Atsuko KAWAGUCHI のすべての投稿

Atsuko KAWAGUCHI 1955年生まれ。映画評論家。著作に「映画の森―その魅惑の鬱蒼に分け入って」、訳書には「ロバート・アルトマン わが映画、わが人生」などがある――といういつものプロフィールからはみ出してきたものもこのページでは書けたらいいなと思っています。

不気味なものの肌に触れる

©LOAD SHOW, fictive
©LOAD SHOW, fictive

既にウェブで配信されてもいる54分の中編のため映画館に駆けつける意味なんてほんとにあるのか?!――と、ネガティブに身構えた観客にこの際、いっておきたい。映画館で映画を見るという今やみごとに周縁へと追いやられた行為にまつわるちょっとやらしいヒロイズムやロマンティシズムでいうのではないとまずおことわりした上で、断言してしてみたい。快作「不気味なものの肌に触れる」のためならば映画館へと迷わず走って正解だ!

 開巻。雨に追い立てられるように制服の男子がふたり、石の階段を駆け上る。
 走ること。速さを競うこと。夢中になれる子供っぽさをあっけなく放り出した背中にはそれだけでもう、うっとりと見蕩れざるを得なくするものがある。くっきりとした求心力を思わせる。緑、水の気配、鼓動。見えるものと見えないけれど在るものとがふたりの後に列なって、そこに鮮やかに浮かぶ物語。青春映画の美しいクリシェを思わせもするそんな始まりから一転、映画が次に差し出す室内場面では、上半身をむき出しにした先のふたりがダンス・リハーサルに励んでいる。
 青みがかった透明のきんと冴えて冷たい時空。その無機質な感触を裏切って踊るふたりの身体と距離がまた別の物語を手繰り寄せる。ドラマとはかけ離れた場所で静かに熱くスリリングにドラマが生起する。身を躱して距離をつきつけ同時に互いの距離を奪いもしながら限りなくゼロに近い非ゼロの近さ/遠さを保つふたりの試みが、人と人、肌と肌、思いと思い、存在すること、感覚すること等々をめぐっていくつもの問と答えを投げかけてくる。じっくりと距離を保って距離をみつめるキャメラの眼差しは、スクリーンのあちらとこちらをめぐる問いとしてもはらはらと迫ってきて、映画とはと今さらながらにもう一度、真新しい気持ちで問いたいような気にもさせる。
「触っちゃった」と踊り手のいっぽうがいい、動きが途切れる。
©LOAD SHOW, fictive ©LOAD SHOW, fictive

「イメージすること」「自分が動くより相手に動かされるという所に入っていく」ようなと導く振付家砂連尾 理(じゃれお おさむ)の言葉が終わるか終らないかのタイミングで、「お届けものですよ」とオフの声が侵入し、いかにも日常茶飯なやりとり(であるかのような芝居)がそれまでぼこぼこと立ち上がっていた命題の時空に水をさす。自覚的に作られるそうした落差はけれども、いっそう挑発的な奥行を映画に獲得させていく。例えば少し前に冒頭のふたりを踊るふたりと当り前に同じ存在として書いたけれど、ふたつの場面でふたりは千尋と直也という同じ役柄を演じていながら、演じていない俳優、染谷将太と石田法嗣の肉体もここにはまざまざと映し出されてしまっている。存ることとは、演技とは、演じるとは、俳優とは、役柄とは、素の顔とは、人とは、物語とは、現実とは、そうした一切に介在する距離とは――頭をもたげる問いがまたスクリーンに切り取られたフィクション/リアルを近く/遠くする。そうやって果敢に落差と問とを突きつける濱口竜介監督はそれでもなお、父を亡くし腹違いの兄と暮らす少年千尋、そうして彼と”踊る“直也を軸にした圧倒的なロマンス、物語のしぶとい時空を研ぐことも忘れてはいない(80年代末から90年代にかけての主流を外れた米青春映画、とりわけティム・ハンター「リバーズ・エッジ」とガス・ヴァン・サント「マイ・プライベート・アイダホ」が交わる所のような感触が懐かしい)。

 深い深い川の底に流れが堆積させたもの。いつか大きなうねりと共に浮上して鉄砲水が来る。世界に水が溢れ出て一切を洗い流す日、あるいはその時、人の胸の底の底に降り積もった澱にも似た感情もまた堰を切って溢れ出す――そんな未来の覆し難さをわなわなとした胸騒ぎとして植えつけて、「不気味なものの肌に触れる」は来たるべき濱口の長編「FLOOD」に向けた予告編としての使命をあっけらかんと完遂してみせるのだ。

「不気味なものの肌に触れる」公式Facebook
3月1日(土)~14日(金) オーディトリウム渋谷にて限定ロードショー

濱口監督の後輩にあたる東京藝大映画専攻第八期修了作品展も開催

オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ / Only Lovers Left Alive

C)2013 Wrongway Inc., Recorded Picture Company Ltd., Pandora Film, Le Pacte &Faliro House Productions Ltd. All Rights Reserved.
C)2013 Wrongway Inc., Recorded Picture Company Ltd., Pandora Film, Le Pacte &Faliro House Productions Ltd. All Rights Reserved.
 
 4年ぶりの新作(企画は7年越しという)で吸血鬼を素材にしたのは「お金になるらしいから」と、涼しい顔のジム・ジャームッシュが記者を煙に巻く様子がお披露目上映されたカンヌ国際映画祭の公式ページでも確認できる。お金になる一作、ヒットが欲しいと冗談めかしたコメントには、孤高のインディとして生き延びるために――との注釈つきではあるとしても案外、率直な本気が含まれていそうでアート映画冬の時代の厳しさを改めて実感したくなったりもする。
 そうはいってもそこはジャームッシュ、素直にティーンに人気の吸血鬼映画の公式を踏襲するわけもなく、素敵にひとくせありのヴァンパイア・ロマンスを差し出している(吸血鬼映画といえばのお約束を自分なりに作りたくて皮手袋をめぐる挿話を考案したと、これは確かトロントかNY映画祭のQ&Aで明かしていた)。
 映画の英文プレス・ブックに載った監督の言葉によると男と女の無条件降伏的な愛の物語を書く上で部分的にヒントになったのがマーク・トウェイン作「アダムとイヴの日記」なのだという。人類最初のカップル、アダムとイヴ各々の日記を交互に並べて読者には男と女のすれ違う思いをくすくす笑いとじんわりほろりの共感との狭間で目撃させていく”原作”(結局、映画に残ったのはアダムとイヴの名前だけでだから原作というわけではないとジャームッシュのノートは続いているのだが)は、1904年の作とは俄かに信じ難いモダンな感触でカップルの日々の既視感、現実感を掬い上げていく。
 そんな掬い上げ方はジャームッシュの映画にも彼独特のそっけなさ、無愛想を伴ってではあるものの確かに踏襲されている。デトロイトとタンジール、それぞれの居場所でそれぞれの生のパターンを守りつつ、うんざりするようなカップルの日常の回避し難さとそれでもまあ一緒がいいかと思える瞬間の涙ぐましさのようなものをぽろりと浮上させたりして、なるほどこれは吸血鬼映画の形を借りたジャームッシュ流のラブ・ストーリー、恋もその主役のふたりももう若くはないカップル映画なのだなともう一度、しみじみしてみたくなる。
 となると映画の終わりにそっと置かれたジャームッシュにとってのイヴーー長年のパートナー、サラ・ドライヴァーへの献辞も見逃せない。ここでinstigator(煽動家、おだてや、唆しけしかける人)と呼ばれたドライヴァーがそもそもトウェインの原作を紹介したとのエピソードを知ってみると、そういえばと20世紀末、自らも映画監督である彼女が企画していた一本のことが思い出されてくる。
 それは”Two Serious Ladies“といって「ふたりの真面目な女性」とのタイトルで邦訳もあるジェーン・ボウルズの小説にちなんだ興味深い脚本なのだった。幻の企画ですますにはあまりに惜しいその一作を思ってみると、何度も頓挫しかけながら陽の目をみたという『オンリー・ラヴァーズ~』(映画の中では美しい夜が貫かれ、決して陽の目をみないことでも記憶したい快作なのだが)に置かれた献辞がいっそう胸に迫ってくる。
 勝手に妄想を膨らませれば、ジャームッシュの映画にしのびこんだポール+ジェーン・ボウルズ・カップルとのリンクに列なってかつて『シェルタリング・スカイ』を手掛けたアート系製作者の雄ジェレミー・トーマスが動いたりしたのではとも思えてくる。タンジールの千一夜カフェに気づけば同じトーマスがバロウズの『裸のランチ』を手掛けていたこともまた思われるし、若き日のトーマスがD・ボウイを主役に製作したカルト的SF『地球に落ちて来た男』へと連想ゲームをつなげれば、今度はボウイが久々に放ったPV”The Stars(are out tonight)”で『地球に~』のエイリアンとも吸血鬼とも見える姿で登場し、”もう、うんざり、でも・・・”のカップルをなんとティルダ・スィウントンと演じたりもしているのだ。カンヌの記者会見ではそのPVとこっちの映画とアイディアはどちらが先との質問にティルダがクールに大人なお茶の濁し方も披露している。
C)2013 Wrongway Inc., Recorded Picture Company Ltd., Pandora Film, Le Pacte &Faliro House Productions Ltd. All Rights Reserved.
C)2013 Wrongway Inc., Recorded Picture Company Ltd., Pandora Film, Le Pacte &Faliro House Productions Ltd. All Rights Reserved.

 と、いうわけでジャームッシュ待望の新作は、荒廃したデトロイトへの、ひいてはオハイオ州アクロン出身の自らのルーツでもあるはずの中西部アメリカ――モータータウンの滅びの図をしんと澄んで寂しくだから美しい景観として切り取り、孤高のインディ作家の神髄を確認させつつ周囲に広がるいくつものリンクを観客それぞれに思う愉しみも提供してくれる。一見すればきっと自分なりの愉しみ方がみつかると、この際、断言してみたい。

『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』は12月20日からTOHOシネマズ シャンテ、ヒューマントラスト シネマ渋谷、新宿武蔵野館他全国公開。
作品公式HP。
セルクル・ルージュではシネマディスカッション第3弾でもジャームッシュのこの新作をとりあげ近々アップの予定です。乞うご期待!