『ビサイド・ボウイ ミック・ロンソンの軌跡』偉大なるグラムギタリストの光と影/Cinema Review-8

Cinema Review第8回は、デビッド・ボウイのギタリストとしてグラムロックに大きく貢献したミック・ロンソンのドキュメンタリー『ビサイド・ボウイ ミック・ロンソンの軌跡』です。
ミック・ロンソンは、デビッド・ボウイのバックバンド、スパイダース・フロム・マースのギタリストとして『ジギー・スターダスト』などの名盤に参加し、ボウイ独特のグラムロックを創り上げました。
ボウイのバンドは1973年に離脱し、その後はモット・ザ・フープルに参加。ボブ・ディランのローリング・サンダー・レビューにも参加し、いかんなく存在感を発揮しました。
この映画は、ナレーションにボウイ、証言者として、ルー・リード、ロジャー・テイラー(クイーン)、イアン・ハンター(モット・ザ・フープル)、グレン・マトロック(セックス・ピストルズ)、アンジー・ボウイなどが登場し、我々が知らなかったミック・ロンソンの素顔について語ります。
既に劇場公開は一旦終了していますが、極上音響上映で定評のある立川シネマシティにて、7月8日〜11日まで特別上映されます。
8日の夜にはSUGIZOさんゲストの立川直樹さんのトークショーも予定されています。

レビューは、映画評論家の川口敦子に、川口哲生、川野 正雄の3名です。

ロジャー・テイラー
C)2017 BESIDE BOWIE LTD. ALL RIGHTS RESERVED

★川口哲生

ミック・ロンソンといえば、大好きなディヴィド・ボウイの初期の作品群のギタリストとして「サフラジェット・シティ」のギターソロやこの映画中でエフェクターを固定してジョン・リー・フッカーの様に弾くんだと実演している「ジーン・ジニー」でのリフとともにティーンエイジャーだった私に大きなインパクトを与えたミュージシャンである。

頭頂部からの髪の毛が段を付けてカットされていて、サイドのヴォリュームの薄い髪の毛
が妙にサラサラとなびく金色のヘアスタイルとヒールがごつい編み上げのブーツといったヴィジュアルイメージとともに。

このドキュメンタリー映画を見るまでは、「ジギー・スターダスト」eraのボウイの音楽性にかくも重要な役割を果たしていたとは、私は認識していなかった。初期のアコースティック~ロックへのこの時代のボウイは、ケンプやパントマイムやコスチュームやメイクアップ含めたヴィジュアルのGLAM性も、そしてまたその豊かな音楽性も、抜きんでたボウイというカリスマによってもたらされたという印象を持っていた。あくまで「ジギー・スターダスト」とそのバックバンドの「ザ・スパイダース・フロム・マース」という捉え方で、ミック・ロンソンのギターは勿論大好きだったけれど、ミックがギターパートだけでなく、オーケストレーションや編曲等を通じてかくも大きなボウイ世界への貢献があったことは不覚にも認識していなかった。

「スペース・オディティ」の収録にも参加しているリック・ウエイクマンがピアノを前に解説する「ライフ・オン・マース」のコード進行の話からは、ミックの音楽性に対するリスペクトがひしひしと伝わってきた。その他盟友イアン・ハンターはじめ多くのミュージシャンが彼について語っているのを見て、ミュージシャンズ・ミュージシャンとしてのミックの存在を再認識した次第である。

個人的にうれしかったのは、マイク・ガーソンのインタビューとミックにトリビュートした即興曲の演奏。「アラジン・セイン」でのアヴァンギャルドなjazzピアノソロを、かくも悲しく、硬質で、心をかきむしられるように美しいピアノがあるのかと感じていた10代の気分を思い出した。

R.I.P.ミック・ロンソン

あの頃のクリス・スぺディングやジョニー・サンダースってどうしているのだろう?

グレン・マトロック
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★川野正雄

ミック・ロンソンのイメージって、自分の中でどんなものだったのだろうか。考えてみると、デビット・ボウイの横で、格好いいギターを弾く怪人みたいなギタリスト。まさにこの映画のタイトルそのものだった。
しかしミック・ロンソンについて、どれだけ知っていたかというと、それはかなり浅い理解であり、改めてミック・ロンソンの人生について、ボウイ以降の活動について知った次第である。
ミック・ロンソンについて語るボウイや、イアン・ハンター、リック・ウェイクマンに、アンジーやロンソンファミリーなど、興味深い登場人物が、次々に証言をしていく。
ドキュメンタリーとしては非常にオーソドックスな作りで、いささか単調でもあるのだが、
ミステリアスな存在であったミック・ロンソンの実像が解きほぐされていく展開は、非常に面白い。
ここには数多くの発見があり、彼のキャリアに対して、自分は数多くの見落としがあった。
リアルタイムに聴けたはずの作品が幾つもあり、気づかなければ、永遠にスルーしていたかもしれない。
最大の見落としは、ミック・ロンソンが、ソロアルバムをリリースしていた事である。
映画を見た後、早速Amazon primeソロアルバム『Play Don’t Worry』を聴いてみた。確か2枚目のソロアルバムだと思うが、これがとてもいい。
まずロン・ウッドや、ロニー・レインのソロのように、英国のギタリストらしいソロアルバムであり、彼の音楽的バックボーンの深さが伝わってくる。
ミック・ロンソンここにあり!と、叫んでいるようなアルバムである。
これはもっと早く聴いておくべき一枚だった。
後年モリッシーと組んでいた事も、初めて知った。80年代英国が生んだ最高のギタリストの一人ジョニー・マーとスミスで組んでいたモリッシーが、ミック・ロンソンに声をかけるというのは、自然の流れに思える。
トニー・ヴィスコンティも言っていたが、ギタリストだけではなく、偉大なプロデューサーにも、ミック・ロンソンはなれたはずだ。
自分の認識でボウイ以降の活動というと、ボブ・ディランのローリングサンダーレビューに参加していた事くらいしか知らなかった。ディランが座長として70年代中期に行ったこのツアーは、自分の中ではロック史上最高のツアーであり、近年マーティン・スコセッシのNetflix作品『ローリング・サンダー・レビュー』や、CDのボックスセットで、間近に聞けるようになった。
このツアーにミック・ロンソンは半分しか参加していないが、彼の存在でバンドサウンドは大きく変わる。しかしこの映画では、このツアーにはほとんど触れられていない。
英国内での活動に監督はフォーカスしたのだろうか。
ミック・ロンソンは、グラムロックを作った一人であり、もっと評価されるべき人であった。それはこの映画のメッセージでもあると思うのだが、1970年代という時代性と共に、改めて多くの人に知って欲しいアーチストであった。

イアン・ハンター
(C)2017 BESIDE BOWIE LTD. ALL RIGHTS RESERVED

★川口敦子

 うわっ、あのアンジーがみごとに大阪のおばちゃん化してる――なんて、いきなり愕然としたりする程度のボウイ・ミーハーとしては、ミック・ロンソンの軌跡と銘打たれたドキュメンタリーにもまずはボウイの軌跡こそを見ようとしてしまっているわけで、でも案外、このドキュメンタリー映画自体も“傍らの人”ロンソンに焦点を合わせようとしながらそうすることで結局はボウイ=メインマンという厳然とした事実を再認識させることになっているかしらと、ぼんやり意地悪く思ったりもした。

 もちろんジギー・スターダストはスパイダース・フロム・マーズなしにジギーたり得ず、ボウイもまたミックなしにボウイたり得なかった――と、いくつもの証言を集めて検証していく映画の、ミックに光を――との姿勢は伝わってくる。なるほどなあと興味をそそられる部分も多々ある。ボウイの傍らにいて、単にギタリストとしての才のみならずアレンジャーとして、プロデューサーとしてその音楽を作り上げていった、その意味で実はボウイとミックの共作とクレジットされるべき存在(という点では『Mank/マンク』でデヴィッド・フィンチャーが光を当てたオーソン・ウェルズ『市民ケーン』の脚本家ハーマン・J・マンキーウィッツのことも思い出したくなる)と、そんな見方を監督ジョン・ブルワーが映画の芯にすえようと努める様に(生意気な言い方をすれば)好感も抱く。ただその主張がもひとつガツンと来る前に、ボウイ以後のミックの挿話がぱらぱらと始まって構成が些か散漫になってるのではと少しだけ歯がゆさを噛みしめた部分が正直言えばなくもなかった。

 BBキングやチャック・ベリーのドキュメンタリーをものしている監督ブルワーは、もともとロック界でマネージャーとしてキャリアを積んでいたひとり。YES、ミック・テイラー、ジーン・クラーク等々と共に初期のボウイと契約していたこともあるという。事の次第、その表も裏も知る存在と、ローリング・ストーン誌のインタビュー記事(2018年2月2日)は伝えている。そんな背景を持つブルワーの記録映画はそもそも、ヘア担当としてやはり最初期のボウイに協力したロンソン夫人スージーがボウイの死(2016年)の3年ほど前に亡き夫ミックとの思い出を語って欲しいと求めたことをきっかけに始動した。ミックの死から20年余りが過ぎていたその時点で映画化の可否をめぐってボウイには不安もあったようだがともかく回想談の録音に協力、それがスージーの所有する大量の映像資料と共に監督ブルワーの下に持ち込まれ、そうして成った映画ではスクリーン上に姿は見せないボウイによるナレーション然と件の録音も使われることになった。と、そんなふうにこのドキュメンタリーをめぐる旧友再会的なシチュエーションを踏まえてみると、アンジーのざっくばらんさも歳を重ねた余裕と貫禄のせいばかりでもないのかもとナットクがいくような・・・。それはともかくそうした経緯、そこに感知されるボウイ以下の旧友への思い。その眩しさ、涙ぐましさが感傷に堕すことなくミックに光をとの映画の主張を照射していく。していくけれど、記録映画としては先に触れた構成のゆるさのせいでもひとつ主張を主張し切れずにいるかなと、繰り返せば残念さも残る。

もっともがつんと主張し切らない映画の感触はミック・ロンソンという傍らの人のそれとも共振していそうで切り捨て難さが浮上する。今さらながらに確認すればボウイとはひとつの役割を脱ぎ捨ててまた次の役を演じていくパフォーマーに他ならず、ロックスターという役がら、そのひとつのフェーズが終われば脇役、サイドマンは容赦なく切捨てていく、そういう残酷さも鮮やかに身につけていてだからこそスターの質を全うし得たのではなかったか。そんなひとりに対し、ミックは英国北部の田舎町の庭師としてもしかしたら平穏に余生を送れたかもしれないひとりだった。そういう”いい奴″として、ブルワーの映画が光をあてるイアン・ハンターとの相性のよさはスリリングに迫ってくる。その意味ではモット・ザ・フープルの行路を振返るドキュメンタリー『すべての若き野郎ども モット・ザ・フープル』でイアン以外のメンバーがミックはだれとも口をきこうとしないと齟齬を語ってみせること、視点の異同がもたらすそのあたりの微妙なニュアンス、差違にもこの際、注目してみたい。

立川シネマシティ
7月8日(木)~11日(日)の4日間上映
SUGIZOさん+立川直樹さんのトークショー
8日(木)18:20~

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