはずですが映さない。この映画のテーマを伝えるためには、その辺も意識して撮影していたのかもしれません。

M:現場体験した哲生君の印象と同じで、お洒落ではないですね(笑)。
チケットも、ロックコンサートと考えると安くはないですし、バーンのファンって、アメリカではこんな感じなんだな~と思って見ました。
マルチアングルで、コンサートをしっかりと理解してスパイク・リーが撮影していると思いました。
メッセージも字幕できちんと伝わり、映画ならではの理解ができました。

A:まずはこのショウそのものでバーンが劇場という時空を観客席を含めて意識しているような所が興味深かったですね。観客席を巻き込んでのトークと照明、それが”物語″(メッセージといってもいいですが)を共有して進めていこうという覚悟みたいなものを感じさせる。『ストップ・メイキング・センス』のステージは、観客もつられてダンスダンスという部分はあるとしても、直方体の舞台の時空の中でキンと完結しているように見える。その点、ショウとしての構成、設計の綿密さを思わせる『アメリカン・ユートピア』が、むしろ開かれた時空としてあろうとしているのが面白いですよね。あるいはこの映画のバーンの在り方がそういうオープンさを意識的に打ち出し、見る側にも積極的な印象として伝わってくるのかもしれませんが。
映画として俯瞰の視点、はたまた裸足のクロースアップ、顔のそれとマルチな視点、眼差しを導入して舞台にはない面白味を追及しながら、でも案外、ドキュメンタリー的に観客との対話を掬い取った部分のはみ出し方がより生き生きと迫ってきてバズビー・バークレーの人工的な俯瞰の幾何学模様を思わせる面白さもあるけれど、それよりはフレデリック・ワイズマンのアメリカなマーチングバンドの場面、その生気と共振してしまうような点の魅力についても考えてみたいなと思いました。

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★デイヴィッド・バーンと監督スパイク・リーの顔合わせに関しては?

A:ジャームッシュとはPVで組んだことがあるみたいですが、その方がすんなりくる気がしますね。スパイク・リーとは意外でしたが、でも、映画のメッセージ性を思うとやはりここにはリーが欲しかったということでしょうか。哲生くんが送ってくれた動画サイトの対談ではリーの初期の快作『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』がよかったなんてバーンいってますね。ちなみにバーンは『トゥルー・ストーリー』を作る上でアルトマン『ナッシュビル』を視界に入れていたようで脚本のジョーン・チュークスベリーに参加を求め、辞退された後にも様々に助言を受けていたりと、映画に関して造詣も深そうだし、いい趣味しているんだなあ。監督としても面白い。

T:ありそうでないというか、大丈夫かな?という感じかな。笑
“Hell You Talmbout“の演出はスパイク・リーだからこそでしょう。
最期の“Everyboby‘s coming to my house”のデトロイト・スクール・オブ・アーツ版の挿入も。

N: スパイク・リーの演出は、コテコテな印象の彼らしくないシンプルですがリズミカルで素晴らしかったです。後半「Hell You Talmbout」での気合の入れ方はまさにスパイク・リーでしたが。監督が事前にどこまでデヴィッド・バーンを知っていたかは知りませんが、相当に時間をかけて事前予習したんじゃないかと思うくらい、独特なデヴィッド・バーンの特徴を捉えているのに感心しました。
何よりみなさんのおっしゃる通り、マルチ・アングルの撮影は秀逸。

M:二人の対談見ると、スパイク・リーは、二階席から見て、俯瞰撮影のインスピレーションを得たと言ってますね。
共に80年代にNYでデビューして、近くて遠い存在だったみたいですね。スパイク・リーは80年代のトーキング・ヘッズは見に行っていたようですし、バーンは『ドゥ・ザ・ライト・シング』のプレミアに行ったみたいな話もしていました。
80年代NYのブラックカルチャーとホワイトカルチャーの象徴みたいな二人が、今組むという事に、すごく意義があると思います。
同じ時代のNYの監督のジム・ジャームッシュがやったら、また違ったものになったでしょうね。もっとオフショットが増えたのではないかと想像します。
この映画で言えば、エンディングも良かったです。
ちょっと意外な感じで。バーンもNORTH FACE着るんだなみたいな意味も含めて(笑)。

スパイク・リーとの対談

★音楽、ダンスについてはいかがでしょう? ジョナサン・デミ監督の『ストップ・メイキング・センス』との比較は?

N:『ストップ・メイキング・センス』は臨場感があって擬似ライヴ体験ができる映画でした。今作は荒削りなライブ感とは対極の、感動するくらいの完璧さが際立っている印象です。 僕はスタジオ盤とこのブロードウェイ公演ライヴ盤の『AMERICAN UTOPIA』アナログ盤を両方とも所持しているのですが、正直言うと今回の映画版を観てやっとデヴィッド・バーンが伝えたかった事がちゃんと理解できたと思っています。映画にしか収録されていない曲間のバンター(MC)はデヴィッド・バーンらしい表現でいちいち笑えるし、実はとても重要なことを言ってました。

T:『ストップ・メイキング・センス』はラジカセ抱えたミニマルから、だんだんに音の厚みを増していく構成が素晴らしいですが、ドラムセットがセッティングされ、ラインにつながれた楽器での自由度なので、デイヴィッドは走り回り踊りまくりますが、フォーマットはコンサートですよね。 今回は先にも述べたけれど、ミュージシャンとして音楽的パートを担うとともにグループダンスとしてそれぞれの意味を担っています。その自由度の違いがコンサートとは違うショーを生んでいると思います。
デイヴィッドのヘンテコダンスはメリカ人も笑っていたけど、昔からシリアスさとユーモアのミクスチャーなんだけれど、昔のそれは感情の表出へのバリアみたいに感じられたけれど、今回はそれを超えたこうしているのが”damn good”(“I  Dance Like This”) だからと素直に感じました。

M:『ストップ・メイキング・センス』は、実は細かい記憶がなく、比較は難しいですね。
でもVHSビデオ買い、当時は何回も見ました。
トーキング・ヘッズのライブも、多分最後の来日公演で、トムトムクラブと一緒の時に見ただけで、その印象もあまり残っていません。何故かトムトムクラブは憶えているんですが。
比較は別にして、昔の曲の進化も、新しい曲のメッセージ性も素晴らしいと思いました。
ダンスは、バーンの得意とする部分で、今回も集団のマスゲーム的な動きが素晴らしいと思いました。
80年代も『ザ・キャサリン・ホイール』でバレエ~ダンスとのコラボレーションがありましたが、他のロックミュージシャンと比べると、ダンスに対するアプローチは、単なるステージアクションという領域を超えたレベルだと思います。
音だけではなく視覚的にも美しくかつユニークにステージを構成していくというバーン独特のスタイル、ライブコンサートというよりも、ステージパフォーマンスという言葉の方が似つかわしいショーの集大成ととらえています。
自分の感性でいうと、トーキング・ヘッズが活動していた時代では、やはり初期のエッジの効いた曲が好きでしたが、最近は『リトル・クリーチャーズ』など、カントリーぽい曲の方が好きです。
先ほども言いましたが、一時期はバーンの音楽的な多様性が、少し無節操にも見えて、あまり好きではなかったのですが、今改めてその懐の深さに魅力を感じています。

A:デミはスタジオ映画『スウィング・シフト』を思うように撮れない鬱憤を『ストップ・メイキング・センス』で晴らしていたとdvd所収の会見で元トーキング・ヘッズの4人が明かしてますが、バンドメンバーのインタビューとか舞台裏とかを一切、そぎ落としステージに的を絞り切った潔さに包まれてバーンのほとんど自閉的疾走、そのグルーブにスクリーンのこちら側でも巻き込まれる快感が今見ても凄い。それに比べると体形的にも丸くなったバーンの『アメリカン・ユートピア』での身体性は、チームワークによって完遂されていく、その磁力ですね。で、唐突なんですが、最初と最後に舞台の緞帳が映るでしょ、あれなんだか鳥獣戯画っぽく見えて、そういえば前半の振り付け、どこかお祭りの踊りめいたところもありませんでしたか? だからどうした、なんですがちょっと気になってます。あれ、バーンが描いたのかな・・・。(哲生くん情報によればMaira Kalman というイラストレーター/作家の作品なんですね。映画も撮ってるんだ!)

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★制服のようなグレーの衣装と裸足というバーンとバンドの出で立ちは形式と非形式、コントロールと自由、真面目さと遊び心、皮肉と誠意ーーといった対立項をめぐってバーンの世界を思わせてくれるとニューヨーク・タイムズ紙の評にありますが、映画としての、はたまた、コンサート・ショウとしての、あるいはアーティストとしてのバーンの面白さもそうした両極の存在と関係しているのでは?

N:デイヴィッド・バーンは2009年1月に来日公演をしています。僕は1/28今はなき渋谷AXでのショウを観に行きました。その時もすでにデイヴィッド・バーンを含めた全出演者は白いスーツで統一されていて、オフラインの楽器演奏者とダンサーが入り乱れながら縦横無尽にステージを動き回る、見事なコンテンポラリー・パフォーマンスが行われていました。今回の『AMERICAN UTOPIA』は、さらに無駄な要素が削ぎ落とされ、テクニカルな照明演出等も加わり、パフォーマンスの精度は何倍もUPしていました。まさにデイヴィッド・バーンの今の完成形をこの映画で観ることが出来ます。

T:確かにユニフォーム然としたグレーのスーツは没個性の様で、それを着る人たちの個性を逆に明確にしていますよね。一番堅固な靴を履かない裸足でのパフォーマンスは、前に触れた、観客に対しての無防備さを象徴していますね。
話はちょっとそれるけれど、
昔からデイヴィッドっておしゃれなんだろうか、わざと外しているのだろうかと思わなかった?笑
インタヴューとかも感情押えた抑揚のない受け答えだったり、あるいは『ツゥルー・ストーリーズ』みたいなアメリカーナだったり。
すごく複雑でアンビバレント。
“nothing but flowers”だってジョニー・ミッチェルの”Big Yellow Taxi“みたいなパラダイスに対してのストレートさはないし。ツイステッド。笑

どうしてここにたどり着いちゃったんだろう?これがパラダイスなんだろうか?みたいな感覚はデイヴィッドの歌詞によく登場しますね。
それと対になる”This must be the place”みたいなHome、自分の居場所みたいなことも。

A:アンビバレント、バーンの核心じゃないでしょうか。リンチともちょっと違うんですが幼児性と老成が今回もやわらかく混じりあっていて、でもメッセージの率直さ、まっすぐさの邪魔にはなっていない、そこが素敵ですね。

M:『ストップ・メイキング・センス』もですが、スーツというのはバーンの一つの表現になっていますね。今回のスーツは、色も形もよく、動きやすそうで、欲しいなと思ってしまいました。
『ストップ・メイキング・センス』の冒頭は、トップサイダーのデッキシューズのようなスニーカーでしたが、今回は裸足で、スーツと足元の対比というのは、確かに対峙的な構図にしているのかもしれません。

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★アメリカ、ユートピア/ディストピアの主題に関してはいかがですか?

T:バイデンになっても、トランプを支持したあれだけの層の想いは、リベラルなコレクトネスとは別に現存しているし、コロナ禍で人種問題もさらに加速度ついている様に思います。
まさにアメリカンユートピアとは対極なんだろうけれど、さっきも言ったようにそれでもReason to be cheerful を模索するそんなデイヴィッドへのシンパシーを”road to nowhere”で会場を練り歩く一団を観ながら感じました。

A:これは『トゥルー・ストーリー』の頃から一貫したテーマだとも思います。ただ、大きな政治みたいなものでなく、小さな足元からの呼びかけ、「ユートピアはあなたから始まる」とか「Us and You」ってスタンス、

M:これはやはりトランプの時代を皮肉るという意味合いが強いのではないかと感じました。映画で良かったのは、MCも歌詞も字幕付きで、メッセージを理解できた事です。
古い曲『イジンバラ』の意味合いも、30年近く聞いていますが、初めて理解出来ました。
ブロードウェイのショートしてこの公演をやるところに、劇場の中で体験するユートピアと、現実社会の隔世みたいな意味合いがあるのかなとも感じています。

★なんでもコロナと結びつけたくはないですが、また映画が撮られたのもコロナ以前のことですが、でも映画は世界の今をきっちり睨んでいるように思います。今、この映画を見ること、どのように受け止めましたか?

A:絶望的な今に絶望しないでいくことの強さを信じている、それが率直に伝わってきますね。希望なんていってしまうと陳腐ですが、シニカルでない呼びかけには応えたい、そう思えますね。

T:コロナが終息したら、ブロードウェイのショーは再開が予定されていましたが、それがなかなかかなわない中、映画化の意味も別のものになったように思います。

M:元々このライブには哲生君と一緒にNYに行く予定でしたが、個人的なタイミングが悪く、泣く泣くキャンセルをしました。
改めて映画を見て、ちょっと複雑な感情も湧きましたが、これは本当にわざわざ行く価値がある体験だったんだなと実感しました。
コロナの直前で、現時点ブロードウェイが最後に輝いた時期でもあったと思います。
この1年でコロナが出て、トランプも退場しました。
そしてこのようなライブパフォーマンスが現在も出来ない状況が続いています(回復の流れはありますが)。
今この世界を考える上でも、1年ちょっと前の記録であるこの映画を見る事は、重要ではないでしょうか。

劇場内緞帳

5月28日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、渋谷シネクイント他全国順次公開となります。
緊急事態宣言の状況で、公開は変わりますので、公式サイトでご確認ください。
監督:スパイク・リー 製作:デイヴィッド・バーン、スパイク・リー
出演ミュージシャン:デイヴィッド・バーン、ジャクリーン・アセヴェド、グスタヴォ・ディ・ダルヴァ、ダニエル・フリードマン、クリス・ジャルモ、ティム・ケイパー、テンダイ・クンバ、カール・マンスフィールド、マウロ・レフォスコ、ステファン・サンフアン、アンジー・スワン、ボビー・ウーテン・3世

2020年/アメリカ/英語/カラー/ビスタ/5.1ch/107分/原題:DAVID BYRNE`S AMERICAN UTOPIA/字幕監修:ピーター・バラカン
公式サイト
©2020 PM AU FILM, LLC AND RIVER ROAD ENTERTAINMENT, LLC ALL RIGH

予告編