Cinema Discussion-18/ヌーヴェルヴァーグを突き抜けたガレルの『パリ、恋人たちの影』

(C)2014 SBS PRODUCTIONS – SBS FILMS – CLOSE UP FILMS – ARTE FRANCE CINEMA

新作映画を複数の視点からとらえ、映画評論の新しい手法を考えようとしてスタートしたセルクル・ルージュのシネマ・ディスカッション第18回は、フランス映画『パリ、恋人達の影』です。
監督のフィリップ・ガレルについては、前作『ジェラシー』を、シネマ・ディスカッション第7回で取り上げていますので、2回目の紹介になります。
ガレルは、ヌーヴェルヴァーグ第2世代的な位置づけの監督ですが、アンディ・ウォーホルのスタジオ・ファクトリーで出会い、パートナーになったニコを主演にした7作品など、これまでは私小説的なテーマの作品を、撮り続けてきました。
今回ご紹介する『パリ、恋人たちの影』は、第68回カンヌ映画祭の監督週間に出品されており、ヌーベルヴァーグ全盛期のスタッフを集めて製作されたガレル期待の新作です。
メンバーは映画評論家の川口敦子をナビゲーターに、いつものように名古屋靖、川口哲生、川野正雄の4名です。

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★『パリ、恋人たちの影』は、セルクルルージュのシネマディスカッションとしてとりあげる2本目のフィリップ・ガレル監督作ですが、前作と比較しつつまずは感想を。

・名古屋靖(以下N): 前作と比較して、とてもわかりやすく軽やかな作品でした。 映画において「撮影現場で起きることを最重視」して来たヌーヴェル・ヴァーグな監督が、脚本を尊重しながら時系列通りに撮影を行ったことは今作の大きな特徴になっているのかもしれません。脚本をしっかり練ったおかげで撮影や編集に迷いも少なかったであろう、目立った長回しもなく、出来上がりは想像以上に観やすく、わかりやすい映画に出来上がっています。

・川野正雄(以下M):これまでのガレル作品は、自伝的要素が強く、『ジェラシー』も、父の寓話を元にした作品だったと思います。
今回の作品は、あまりパーソナルな要素はないのかと思っていましたが、インタビュー見ると、母親の死と関係があるみたいですね。
前作との比較でいうと、非常にわかりやすくなっているなという感想です。
モノクロの映像の美しさは、変わらずです。

・川口敦子(以下A):前作『ジェラシー』と今回の『パリ、恋人たちの影』そしてフランスで公開間近の最新作“L’amant d’un jour”で”男と女のうつろう感情”を描く3部作となっているそうですが、皆さんも仰るように『ジェラシー』に比べると今度の一作は不思議な軽やかさを感じさせますね。話自体をかいつまむと決して軽いものではないはずだし、相変わらずだめだめ男の話でもある。でも達観というのかな、人を見る目にふっと吹き抜ける風を捉えるようなやさしい距離がある。大人になれない面々を描く自分が変わってないつもりでも大人になってしまったか――というような諦め、寂しさみたいなものがあって、それは前作ではもしかすると自分の子供時代を投影していたあの女の子の眼差しの中にあったものとも通じているのかもしれないけれど、つまりは対照への距離ということでしょうか。決して突き放すという意味でのそれではなく、むしろ回想のそれのような。そこがシンプルな語り口の奥行となってすごくいいなあと思います。

・川口哲生(以下T):そうですね、作品の尺、ストーリー性、エンディング等々に前作を支配した『重さ』
とは違うものを感じました。監督の心の有り様の変化とともに、監督が言っている「現場で何が起きるか(カメラ)」と練られた「脚本」のバランスの変化ということかもしれませんね。歩行の映画から、もっとテンポが速まった感。

・A:ガレルはものすごく繊細な私小説的な所で撮ってきた人で、今回もそれはないとはいえないでしょう。素材という意味と別に暮らしの感触のパーソナルな掬い上げ方といったあたりにもそれは相変わらず感じられますよね。ただ、いっぽうで描き方、話術の部分ではそこから踏み出した古典的な、骨太の小説を視界に入れたともいいたいようなスタイルに向かおうというような気持もありそうと、見ていると思えてくる。モーリス・ピアラとのコンビで知られるアルレット・ラングマン、現在の妻カロリーヌ・ドゥリュアスという前作以来のふたりの女性に加えて脚本に大御所ジャン=クロード・カリエールを迎えているのも何か寓話的でさえあるような、はたまた普遍性をのみこんだかっちりとした物語を語ることへの傾き、を示しているんじゃないかと。
カリエールというすごく強く、また一筋縄ではいかない他者の目を獲得したことで、これまでにない距離をもって素材に向かうことになり、でもそれによって重厚さより軽みに行き着くのも面白いですね。で、若い頃のすごく痛切だったニコとの関係ベースの私的恋愛映画からブラックな? 何食わぬ顔の? ちくちくと皮肉な“コメディ”の方へといった志向が出てきてるようにもみえる。撮影現場でのチャンス、偶然に最終的には任せるけれど、脚本、言葉/台詞(日常会話のようにさりげなく口にされるけど、じつはかなり文学的な、いい台詞がたくさんある)に重きを置いた撮り方にも向かっているのかな。すべてワンテイクとインタビューを見るといってるけど。そうした変化の理由はやはりガレルの年齢にあるといってしまったら身もふたもないけれど、成熟の軽みというのはやはりある気がする。かっこつけなくなってるというか・・・。

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★今回の撮影監督はエリック・ロメールやダニエル・シュミットの映画を手がけたレナート・ベルタですが『ジェラシー』のモノクロとまた別の感触がありますね。そのあたりについてはいかがですか?

・N:同じモノクロームでも前作は絵画的な重厚さが魅力的でしたが、今作はストーリーや視点の違いもあり、より日常的でナチュラルな印象ですが、室内シーンのライティングなど白黒のコントラストは相変わらずとても美しいです。 現代的で普通のパリの日常を表現しているモノクロだと思います。冒頭でピエールがバケットをかじりながら不安げに人待ちするシーンは、日常のパリを舞台にした物語の始まりを告げています。そのわりにその後に出てくるその他の食べ物の不味そうなこと!モノクロとは言え、美食の街パリを舞台にしながら、食べるシーンが全て惰性的で、喜ばしくなく描かれているのも珍しいです。もしかすると監督の中では、食事と排泄は同じ次元なのかもと疑ってしまいます。

・A:キネマ旬報のインタビューを読むと35ミリフィルム、アナモルフィック・レンズを使ってのシネスコ・サイズと今や死滅しかけた古典的手法に執着するガレルの頑固さをベルタは半ばあきれ顔で、でも称賛している。そんな監督のモノクロームへの執着を突出し過ぎない形にするあたりに手練れの撮影の底力があるんでしょうね。どこまでも映画的なのに同時にあまりにみごとに何気ない。すっと主人公たちの住む世界、その日常へとすべり込む。この感じがヌーヴェルヴァーグを睨むガレルならではなんでしょうね。
ベッドの上のエリザベットを捉えてそのまま彼女の主観へとすべり込み窓ごしの外界、白い光が掬われる。そんなシームレスな移行も今回の軽やかさと無縁ではなさそう。その窓への眼差しがもっと別の種類の映画だったら頻出しそうな空とか海とかの心を映す大仰な景観ショットの代わりになっているんですね。あとは殆んど部屋と裏通りとカフェ。そして人の顔。ピエールとエリザベットが出会うフィルムの保管庫の部分がせいぜい”お出かけ”の場面ですね。限られた暮しの眺めを拾いながらじわじわとその奥行を見せていく。そのあたりもいいですね。

・M:言葉では表現しにくいですが、前作の方がクラシックな趣のモノクロだったと思います。今回のモノクロのタッチは、よりモダンで、現代的な発色だったのではないでしょうか。
ダニエル・シュミットやロメールの映像の美しさを、彷彿させられます。
モノクロなんですが、カラーに近い自然な感触があると思います。
ガレルがフィルム、シネスコ撮影に拘っていた感じはよくわかりますが、敦子さんの言うように本当に何気なくて、「どうだ、モノクロシネスコだぞ」みたいな押しつけがましさののない映像なのが、いいですね。
ハリウッド系の監督がモノクロで撮ると、すごくモノクロが主張し過ぎるケースがあるんですが、あくまでも自然なモノクロ映像でした。

T:パリでのオールロケ、俳優の衣装も本当に毎日着なれて皮膚のようになった感じ、メイクやヘア等(目の下のくま)も含め、パリの普通の街なかの普通の人たちの日常感が、この作品のモノクロでは際立っていたと思います。

★73分という上映時間もあって、不思議な軽やかさがありますね。ウディ・アレンの映画もちょっと想起してしまうのですが、コメディと呼ぶのはいきすぎでしょうか?
・N:コメディ映画とまでは言えないですが、そう言いたくなるのも分かります。前作にあったような生き死にの恋のお話でもなく、男女それぞれのエゴというか性(さが)というか、白黒はっきりさせられないそれぞれの複雑な心情を描いている中で、ピエールのだらしなさはコメディです。街中でマノンの後を追う後ろ姿なんて情けなさの極致。

・A:最初にもふれましたけど成熟という距離を世界や人、自身に対して持ち得たことで、もしかしたら自嘲的といえるのかもしれない、ダメさに対する笑いが感じられる。そこが少しだけアレンと繋がってしまうのかな。

・T:コメディとは思っていませんでしたが、ダメダメな男ぶりとある種のドタバタというところですか?

・M:私もコメディとは思いませんが、オフビートな感覚は、今回はありますね。
73分という時間もいいです。
マノンの愛人とのエピソードや、ピエールとエリザベットの出会いのエピソードを追加すれば、すぐに100分位になると思うのですが、あえて説明的なエピソードを排除しての73分ではないでしょうか。
共同脚本にした効果なのかと思いますが、ドキュメンタリーに近い撮り方をしていたガレルの作品が、すごくドラマ的になったというのが、今回は一番の印象です。
ドラマ的にしても、尺が短くなり、余計なエッセンスはない。その辺がガレルらしいですね。
オフビート的な感覚は、その副産物のようにも思えますし、ちょっと意地悪な視線は、アレンにも通じるものがあると思います。

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★「私にとってこの作品は、映画が到達しえた最高の男女平等についての映画といえます」とプレス所収のインタビューでガレルは語っていますが、プロット、キャラクター、台詞等々さまざまな角度からみてこのコメントをどう受けとめますか?

・T:お互い様の不倫話を、自分勝手さに『振り切れた男』の心情を中心に描くということは、女性目線で男へのパッシングが強くなるように描いた様で、実は前時代的な価値観の踏襲(男の言動主導でことが引き起こされる)にも感じました。時代はもっと
違った形で進んでいるようにも思います。笑
それとも、そんな身勝手さや何も相手に自分は大声を出さない男をも、包み込んでいるさらに大きな女性の懐の深さ、ってこと?

・M:マノンの愛人だけが、心象風景が描かれませんね。ピエールにしても、今ひとつクールというか、本当の気持ちはラストになるまでは描かれませんが、彼から見た二人の女性の姿が、うまく伝わってきます。
ラフに描いた男性陣に比べると、マノンとエリザベットの女性の心理は、丁寧に描かれています。
その辺のバランスが、ガレルの狙いだったのかなと思います。
ピエールの視点だけかと思いきや、マノンとエリザベットの視点も描かれている。
その視点のパラレルな感じが、男女平等なのかとも思います。

・A:自分の可能性を捨ててピエールと映画を共に撮ることが幸福――と、現実的な母の追及に答えるマノンは昔ながらの日本映画に出てきそうな(『王将』の女房の小春みたいな???)自己犠牲の妻として提示され、それが意外にも自分の楽しみはそれなりに追求している、でも高潔なその精神が自分の楽しみの可能性にも、多分、ピエールの成功も含めた悦びの可能性にも目隠しをしてしまう。それに気づきかけたのにまた最後はぎゃふんな記録映画に活路を開くアイデアを提示して元の鞘に収まっていく――とダメ男の自分勝手の話とみせて彼女の物語としている所を“平等”とみるかどうかはまあどうなのかなあ。ただマノンに関して示したかったのかもしれない大きさ、そこにガレルは亡くなった母へのオマージュのようなものをこめたかったのでは、なんて思ったりもします。で、父の話だという『ジェラシー』を振返ってみると母にあたる、つまりマノンと重なるかもしれないあの映画のもう一人のヒロインがしみじみと懐かしく思えるような気もしますね。
マノンが愛人といるのを発見したピエールの愛人エリザベットの「自分の愛を汚されたように感じた」というようなナレーションが確か入ったように思うのですがそこは女性の心理の描き方としてそういう感じ方もあるかと興味深かったです。

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★原題は直訳すると女たちの影となるようですが、”影の女”とも”女の影”ともいろいろにとれますね?

・M:二人の女性の影の部分=ダークサイドを描いているという事でしょうか。
真面目に見えるマノンに愛人がいて、エリザベットは割り切っているようで、割り切っていない。
世界中の女性に起こりうるような、ある種通俗的な感情を描いているのが、前作『ジェラシー』の嫉妬心からの継続的なテーマにも思えます。

・T:気にせずいれば意識することもない自分の影のようになった女、それが女の裏切りが許せないと追いかければ逃げていく、そんな自分の影としての女性ってことだと思いました。影ふみみたいな感じ。

・N:「影ふみみたいな感じ。」いいですね。

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★ピエールが撮っているドキュメンタリーの素材の旧レジスタンスの老人とその妻のエピソードをどうみましたか?
・N:夫の話を遮ってアニス入りのクッキーを勧めるその妻。そこにこの老夫婦の力関係が何となく想像できて笑えます。 この旧レジスタンス老人のエピソードが結果的にこの映画を軽妙洒脱にしていますね。

・M:ネタバレになってしまうので、あまり言えませんが、思ったより重要なエッセンスでしたね。
証言者の寿命の問題もあり、第二次世界大戦のドキュメンタリーというのは、今世界中で作られているので、割と普通のテーマを選んでいるんだなと感じました。
インタビューされる奥さんの態度が、オフビートですね。

・A:知らないうちに大きな影を投げかけられてしまっている――そんな女性、というか伴侶というものをめぐるちょっと恐怖めいた(笑)感覚はあの老夫婦の関係、夫が発言中なのにお構いなしでクッキーをとすすめる妻の感じによく出ていて、でも案外、あのふたりの姿がピエールとマノンの将来でもあるようで、なかなか味わい深いものがあると思いました。

★今回、出演はしていませんが息子のルイ・ガレルがナレーションで声を担当しています。 このナレーションについてはどう感じましたか?
・N:フランス映画にありがちな文学的で抽象的な詩的台詞でない、わかりやすくその心情や状況を理解させるためのナレーションに徹し、ルイ・ガレルは声もいいので、すっと自然に内容が入ってきました。

・A:もちろんまずトリュフォーの映画を思い出すようなちょっとぶっきらぼうな語り口がいいですよね。興味深いのは3人称のナレーションではあるんですが、事の次第を後になって淡々と語るある種の回想のようにも聞こえてきて、で、さきほどもいいましたがガレルの亡き母へのオマージュといったことを思うと、この回想の主が父母のすったもんだを見ていたガレル自身なのかな、とかとかいろいろ思いをめぐらしたくなる。そう思うとそこに息子の声を使っているのもなかなか感慨深いものがありますよね。

・T:ヌーベルバーグの映画のなかで使われてきた手法ですね。

・M:やはりヌーヴェルバーグ的な演出と感じました。ルイは声もいいですね。
トリュフォーの『ピアニストを撃て!』を、何故か思い出しました。

★ガレルのパリについては?
・N:ごく日常が絵になる舞台。

・M:パリでないと、成立しない映画。今回はそう感じるくらい、パリと映画の風景がマッチしていたと思います。

・A:エリザベットがマノンをみかけた話をする中でたしかグラン・ブールヴァールのカフェでとかなんとかいってたように思うのですが、そういう固有名詞があってもなくても関係ない時空というのかな。それは時代についてもいえることで、現在でも過去でもあるような場所と時間の物語、要はパーソナルだけど普遍的でもある映画以外の何ものでもない時空ってことでしょうね。

★今回の音楽はどうでしたか?
・N:多分劇中で9回ほど音楽が挿入されていますね。全てそのシーンでクローズアップしてる人物の心情を補完する意味合いで使われています。シーンによって「ときめき」「怒り」「嫉妬」「ほのぼの」「後悔」etc. 基本は音楽なしで生活音を大きめに扱いながら、必要な箇所に限って室内楽系の音楽をはめているのがとても効果的です。フランス映画には珍しく今作は、音楽に限らずナレーションなどの演出がよりわかりやすく観せるために直接機能している感じがします。

・M:音楽というよりSE的に、効果的に使っている印象があります。

・A:前作でもいったけれど途切れることでいっそう鮮やかさが増すような、記憶と結ばれた音楽の使い方が今回も印象的でした。

★キャスティングは?

・A:マノン役のクロチルド・クローの泣きべその子供だった頃を彷彿とさせる顔が面白かった。笑うともう若くない暮らしの澱が降り積もったみたいな顔に子供が帰ってくる。それがなんだか切ない感じで。うまいキャスティングだと思いました。

・M:ニヒルなピエール、ヌーベルヴァーグ的な容姿のエリザベット、不安定なマノン、三人それぞれに個性があり、何よりも自然な芝居がよかったと思います。

・N:美人すぎず、イケメンすぎず、普通のフランス人な感じで余計な先入観なく見れました。特にマノンのお母さんは本当にパリの食品スーパーとかにいそうです。

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★前回、一緒に撮り上げた『フランシス・ハ』の監督ノア・バームバックがニューヨークのドキュメンタリー作家とその妻を新世代と対比した『ヤングアダルト・ニューヨーク』は見てますか? もしご覧になっていたら比べてどうですか?

・M:確かに設定は似ていますね。二組のカップルに、ドキュメンタリー作家。
但しテーマは全然違いますよね。ノア・アームバックの方は、ベン・ステイラーという明確な主人公がいて、対比する存在として、アダム・ドライバーがいる。視点は全てベン・ステイラーで、彼のフィルターを通して、映画は構成されています。彼の作家的な倦怠感みたいな部分や、クリエイティブに対するアプローチの表現などアメリカのインテリぽい雰囲気も興味深いものでした。
総体的に言うと、やはりエッジの効いたアメリカ映画的というか、表現方法自体は非常に直接的で、それがまた面白かったりするわけです。
ガレルの方は、先ほども言ったように無駄な部分は排除したソリッドなストーリーですが、視点が動いていくハイブリッドな構成が、フランス映画らしく感じました。

・A:もちろんバームバックの映画は新旧世代の対比に主眼があって、そこが面白くもあるんですが、時流に乗れない記録映画作家とその妻って設定がちょっと重なっていて、前回のディスカッションで並べた縁もあるのでつい質問したくなりました。アメリカでもハリウッド以外の所でやってる映画作家はこんな感じかと、ガレルの映画のカップルのつましい暮らしの描き方と比べてみたいようにも思ったわけです。

★この映画の真の主役は誰? もしくは何だと思いますか?
・M:マノンがやはり主役ではないでしょうか。
ガレルとしては意外なエンディングが、テーマだと思います。

・A:マノン、ってことはアニスのクッキーの老妻かも・・・。

★ガレルの映画の面白さはどういう部分にあると思いますか?

・A:重々しい巨匠になってしまわないこと、のように思います。

・M:近作2本しか見ていないので、あまり言えないのですが。
ヌーベルヴァーグの感触を持った今や貴重な現役監督の一人ではないかと思っています。
特に今回の作品は、多分今までの作品では排除していたドラマ的な演出も加え、ちょっとアメリカ映画的なエンディングの持って行き方など、ガレルも70歳を前に新たな方向性に覚醒したような印象を持ちました。
3部作最終作の次回作品も楽しみになりました。

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シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中
35mmフィルムによる特集上映同時開催!

監督・脚本:フィリップ・ガレル /共同脚本:ジャン=クロード・カリエール/撮影:レナート・ベルタ
出演:クロティルド・クロー、スタニスラス・メラール、レナ・ポーガム
2015 年/フランス/73 分/配給:ビターズ・エンド

公式サイト:http://www.bitters.co.jp/koibito/
Facebook:www.facebook.com/koibitotachinokage/
Twitter :@garrel_movie

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