Cinema Discussion-4 ビートニク映画祭/ The Beat Goes On

ジャック・ケルアック/キング・オブ・ザ・ビート』 ©John Antonelli
ジャック・ケルアック/キング・オブ・ザ・ビート』
©John Antonelli

映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えるセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション第4弾は、3月22日よりスタートするビートニク映画祭から3本の作品『ジャック・ケルアック/キング・オブ・ザ・ビート』『キャンディ・マウンテン』『スウィンギング・ロンドン1&2』をピックアップして、ご紹介致します。
今回も参加者は、前回と同様に映画評論家川口敦子さんをナビゲーターに、川口哲生、名古屋靖、川野正雄の4名です。

川口敦子(以下A):まず皆さんのビートニクに対する思いみたいなものを聞いてみたいのですが。川野さんは、バロウズに会った事があるんですよね。

川野正雄(以下M):1990年に、当時バロウズが住んでいたカンザスシティローレンスという小さな街で会いました。
一度夕食を共にして、翌日は森の中に行って、バロウズ主催のショットガンパーティに参加しました。当時バロウズは、板をショットガンで撃ち抜き、その弾痕にペイントするショットガンペインティングという作品を制作していたのですが、その現場を体験させてもらいました。銃をみんなで撃って、その後山小屋に移動し、ささやかだけど、強烈なパーティを催すという流れでしたね。
パーティの内容は詳しく書けないのですが、バロウズが隣に座ってくれたので、色々と話しをして頂きました。
その頃バロウズは、ビートニクというよりサイバーパンクという存在でしたが、ちょうどガス・ヴァン・サントの『ドラッグストアカウボーイ』に出た後で、ガス・ヴァン・サントのことを誉めていましたね。

A :私がガス・ヴァン・サントにインタビューした時、彼はバロウズのグルーピーだと言ってはにかんだみたいに笑ってました。その一言でいっきに親近感が増しましたね。彼の場合はほんとは深くビートを掘り下げ生き方の面でも自分の作る映画でもその精神を受け継いでると思いますが、グルーピー感覚も残しているところが素敵というのかな。彼自身、ケルアックがニール・キャサディを「路上」で外側から見て描いたように、バロウズのような実践者ではなく、どちらかというと、見ている側の人間だと考えているようでした。そう聞いてみると『ドラッグストア・カウボーイ』の主人公も『マイ・プライベート・アイダホ』のキアヌが演じる市長の息子も、結局、踵を返す、旅にとどまれないケルアック的存在で、観客もそこについ自分を重ねたくなったりするのではないでしょうか。

名古屋靖(以下Y):僕の「On The Road」とジャック・ケルアックの漠然としたイメージは、「On The Road」の主人公のモデルとなったニール・キャサディだったんだと思います。サイケデリックなバスで全米を旅しながら、各地でアシッドテストと言う名のPartyを開催しつつLSDをばらまいたケン・キージー率いる「メアリー・プランクスターズ」の主要メンバーで、そのバスの運転手がニール・キャサディ。そんなニール・キャサディ自身のハチャメチャぶりがまさに「On The Road」であり、彼とケルアックが巡り会わなければ、ケルアックは「King of the Beats」にはなれなかったと思われます。
映画を観るとケルアックは実にまともです。彼を良く知る方はなるほど納得の内容でしょう。しかし、ビートニクの派手な側面にばかり目を向けていた自分には、申し訳ないけれども彼のリアルな人生には少なからず失望させれらました。ケルアックはビートニクというよりビートニクの観測者であり理解者だったんだと思います。アルコール依存などはミイラ取りがミイラになっただけで、彼自身はニール・キャサディやバロウズのような筋金入りのビートニクではなかったんでしょうね。

©WALTER LEHMAN
©WALTER LEHMAN

M: 最初にバロウズに会った時は、ホテルのレストランでした。しばらくバロウズを待っていると、レストランの窓に帽子を被り、猫背で歩くバロウズそのもののシルエットが写し出され、その影だけでものすごいオーラを感じました。
食事の時のバロウズは、穏やかで、ゆっくり喋っていたので、かなり老いた印象でした。その土地はなまずが名物だと言って、なまず料理を食べていましたが、食事をすごくこぼしていた事をよく覚えています。彼の秘書のジェームス・グラワーホルツが、こぼした食事をきれいに片付けている姿が、世話女房のように献身的で、すごく印象に残っています。後から聞いた話しですが、ジェームス・グラワーホルツは、アレン・ギンズバーグから譲り受けた秘書だそうです。
ところが、翌日の森でのショットガンを撃つ時や、アフターパーティのバロウズは、まだかなりの現役感がありましたね。
映画のプレミアか何かで、ロンドンから帰ってきたばかりだと言ってましたから。

日本版「ブレードランナー」にサインを頂きました。
日本版「ブレードランナー」にサインを頂きました。

バロウズのサイン
バロウズのサイン

川口哲生(以下T): 私の中ではbeatは同時代感は全くないです。いろいろなものの中の影響を後追いで体験して来たように思います。それ故にbeatを正面から語るのはちょっと重さがあるかな。だからわざと横道から入りますが、1988年ぐらい毎金曜日の深夜、青山のサルパラダイスからクラブジャマイカへのクラブ・クロールを繰り返していた時期があります。当時サル・パラダイスはオン・ザ・ロードのサル・パラダイスかぐらいにしか意識していなかったけれど、レゲエのダンスホール、ましてやランキンタクシーが原発やら差別やらの危ないDJをしていた、いわゆるマジョリティの価値観と全く外れたこういう店の経営者は、こういう名前をつけるのだなと感慨深いですね(笑)。何か時代は違い、行き先は違っても、ホーボー、ボヘミアン、ヒップスターといった世界観に駆り立てられる感じは、時代や世代を超えて繰り返される様に思います。ヒッピーのインドだったり、僕らの80年代初頭だとバリだったりジャマイカだったり。そしてそこに絡む音楽やヒップスターは変わっても。アフロアメリカ的純粋なもの、感覚的なものものへのあこがれも(beat ではjazzなんだろうけれど)も共通ですね。

M: JAZZといえば、バロウズに会った時、僕がブルース・ウェーバーのチェット・ベイカーTシャツを着ていたら、バロウズが「1950年代に彼に会ったことがあるが、ひどいジャンキーだったよ」と言ってました(笑)。チェット・ベイカーをブルース・ウェーバーが撮った『LET’S GET LOST』も、ビートニク的な作品かもしれませんね。

A:『LET’S GET LOST』と同じ年にイーストウッドが製作総指揮の『セロニアス・モンク/ストレート・ノー・チェイサー』という記録映画もあって、確かベルリン映画祭で一緒に上映していてすごくよかったですね。イーストウッドにはやはり88年にC・パーカーに迫った監督作『バード』もある。
T: ケルアックやチェット・ベイカーの時代では、JAZZがすごくヒップだったんでしょうね。
「オン・ザ・ロード」のケルアックは名古屋君も先に言っていたように、観察して、共感する人だと言うことが映画の中でも語られていますね。ビートの本質は「退屈でない」、「知識人でない」、「西部の太陽の子」モリアーティことニール・キャサディが体現していたのでしょうね。でもお互いの無い物ねだりなのだと思います。
この無い物ねだりはウォーホルの『ロンサム・カウボーイ』のジョー・ダレッサンドロにも重なる様に私には思えます。

A: 映像メディアにのった作家の時代なのかな。同時代の映画との近さも強く感じます。J・ディーン、ブランド、P・ニューマンとメソッド系の反抗児のイメージを掲げたスターたちとか。第二次大戦中から後にかけての青年の疲れの感じとかまで見渡すと40年代スターも視界に入れたポール・トーマス・アンダーソンの『ザ・マスター』も意外にビートニク映画だったかも。
声をともなう文学でもあるので、本人たちを映像に残す意味もありますね。
その意味でビートをめぐるドキュメンタリーの多さもすごく感じます。
ビートニクというのは、映画祭でもすごく普遍的な、人気のあるテーマで、扱った作品も多いと思います。さっきもいったベルリンでは(私が通っていた頃だからちょっと昔のことになりますけど)フォーラムとかパノラマとか、メインのコンペではなく、ちょっとくせのあるセレクションをする部門で毎年、関連するドキュメンタリーを必ず上映していたし、サンダンスでも多いですよね。
ヴェネチア映画祭では、1996年the beat goes onという特集上映がありました。その際に『キャンディ・マウンテン』の ロバート・フランクの 『Pull My Daisy』『Me and My Brother』 や、『スウィンギング・ ロンドン』のピーター・ホワイトヘッド監督作品『Wholly Communion』を上映していました。
面白かったのはビートニクをめざとく商売にしたロジャー・コーマン監督作『血のバケツ』とかジョージ・ペパード、レスリー・キャロン、そしてアルトマンの『三人の女』にも出てるジャニス・ルール共演の『地下街の住人』なども同時に上映されていたこと。同時代的に映像化、商品化される文学でもあったんですね。

Y: この映画でひとつ収穫だったのは「ケルアックは朗読がとても魅力的」ということ。
冒頭とエンディングでケルアック自身がTV出演した映像がありますよね。終わりの方でピアノの演奏をバックに自身の作品を朗読するシーンが出て来ますが、このリーディングがすばらしい。ギーンズバーグほど大げさで仰々しくなく、スマートだけど嘘っぽくないく力強い。ほんの数分の朗読シーンですが、ぐっと彼に引き込まれる自分がいました。当時、彼の朗読を観た女性達はきっとケルアックに惚れ込んだ事でしょう。彼が有名になれた要因を垣間みれた気がします。日本で太宰治が女性ファンに人気があるのと、近いのかな。
また字幕でなく直接英語で彼の作品を理解出来たら、その魅力はさらに倍増することでしょう。もっと自分の英語能力が高ければと痛感しました。

T: 私も最後のケルアックのこの朗読だけで、この映画は見る価値があったと思った。すごくマスなバラエティみたいな番組なだけに、逆に当時ケルアックがどういう存在だったのかも、イメージ出来た。
これがポエトリー・リーディングの字面とは違う、言葉の力かなという感じですね。初め緊張していて固かったのが、勢いづいてきてblowしているのがすごくよかった。

英語という意味では、beatという言葉には、[やられちゃった」みたいな意味もあるみたい。ヘロインかと思って買ったら、砂糖だったみたいな。『キャンディ・マウンテン』は、’逆’わらしべ長者というか、取引ごとに「だまされてふんだくられて精神的にも肉体的にも消耗している」という意味でbeatですね。(笑)癖のあるミュージシャン(デビッド・ヨハンセン、トム・ウエイツ、Dr.Johnなど)の使い方はジャームッシュに通じる感じ。最後に伝説のギター職人がいう「オン・ザ・ロードが自由でない」はケルアックの路上が聖典化してその呪縛に縛られた人生を喝破しているように聞こえた。

『キャンディ・マウンテン』提供:アダンソニア
『キャンディ・マウンテン』提供:アダンソニア

A: BEATには、美しい、至福のという意味もあるみたいですね。

M:そういう意味でも、ビートニクは、本当の英語文化なのだと思います。色々読んでみて、イマイチピンと来ないのも、日本語に翻訳しているからかもしれない。スタイルとしてのビートニクは多少わかっても、真のビートを自分が共鳴して理解しているとは思わない。

Y:『キャンディ・マウンテン』は、 登場人物にひとりも善人が出て来ないですね。みんな金で動く(or 金でしか動かない)打算的な人たち。主人公だけは伝説のギター職人を見つけたら、自分の全てが変わると信じている。その他の人々が何も悪びれず全て金で話を進めるところもそうですが、主人公の所持金(財産)の象徴が車で、それがどんどん落ちぶれて行くところがまさにアメリカらしい表現で、分りやす過ぎて面白かった。
ストーリーはロバート・フランク的というか、ためもなく終わりに向けてのカタルシスもなく淡々としていて、敗者の美学もない。ダメな若者のダメな旅を少しだけ面白おかしく描きながら、その結末には感動など皆無。主人公は失望の中、故郷から遠く離れた見知らぬ土地の「路上」を歩いて行くところでエンディングを迎える。当てのない「新たな放浪のはじまり」で終わる様はまさにビートニクそのもの。
ジョー・ストラマーがどれか分らなかったのですが、アッパーなアート・リンゼイや、成功者だけど金にセコいトム・ウェイツ、DVなダメ亭主Dr.ジョンなど、くせの強いミュージシャンが魅力的な役者として登場するあたりは、ロバート・フランクのファンであるジャームッシュに影響を与えたであろうテクニックのルーツを見ました。

M:ジョー・ストラマーは、最初にギターを返してくれないガードマンみたいな制服の人。この頃はアレックス・コックスの映画にも出ていましたね。
『キャンディ・マウンテン』は、今度公開されるコーエン兄弟の新作『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』にもつながってくる部分があって、面白かった。カタルシスの無い旅が出てくるシチュエーションは、共通ですね。

A: ジム・ジャームッシュの『ダウン・バイ・ロー』は、ほぼ同年代です。
ネオ・ビート・ノワール・コメディと銘打ち、いつの時代にもいた漂流者への共感を打ち出していましたが、その辺の感覚は共通ですね。
アレックス・コックスも、英国視点ですが、同じようなコンセプトを持っていると思います。『キャンディ・マウンテン』のもうひとりの監督ルディ・ワーリッツァーとの関係も要チェックですよね。
英国と言えば、『スウィンギング・ロンドン1&2』は、如何でしょうか?

『スウィンギング・ロンドン1&2』提供:アダンソニア
『スウィンギング・ロンドン1&2』提供:アダンソニア

T: 『スウィンギング・ロンドン1&2』は、ギンズバーグとか出ているけど、ビートニクとは少し距離があるように感じました。素直にこの頃のスウィンギング・ロンドンを感じる映画を集めて自分たちのディスカッションは別にしたいですね。

A: ピーター・ホワイトヘッドの65年の監督作品が、ベネチアのビートニク特集には出てたから、位置としては大西洋をつなぐみたいなポジションなのかもしれませんね。

M:これは原題が『Tonight Let’s all make love in London』で、テーマもFREE LOVE, FREE SEXや、反体制主義みたいな内容のインタビューが中心だから、ビートニクのムーヴメントとは、一線を画している印象ですが、出演者の人選が非常に興味深かったです。
ミック・ジャガーやマイケル・ケイン、ジミヘンなどは当然という感じですが、バネッサ・レッドグレイブやジュリー・クリスティなどは、ちょっと意外でした。彼女達は、今で言うカルトヒロインみたいなパブリック・イメージだったのかなって。
でもリー・マービンや、ナタリー・ドロンは、何故出てくるのか、ちょっとわからなかった。
リー・マービンは、『ポイントブレイク』とか格好良かったけど、アメリカのタフガイ俳優というイメージでしたから。
音楽だとスティーブ・マリオットやジョージ・フェイムあたりに、出演して欲しかったな。

A: ニコラス・ローグの共同監督作で、ミック・ジャガー主演の『パフォーマンス』などもほぼ同じ時代ですね。ニコラス・ローグやジャームッシュが出てくると、前回の『オンリー・ラバーズ・レフト・アライブ』ともつながってきますね。あ、トッド・ヘインズもつなげたいな。『ベルベット・ゴールドマイン』、そして今回の映画祭で上映される『ドント・ルック・バック』を意識してもいる『アイム・ノット・ゼア』も興味深い。
ケルアックやニール・キャサディは1968〜69年に亡くなっている。ラブ&ピースやヒッピーの時代から70年代への移り目ですね。で、『スウィンギング~1&2』はその前後のロンドンで、ビートニクというよりは、サイケデリックなアプローチが強いです。

M:バネッサ・レッドグレイヴは、『欲望』、ジュリー・クリスティは『華氏451』『ダーリング』が、当時の代表作でしょうか。
原題ともつながってくるのですが、当時のスターのゴシップ的な視点も、この映画にはあると思います。
バネッサは、モッズ映画のバイブルである『長距離ランナーの孤独』のトニー・リチャードソン監督や、ジャンゴ=フランコ・ネロと浮き名を流していました。
ジュリー・クリスティも、当時の最先端俳優テレンス・スタンプと付き合っていたみたいです。
その他にもミック・ジャガーがマリアンヌ・フェイスフルとの交際で話題になり、映画には出ていませんが、ニコはアラン・ドロンの子供を産んだりと、スターのゴシップネタには事欠かない時代だったと思います。
ミックのインタビュー見ていると、割とステレオタイプの反体制ヒーローみたいな位置づけに、インタビュアーがしようとしている意図が感じられました。スコセッシがボブ・ディランを描いた『ノー・ディレクション・ホーム』でも同じような場面があり、ディランが少しイラついていた場面を思い出しました。
60年代って、すごくメディアが進化した時代だと思いますが、メディアは割とステレオタイプにスターをとらえて、ネタにしていたように感じます。今見ると、逆にその辺が面白い部分でもあるので、一概に否定は出来ませんが。

Y: 個人的には後半のギーンズバーグのリーディングなど、音楽でない映像の方が新鮮でした。
ドキュメンタリーとしても全体的には緩い印象。でもそのラフな雰囲気もビートニクという単語で括るといい味になっています。ビートニク映画祭の一作品としては正解でしょうね。

M:ギンズバーグやバロウズは、とてもフットワークが軽く、色んなアーチストとコラボする事で、結果的に自分達のフォロワーを拡大していったように思います。ギンズバーグはディランの『ドント・ルック・バック』にも出ているし、クラッシュとはツアーまでしていますね。
この二人が長生きした事で、ビートニクは普遍的なカルチャーになっていったと思います。
ジェームス・グラワーホルツの譲渡の逸話もありますが、二人の関係も長い間継続していたのではないかと思います。
これは僕がサンダンス映画祭に行った際、見つけたギンズバーグの短編です。音を聞くとクラッシュみたいですが、ポール・マッカートニーとのコラボした”BALLAD OF THE SKELTONES”です。

Y:今まで話題になっていない作品で言うと、時代は違いますが、ハンター・S・トンプソン原作、アレックス・コックス脚本、テリー・ギリアム監督の『ラスベガスをやっつけろ』が僕の中ではビートニクのイメージにかなり近いです。

A: ちょうどラルフ・ステッドマンを描いたドキュメンタリー『マンガで世界を変えようとした男』も公開されてますね。

A: 日本におけるビートニクはどうだったのでしょうか。三島由紀夫や石原慎太郎、太陽族などが当てはまるのかな。

M:荒木一郎さんは、ギンズバーグの詩を日本語に置き換えた「僕は君と一緒にロックランドにいるのだ」を歌っていますね。
ギンズバーグのフレイバーみたいなものは、そのままうまく日本語に移植されていると思います。
「帰ってきたヨッパライ」の北山修さんも、ビートニクの要素が強いと思います。
加藤和彦さんは、文化的な要素は強いと思うけど、あえて言葉での表現は避けていた人なので、北山さんの方がよりビートニク的ですね。

言葉をリズムに置き換えているという意味では、唐十郎さんや寺山修司さんの台詞の洪水も当てはまるかもしれません。
唐さんを映画で起用した大島渚監督の『新宿泥棒日記』は、日本のビートニク映画とも言えるのではないでしょうか。

T: 高橋幸宏さんもビートニク好きですね。鈴木慶一さんとビートニクスというユニットをやっていたり。

A: ジム・ジャームッシュから一つの流れが生まれていますが、次回のCINEMA DISCUSSIONは、ボブ・ディランに影響を与えたフォークシンガーを描いたコーエン兄弟の新作『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』を予定しています。1961年のニューヨークが舞台で、ビートニクも出てくるので、うまくつながっていければと思います。

ビートニク映画祭は、3月22日よりオーディトリウム渋谷にて開催されます。会期中はトークイベントも開催されますので、是非チェックしてみて下さい。

MIX CLOUD LCR DISCO-4

今月もLCR Disco-4をMIX CLOUDにUPしました。
今回も曲ごとの解説をつけました。
下記LCR Disco-4のリンクボタンを押して頂くと、
MIX CLOUDのページにジャンプします。
楽しんで頂けたら幸いです。

LCR Disco-4
shuroom

1. Dancer / LA FAMILLE 1982
懐かしいSoul II SoulのリードヴォーカルCaron Wheelerがそれ以前に参加していたグループの1982年シングル。気持ちのいいメロディとスムースなベースラインが癖になるboogie名曲。

2. Super Duper (lovin’) / MASURRATI & HUEY HARRIS 1983
The Kay-GeesのAmir Bayyanが80年代に作ったバンドForecastに在籍したHuey Harris制作。浮遊感たっぷりのアレンジとヴォーカルが魅力的な1984年Dance Classic。シンセとギターのイナタいメロディも印象的。

3. I’m Your Superman (instr.) / JAN LESLIE HOLMES 1984
Larry Leavanをはじめ、有名DJ達が挙って取り上げるNY産Boogie。イントロからブリブリのベースとDeepなシンセのメロディラインは一度聴いたら忘れられないGarage Classic重要曲。

4. Hit on You (dub ver.) / ROUNDTREE 1982
こちらもベースが効いてるGarage Classicの一曲。B面のスカスカ加減が逆にDUBっぽくて気持ちいいです。

5. Light Up The Night (Special Extended Ver.) / BROTHERS JOHNSON 1980
チョッパー奏法で当時大ブレイクしたご存知「ぶらじょん」です。これは本国より日本のディスコで流行った曲ですね。プロデュースはQuincy Jones。彼らの来日公演は武道館で、アリーナは席無しのダンスフロア仕様でした。弟Louisのベースもいいですが、兄Georgeの奏でる細かいリズムギターが秀逸です。

6. Do You Love What You Feel / RUFUS & CHAKA 1979
もしかするとディスコの中で一番好きな曲かもしれない歴史的名曲。Chaka Kahnはもちろん最高ですが、白黒混ざった黒過ぎないRUFUSのタイトでアーバンな演奏がスムースに腰を揺らします。こちらもQuincy Jonesのプロデュース作。この頃のQuincy Jonesは間違いありません。

7. Do It Again / STEELY DAN 1972
個人的フェイヴァリットバンドの一つ、Steely Danのデビューアルバム「スリルは金じゃ買えないぜ」からのシングルカット。1972年の全米6位の大ヒット曲。ラテンフレーバーを取り入れた、揺れるリズムのGroove感がこの曲の隠れた魅力の一つでしょう。ちなみにバンド名はウィリアム・S・バロウズ「裸のランチ」に登場する男性器の張型「Steely Dan III from Yokohama」に由来するのは有名なお話。

8. Genius / QUANDO 1985
ラテンな雰囲気を引き継いだパーカッションに、80年代中期らしいエレクトロ系の硬い音が新鮮なLatin New Wave Disco。後半はまるでファンカラティーナのよう。芝浦GOLDのオープニングで来日したDJ MARK KAMINSプロデュース。

9. Midnight Man (instr.) / FLASH AND THE PAN 1985
オーストラリア出身のNew Wave Bandによる12inch。打ち付けるようなフレーズの繰り返しが頭から離れなくなる不思議な魅力の1985年らしいDisco Hit。Mixは当時売れっ子だったFrancois K。

10. Secret Friend / PAUL McCERTNEY 1980
先日の来日公演もまだ記憶に新しい、ポール・マッカートニーのイギリスで1980年に限定販売された12inchのB面曲。ちょうど彼が成田にて大麻不法所持で捕まりLive中止になった頃の作品なので、今からは想像出来ない変態でぶっ飛んだアレンジが炸裂しています。

11. Margarita (remix) / ARNOLD TURBOUST 1988
フランス人アーティストによるNew Wave Disco。バックのシンセサイザーが螺旋を描きながら上昇して行く感じがたまらないエレクトロ・ポップな一曲。

12. Find Someone (to love you) / KENI C 1986
NYのマイナーファンクバンドThe Live BandのヴォーカルKENI CHAVISが、これまた超マイナーレーベルSpace City Recordsから1986年に発表したセミインストBoogie(このレーベルからはこの一枚しかリリースがありません)。全編に渡りぴゅんぴゅん鳴りまくるシンドラとシンセが最高です。

13. Here I am / DYNASTY 1981
SOLARレーベルを代表するグループが、Leon Sylvers IIIをプロデューサーに迎えて制作したアルバム「The Second Adventure」からのシングルカット。当時のSOLARらしい爽やかで躍動感あふれる、みんなが大好きだったダンス・クラシック定番曲。

14. A Real Hero / COLLEGE feat. ELECTRIC YOUTH 2010
映画「Drive」のサントラより。ドライヴを観た後、しばらくの間この曲が頭の中でグルグルと廻り続けて我慢出来なくなり、イギリスからアナログ盤を個人輸入してしまいました。2010年とは思えないNew Waveフィーリングとキュートなヴォーカルに惚れてしまいます。

人はそれと知らずに、必ずめぐり会う。たとえ互いの身に何が起こり、どのような道をたどろうとも、必ず赤い輪の中で結び合うーラーマ・クリシュナー (ジャン・ピエール・メルヴィル監督「仁義」*原題"Le Cercle Rouge"より)