「READY STEADY GO!」カテゴリーアーカイブ

SKAシーンを駆け抜けるスピードスター/THE MAN

Ready Steady Go! TシャツのTHE MAN
Ready Steady Go! TシャツのTHE MAN

READY STEADY GO!のTシャツを全員が着込んだクールな男達。
ルードボーイ集団と言ってもいいような危険な香りと、全員の男ぶりの良さ。
元東京スカパラダイスオーケストラの冷牟田竜之さん率いるTHE MANである。
スカをベースにした疾走感のある曲から、ダブを効果的に使った奥行きのある曲まで、我々が忘れかけていたハイテンション(彼らは爆発と表現している)で、観客を圧倒するTHE MANは、昨年デビューアルバムをリリースし、全国をツアーで駆け抜けたばかりである。

メンバーは以下の8名。

冷牟田 竜之:alto sax / agitate-man Tatsuyuki Hiyamuta
青木 ケイタ:baritone sax / flute Keita Aoki
飯川 賢:trumpet Ken Iikawa
寺谷 光:trombone Hikaru Teraya
中村 和輝:guitar Kazuteru Nakamura
加藤 洋平:keyboard Yohei Kato
二本木 潤:bass Jun Nihongi
伊藤 隆郎:drums Takao Ito

セルクルルージュのコンセプトには、音楽=映画=スタイルが、緊張感を持った関係でいた時代を再現するという事がある。
THE MANは、近年では少なくなったその3つのエッセンスを兼ね備えたグループだ。
ここではTHE MANを我々なりの視点で紹介する事で、彼らの活動の応援をしていく予定なので、是非ご一緒に今後のTHE MANに注目をして頂ければ、幸いである。

THE MANを紹介する前に、彼らの音楽の根底に流れるエッセンスを知る為に、少しだけスカの話しを。
スカはご存知のように、1960年代中期に、ジャマイカで生まれた音楽である。
今ではオーセンティック・スカと呼ばれているが、コクソン・ドッドがプロデュースしたSTUDIO ONEなどのレーベルから、スカタライツを中心にしたアーティストによるスカの名曲が続々と生まれていた。
同じ頃ジャマイカの移民が多いロンドンでは、BLUE BEATレーベルから、プリンス・バスターやリコ・ロドリゲスなどが登場し、いわゆるルードボーイ達=モッズやスキンヘッズが、好んでスカを聴くようになっていた。

白人アーティストでも、アシッドジャズオルガンのルーツとも言えるジョージ・フェイムは、いち早くスカをレコーディングしていた。
スモール・フェイセスやフーなどのモッズ系ロックバンドではなく、JAZZやR&Bからシーンに入ってきたジョージ・フェイムが、スカを何曲も取り上げた事は非常に興味深い。
今聞いてもスカの持つグルーヴ感が、見事に再現されており、ジャマイカ人以外がプレイするスカのルーツと言えるのではないかと思う。

当時の日本にはスカの存在を知る人は、殆どいなかったと思われる。70年代に入ると、加藤和彦さんはロンドン滞在時にレゲエ(加藤さんは当時レギと呼んでいた)を知り、サディスティック・ミカバンドでは、『恋のミルキーウェイ』(NMB48のような今時のタイトル!)などの曲で、いち早くレゲエを取り入れているのはさすがという他ない。

そしてスカに世界的に知らしめたのは、70年代終盤英国で沸き上がった2TONEブームである。改めて説明する事でもないが、スペシャルズは、2 TONE(トレードマークの市松模様だけではなく、当時はいなかった白人黒人混成グループの意味もある)レーベルのエースとして、ブルービートのアーティスト達をリスペクトしながら、パンクシーンとオーバラップする時代性をミックスしたので、非常に強力だった。
当時自分は、スペシャルズの曲は殆どがオリジナルではないかと誤解していたのだが、デビューアルバムでは、プリンス・バスター、ダンディ・リビングストンなど60年代の名曲をカバーし、音楽シーンの隙間に埋もれていたオリジナルスカに、スポットライトを当てたのは、大きな功績であろう。
また同時代に、クラッシュをはじめとするロンドンのパンク系の若者に、スカや古いレゲエをDJとして紹介したのは、ドン・レッツ(DJ、ミュージシャン、映像作家/BIG AUDIO DYNAMITE)だと言われている。
スカという隙間に生まれた音楽が、一気にロンドンでムーヴメントになった事がうかがい知れる。
スペシャルズはたった2枚のアルバムで解散してしまったが、音楽シーンに与えたその影響は計り知れないものがあり、多くのフォロワーを生んでいる。
亡くなってしまったが、エイミー・ワインハウスなど、スペシャルズチルドレンの最たる存在だろう。

*長いLIVE映像だが、中盤リコ・ロドリゲスが登場し演奏される『GUNS OF NAVALONE』は、圧巻である。

スカを日本のバンドで最初に本格的に演奏したのはミュートビートだと思う。それまでスカビートを織り込んだグループは幾つかあったが、あくまでもリズムの導入であった。
前身であるニュールードフラワー時代から僕はLIVEを見ているが、正面から本格的にスカ、レゲエ、ダブに挑んだグループを、西麻布レッドシューズの狭いスペースで初めて見た時の衝撃は大きかった。
何枚か残されたミュートビートのアルバムは、今でも色あせない素晴らしいものである。
THE MANには、そのミュートビートのエッセンスが、しっかりと継承されているように感じる。初期のメンバーには、ミュートビートのトロンボーン奏者であった増井朗人さんが参加。
そしてLIVEやレコーディングのミキサーは、ミュートビートで日本人として卓越したミキシングをしていた宮崎泉さん(DUB MASTER X)である。
スカだけではなく、気持ちのいいダブも演奏するTHE MANの音楽性と、サウンドに対する冷牟田さんの拘りが強く感じられる宮崎さんの起用ではないかと思う。

80年代中盤になると、日本でもオーセンティック・スカや、ブルービートのアーティストのレコードが手に入るようになってきた。
下北沢ZOOの山下直樹さん紹介ページでも紹介したが、ギャズ・メイオールが、BLUE BEATのアーチストだったローレル・エイトキン&ポテト5と来日し、芝浦のインクスティックで、東京スカパラダイスオーケストラ(スカパラ)やスカフレームスと一緒にライブを行った。
当然冷牟田さんもスカパラとしてステージに立っていたが、今振り返ると、その日が日本のスカシーンでは、エポックメイキングな夜ではなかったかと思う。

僕と冷牟田さんが知り合ったのも、その時代である。出会いの時の記憶は殆ど無いが、ZOOやP-PICASOというクラブではなかったかと思う。
ご縁があったのか、一度僭越ながらスカパラの前座としてDJをやらして頂いたこともある。
DJとしても冷牟田さんは素晴らしいのだが、DJをやるように勧めたのは、ZOOの山下さんで、初めてプレイしたクラブがZOOだったという事も、最近聞いて知った。

REXでの冷牟田さんDJ
REXでの冷牟田さんDJ

個人的に知り合う前には、冷牟田さんがスカパラの前に所属していたBLUE TONIC& THE GARDENというグループのLIVEを、一度駒澤大学の学園祭で見た事があった。多分それは30年位前の事なのだが、一緒に見たルースターズのLIVEよりも、何故かBLUE TONICの演奏の記憶の方が深く残っている。
BLUE TONICは、ルースターズにいた井上富雄さんが結成したグループだが、同じ時代にポール・ウェラーが作ったスタイルカウンシルに近い、グルーヴィなテイストを持っていた。
冷牟田さんはそこではベースを弾いていたのだが、最近BLUE TONICは、再結成されており、今年の2月19日には、渋谷のREXでLIVEが予定されている。

日本の音楽シーンに、スカの市民権を与えたのは、間違いなく東京スカパラダイスオーケストラである。スカフレームスは、どちらかとうと、ジャマイカのオーセンティックスカの再現という部分に、主眼を置いていた為、なかなかスカファンの領域を超える事は難しかった。
スカパラは、オリジネーターをリスペクトしつつも、様々なジャンルの音楽=ファンク、ラテン、ジャイブ、ジャズ、昭和歌謡、クラブサウンドなどのエッセンスと、スカをコラボレーションさせる事で、より大きなマーケットを獲得していったように思える。
前置きが長くなったが、そのスカパラの中心メンバーだった冷牟田さんが、より選りのメンバーを集めて結成したのが、THE MANである。

TABOO15周年でのTHE MAN
TABOO15周年でのTHE MAN

自分が初めてTHE MANのLIVEを見た時の印象は、冷牟田さんのDJを、バンドで再現したような感触だった。 スカが当然ベースになっているが、冷牟田さんが好きな音楽のエッセンスが、それぞれの曲やスタイルに凝縮されているように感じたのだ。
ここまで長々と説明してきたスカのヒストリーと、ミュージシャンとしての冷牟田さんのキャリア、それに二回りくらい若いメンバー達のエネルギーが、熱い化学反応によって点火している…それがTHE MANの魅力ではないだろうか。

THE MANの1STアルバムのデザインからは、スペシャルズへのリスペクトが大きく感じられる。
冷牟田さん自身も、一番影響を受けたアーティストは、スペシャルズだという。東京にいながら僕は一緒に行く友人が見当たらないという理由で、スペシャルズの来日公演を日和ってしまったが、福岡の高校生だった冷牟田さんは、ものすごいパワーでスペシャルズを見に、一人で東京まで行っているのだ。
THE MANのサウンドは、スペシャルズをトレースしたようなものでは、決してない。ただスペシャルズがBLUE BEATのアーチスト達をリスペクトしながら、パンクムーヴメントにフィットしたサウンドを創り出していった姿と、THE MANのコンセプトは、オーバーラップしているように感じる。
THE MANは30年前に生まれたスペシャルズをリスペクトして、そのスピリッツは継承しながらも、今の時代にフィットした日本人のスカミュージックを創り出そうとしているのではないかと思うのである。

スカという音楽性もさることながら、セルクルルージュとして注目したいのが、THE MANの映画を中心にした映像との距離感の近さである。
THE MANのLIVEは、イタリアの巨匠ミケランジェニオ・アントニオーニ監督の『太陽がひとりぼっち』のテーマが流れて、スタートする。
セルクルルージュのアイコンにもなっているアラン・ドロンと、モニカ・ビッティというクールビューティカップル主演の、この不条理なラブストーリーは、異論のある方もいると思うが、アントニオーニの最高傑作だと思う。
アントニオーニには『欲望』というスウィンギング・ロンドンを象徴するような作品もあるが、あえて『太陽がひとりぼっち』を持ってくるセンスも憎い。
このオープニングの音を聞いただけで、毎回否が応でもその後に展開される熱いステージへの期待が高まってくる。

LIVEに突入すると、常にオリジナル曲だけでなく、カバー曲を交えて展開される。カバーされるのは『ゴジラ』『パルプ・フィクション』『007』など耳馴染みのある映画楽曲が中心で、さらに客席のテンションはあがってくる。
オリジナル曲でも、『Ghost Dog』という、セルクルルージュでも取り上げているジム・ジャームッシュが武士道をモチーフにした映画と同タイトルの曲がある。

昨年末恵比寿ガーデンホールで開催されたTABOO15周年(冷牟田さんプロデュースイベント)では、チャーリー・コーセイさんをゲストに『ルパン三世』をオマージュしたステージが、第二部として繰り広げられた。
LIVEの詳しい状況は、音楽ニュースサイトLIKE Disに、毎回詳細にレポートされているので、そちらを是非ご覧頂きたい。
この2月10日には、新宿RENYにて、同じくチャーリー・コーセーさんゲストの『ルパン三世』セットのLIVEが、再び予定されている。

恵比寿ガーデンホールでのルパンセットLIVE
恵比寿ガーデンホールでのルパンセットLIVE

THE MANの2015年最初のLIVEは、吉祥寺のライブハウスでの演奏だった。その1曲目は、聴き馴染みのあるオリジナル曲ではなく、ジャムセッションであった。最後にホーンセクションが、JB’Sのおなじみのフレーズを決めて終わったそのセッションは、更なるTHE MANの可能性を感じさせてくれるものだった。
冒頭の写真は、READY STEADY GO!のTシャツをメンバー揃いで着ているが、今年はREADY STEADY GO!とのコラボレーションも色々と計画をされているので、ここではその動きも紹介をしていきたい。
さらに個性豊かで魅力的なメンバー一人一人にもフォーカスをしていく予定なので、是非今年はTHE MANを体験しに、LIVE会場に足を運んで頂きたい。

THE MAN 最強のホーンセクション
THE MAN 最強のホーンセクション

Antique furniture from mid century by Ready Steady Go

EGG GARDEN CHAIR
EGG GARDEN CHAIR
EGG GARDEN CHAIR を畳んだ状態
EGG GARDEN CHAIR を畳んだ状態

ミッドセンチュリー(1950~60年代)は、あらゆる分野で、現代につながるデザインが確立した時代と言えると思います。
ファッション然り、車などのインダストリアルデザイン然りですが、当時のプロダクトデザインは、現代でも魅力的なポップなデザインや、アヴァンギャルドなデザインが溢れています。
英国産クローズを中心にしたクールなインポートショップ、レディ・ステディ・ゴーが、これまで集めて来た1950〜60年代を中心にしたアンティーク家具を、初めて売り出す事になり、セルクルルージュに、そのコレクションを公開してくれました。
冒頭の写真の卵型ガーデンチェアは、ミッドセンチュリーを象徴するような、ポップなデザインです。

このコレクションの多くは、ロンドンのオークションボナムスで落札したものです。
ボナムスは、1793年に設立された英国の由緒あるオークションハウス。
パンフレットのカバーを見れば、扱っている商品のデザイン性を感じて頂けると思います。

BONHAMSのパンフレット
BONHAMSのパンフレット

それでは、レディ・ステディ・ゴー秘蔵のアンティーク家具をご紹介しましょう。

1964年ローマのホテル パルコ プリンシピのロビーで使われていたジオ・ポンティのアームチェア。
ジオ・ポンティは、イタリアモダンデザインの父と言われているミッドセンチュリーを代表するデザイナーです。

GIO PONTI  HOTEL Parco dei Principi
GIO PONTI  HOTEL Parco dei Principi
GIO PONTI
GIO PONTI

こちらは1951年から生産されているデンマークのHans J Wegnerのベアチェアです。

Hans J Wegnerのベアチェア
Hans J Wegnerのベアチェア
Hans J Wegnerのベアチェア2脚目
Hans J Wegnerのベアチェア2脚目

魅惑的なデザインで知られるファルナゼッティのテキスタイルを使ったジオ・ポンティの椅子は、見事なコンビネーション。ジオ・ポンティ1957年のプロダクトです。

FORNASETTIのテキスタイルの椅子
FORNASETTIのテキスタイルの椅子
FORNASETTIはテキスタイルが特徴的
FORNASETTIはテキスタイルが特徴的
グリーンのカバーに隠れていますが、これもFORNASETTIのテキスタイルを、使っています。
グリーンのカバーに隠れていますが、これもFORNASETTIのテキスタイルを、使っています。

カラフルな色使いやデザインが、ミッドセンチュリーを強く感じさせる雑貨もあります。

RENZO PAVANELLO
RENZO PAVANELLO
彩りが鮮やかな小皿セット
彩りが鮮やかな小皿セット

最後に1980年代の、トム・ディクソンの鉄製キャンドルスタンドです。今や大御所のトム・ディクソンのデビュー時代の作品。彼が得意とした鉄素材の廃材リサイクルと思われます。

TOM DIXONのキャンドルスタンド
TOM DIXONのキャンドルスタンド

80年代トム・ディクソンは、オーガスト・ダーネル(キッド・クレオール)プロデュースのダンスバンド、ファンカポリタンのメンバーでもありました。
ファンカポリタンは、当時今野雄二さんやブライアン・フェリーも推していた英国のグループ。NY的なエッセンスを持ったファンクバンドで、ファンカラティーナブームに乗って1枚グルーヴィなアルバムを出しましたが、残念ながら短期間で解散。トムは、このビデオでは、楽しそうにベースを弾いています。

こちらに掲載しています家具のお問い合わせ先は、レディ・ステディ・ゴーの後藤田さん(kazu@ready-steady-go.co.jp)となります。